番外編・月夜のクッキー2(クリストフのお話)
月の光が降りそそぐ小道を、エヴリーヌがやって来る。
柔らかな微笑みを浮かべている。
美しい亜麻色の髪、優しげな目元、緩やかな弧を描く口。
こんなに可愛らし令嬢を、オーバンがどうして邪険に扱ったのか、まったく理解ができない。
「クリストフ様、こんばんは」
彼女の声は、温かみがあり穏やかだ。そんな声で名前を呼ばれるのは、とても心地よい。
「こんばんは、エブリーヌ嬢」
そう返して手を差し出すと、彼女は少しだけはにかんで手を重ねた。
食卓までの、すぐに終わってしまうエスコート。必要はない気がする。
だけれど彼女には、丁寧に接したいと思うのだ。
私の甥が彼女を傷つけたから?
いいや、違う。
私が、彼女をきちんともてなしたいと望んでいるのだ。
◇◇
晩餐も終盤、あとはデザートという段になって、エヴリーヌが急に落ち着かない様子になった。
『どうかしたか』と声をかけようとしたそのとき、彼女が先に口を開いた。
「クリストフ様は、クッキーをお好きでしょうか?」
「クッキー?」
特に好きでも嫌いでもないが、この質問の意図はなんだろう。
と、給仕役のギルベルトが、エヴリーヌの死角で盛んに首を縦に振っている。
「……好きだな」
そう答えると、エヴリーヌは嬉しそうに微笑み、ギルベルトは親指と人差し指で丸を作った。
どうやら正解だったらしい。
テーブルの上に、大皿に盛り付けられた三種類のクッキーが置かれた。
「私が作ったものです。プレーンとゴマと干し葡萄」とエヴリーヌが言う。
「君が作った!?」
驚いて聞き返すと彼女は、
「やはりお台所を借りるのは、よくありませんでしたか」と、しゅんとしてしまった。
「料理人が作ったものと遜色がないから、驚嘆しただけですよ」とギルベルトが助け舟を出してくれたので、全力でうなずく。
貴族の令嬢が台所に入るというのは、かなり珍しいことのはずだ。
まして料理をするなんて。だけど、それを非難するつもりなんて毛頭もない。
「エヴリーヌ嬢はお菓子作りが好きなのかな?」
「はい」と彼女は笑顔になった。「刺繍や読書もいいのですけど、お菓子作りが一番しっくりするんです」
「屋敷の中でできることがいいのかい?」
「……」
エヴリーヌは口を閉じ、ささやかな笑みを浮かべた。そして、
「よければ食べてくださいな」とクッキーを勧めた。
彼女が話をそらしたのは、なぜだろう。屋敷の外で楽しむ趣味を持てない理由があるのだろうか。
気になる。
だが、彼女の意に反したことをする気にはなれない。
「では、いただこう」
と答え、ギルベルトがサーブしようとするのを制し、自分で三種類すべてを小皿に移した。
「君のお勧めはどれかな?」
「最初はプレーンがいいかと」
「では」
それを手に取り一口かじる。さくりとした良い歯ざわり。口内にバターの風味が広がり、甘すぎず、少し感じる塩気とのバランスが大変いい。
「これは美味しい!」
エヴリーヌの顔が、パッと明るくなった。
「天才パティシエだな!」
「大げさです」と、はにかむエヴリーヌ。「レシピも作り方も、すべてうちの料理長から教わったのです。天才は彼です」
「だとしても、それを美味しく再現できるのは君の腕がいいからだ」
セサミ、干し葡萄と次々に食べる。どれも驚くほど美味しい。
きっとひとつひとつ、丁寧に作り上げているのだ。
「これほどに美味しいものをいただいては、なにかお礼をしないといけないな」
「まあ。これは滞在させていただいているお礼です。どうぞお気を遣わないでください」
「それでは私の気がすまない」
「あ」と、彼女は嬉しそうに顔の前で手をたたいた。「それでは犬吸いを――」
「すまない、それは無理だ」
とたんに、しょんぼりするエヴリーヌ。
良心がうずくが、こればかりは譲れない。
彼女もいい加減、気がついてほしい。フェンリルは私なのだ。いい歳をした男に顔をうずめて息を吸うだなんて、大変に破廉恥なことなのだぞ?
それに私の心臓だって持たない。
可愛らしい令嬢に抱きつかれて、緊張しないでいられるほうがおかしい。
「じゃあ、たくさんもふもふさせてくださいね」と、どこか恨めし気なエヴリーヌ。
「それなら、まあ」
「よかった!」
「その代わり、またクッキーを作ってくれるかな?」
「もちろんです。クッキーでもパウンドケーキでも、マフィンでも」
ああ。なんて素晴らしいのだろう。
菓子は特別好きな品ではないのに、ワクワクしてきた。
エヴリーヌは本当にすてきな令嬢だ。
《おしまい》
☆コミカライズ決定!!☆
こちらの作品のコミカライズが決定しました。
応援をありがとうございました!
詳細については、のんびりお待ちいただけたら幸いです。




