6・クリストフ様の秘書
「コンラート。帰ったのか」とクリストフ様。
「ただいま戻りました」と、青年が頭を下げる。
彼が、昨日クリストフ様が話していた『片腕』さんだそうだ。乳兄弟で幼馴染。クリストフ様がフェンリルになってからは、秘書として彼を支えてくれているという。時には公爵の代理人となって、視察に赴いたり会合に出席したり。クリストフ様にとって、なくてはならない存在らしい。
すでに私の事情をすべて聞いていたコンラートは、
「ずっとこちらに滞在してくださってもいいのですよ」と優しく言ってくれた。
「追放が取り消しになっても、婚約を身勝手に破棄するような王太子がいる王都では、気が滅入ることでしょう」
「それはもう。考えただけで、げっそりしてしまいます」
『でしょう?』とコンラートは、笑顔になった。
「それに比べて、ここセヴィニェ領の平和なこと! 自然豊かでワガママな王太子はおらず、すばらしいフェンリルがいる!」
「はい!」
「おい!」
クリストフ様と私の声が重なった。
「あ、すみません。長期滞在はご迷惑なのですね」
「違う」クリストフ様が『わふん』とため息をつく。「コンラートもギルベルトも、調子づき過ぎている。彼らの話はまともに取り合わないでくれ」
「そうなのですか?」
「ちなみに」とコンラート。「独身の男性王族は、奥方に先立たれた齢七十の老大公閣下と、五才の男児、それと我が主のクリストフ様だけです。聖女に再認定されたら、この中のどなたかと結婚することになるでしょう」
「まあ」
クリストフ様のお顔を見上げる。凛々しくて素敵なもふもふ。お側にいられたら、毎日、もふもふ。でも――
「クリストフ様はおイヤですよね。王太子殿下に捨てられるような私なんて。毛づくろい係として引き取っていただくのではダメでしょうか」
「毛・づ・く・ろ・い!」
なぜかコンラートが笑いを噛み殺している。
「失礼、そんなことを言う令嬢がいるとは思わなくて」
「エヴリーヌはちょっと個性的なんだ」とクリストフ様。
「一目見たときに気づきましたけどね。フェンリルの手をにぎにぎする令嬢が存在するとは、思いませんでしたよ」コンラートはまだ、笑いを堪えている。
「オーバンの七歳の誕生会で噴水に落ちた女児がいただろう? 彼女はあの子だ」
「え!」とコンラートが叫ぶ。「あのおかしな子供が!」
それから『なるほどねえ』と、なぜだか納得された。
「となると、いい勝負ですね。エヴリーヌ様。クリストフ様も周囲の制止を聞かずに噴水に飛び込んで、いろんな人に、『そういうのは下の者にやらせろ』と叱られたんですよ。王族のくせに変わり者なんです」
「余計だぞ、コンラート!」
クリストフ様のお顔を見る。
「クリストフ様はお優しいのですね」彼の毛をそっとなでた。
「別に……」
「エヴリーヌ様」コンラートが、私のそばにやってくる。「普通の令嬢はクリストフ様を怖がるものなんですよ。しかも重労働の毛づくろいなんて、当然したがりません」
「以前、ポメラニアンを飼っていましたから、お世話は得意なんです」
コンラートが、ブフッと吹き出す。
「小型犬と魔獣では、だいぶ大きさが違うでしょうに。クリストフ様の元婚約者様もアフガンハウンドを飼っていましたけど、このお姿を恐れて婚約破棄なさったのですよ」
だからクリストフ様はいいお年なのに、独身なのか。
彼の顔を見ると、美しい緑の瞳と視線が合った。
「クリストフ様は優しいお顔をしていますもの。私は怖くはありませんよ」
「優しいかな?」
「ええ。リトルそっくりです!」
『わふっ』とクリストフ様。
「ポメラニアンとは似ていないと思うんだが、ありがとう、エヴリーヌ嬢」
「私こそ、もふもふさせてくれてありがとうございます。とても癒されます」
「それはよかった」
クリストフ様とお話するのも、もふもふぷにぷにするのも、とても楽しい。でも、片腕さんが戻って来たのならば――
「クリストフ様は、もうお仕事の時間ですね。私は失礼しないといけませんね」
左手もぷにぷにしたかったけれど、仕方ない。
屋敷へ戻ろうと立ち上がったとき、こちらへやってくるギルベルトの姿が目に入った。
「エヴリーヌ様あての荷物が複数届いております」と言った彼は、一拍おいてから「送り主は『アシル・ルヴィエ』とだけ書いてありますが、ルヴィエ伯爵様でございますよね」と戸惑い気味に続けたのだった。