16・危機一髪
魔王様との会談に一区切りがついたところで私は退出し、元々の予定である聖女のお勤め、浄化の祈りをしに行った。会談の内容は魔獣移動の犯人探しとなったので、私が役に立つことはなさそうだったからだ。
恐らく犯人は相当高いレベルの魔術師のはずだ。でも、誰も犯人に心当たりがない。国王一行に同行していた魔術師は数人いたけど、魔獣が出現したときの動向に不審な点はないそうだ。となると、あの場に誰も認識できていない、凄腕の魔術師が潜んでいたということになる。
これを特定するのは、なかなか難しそうだ。
とはいえ、それは私が悩むことではない。私の仕事は、心を落ち着かせて祈ること。余計なことに動揺してはならない。国と国民を守る聖女なのだから。
瘴気浄化のための祈りを、神殿で久しぶりに祈る。神官長をはじめとした沢山のひとたちが、安堵で泣いていた。
ありがたい。
けれどそんな光景を見るとやっぱり、オーバンとイザベルの自信が不思議になってしまう。
彼らの自信の元はなんだったのだろう。
祈りを終えて、神殿から王宮へひとりで帰る。それぞれの敷地は別だけれど、裏側が隣り合っている。普段なら侍女や護衛がつくのだけど、今回は無理やり断ってしまった。
だって本当は、全然落ち着いてなんかいない。
クリストフ様が魔の国に行ってしまうかもと聞いてから、ずっと動揺している。彼にはいなくならないでもらいたい。もふもふしていると、とても幸せだし安心できる。それにお話していても楽しいし、できることならずっとそばでもふもふしていたい。
『クリストフと結婚しないかね』という陛下のお言葉を思い出す。
クリストフ様は陛下が私にそんなことを提案したことを知っているのだろうか。広間で顔を合わせたときは、なにも言っていなかった。
もしかしたら、陛下夫妻だけで考えてのことかもしれない。
クリストフ様からすれば、私なんてもふもふをねだってばかりの、甘えた小娘だろう。きっと。
でもあの魅力には抗えないのだもの。
一方で人の姿のクリストフ様は、とても大人だ。落ち着いた物腰で、フェンリルの姿のときと同じくらい頼もしさがある。
あの方の妻になる。私が。
なんだか変な気分だ。落ち着かない。
足を止めて、遠くに見える王宮の建物に目を向ける。
クリストフ様のご用が終わっていたら、訊いてみよう。陛下のご提案をご存じですか、と。それから、どう思いましたか、と。
よし。そうと決めたら、はやく戻って、そしてもふもふもさせてもらおう。今日はまだ一度もしていない。それで落ち着いてから質問をして――って、なんだか、おかしいような気がする。
両手で顔を覆う。
どうして私はこんなに、そわそわしているのだろう。
聖女なのだから、どんなときもどっしり構えていなくてはならないのに。
大きく息をひとつ吐く。
気持ちを切り替えるのよ。
自分にそう言い聞かせて顔から手を離したら、目の前にふたりの若い神官がいた。ひとりは麻袋を、もうひとりは縄を持っておかしなポーズをしている。
「……なにをなさっているのですか」
ひとりの神官がチッと舌打ちをする。ロープを放り投げ、その代わりに懐から短剣を取り出し鞘から抜くと、私に突きつけた。
いったいなにがなんだか、わからない。
「聖女の証を教えてください」と神官。
「証?」
「あるのでしょう? 国王と神官長しか知らない、秘密の証が」
「ありますけど、教えることはできません」
グッと短剣が突き出される。
「教えるんだよっ。このままじゃ俺たちは破滅だ」
「オーバンたちに騙されたんですよ。イザベルを本物の聖女にしなくちゃ、俺たちも捕まってしまうかもしれません」
ということは、彼らもイザベルたちの仲間だということ?
私は本気で脅されているの?
背中に冷たい汗が流れる。
「早く答えろっ!!」
そんなことを言われても、証は絶対に秘密にしなければならない。じりじりと後ろに下がる。
「逃げるんじゃない!」
神官が短剣を持った手を振り上げる。目は血走り座っている。
踵を返し走る。
「誰か! 助けて!」
叫ぶけれど、こんなときに限って人影がない。
「キャッ!」
髪を掴まれ、がくんとのけぞる。
地面に押し倒され、胸の上に神官が馬乗りになった。
「教えろって言ってんだろ!」
「もういい、無理だ」ともうひとりが言う。「聖女は頑迷だ。きっと口を割らない」
「そうだな」と跨った神官が短剣を両手で握りしめる。
殺されてしまう……!
誰か。
クリストフ様……!
短剣が振り降ろされる。
その瞬間、強い風が吹いた。私の上にいた神官が吹き飛ばされる。
響く悲鳴。
獰猛な唸り声もする。
バクバクとうるさい心臓を押さえつけながら半身を起こすと、クリストフ様の後ろ姿が目に入った。しっぽがふりふりと揺れている。その向こうに、地面に横たわっている神官たちの姿が見えた。
「クリストフ様!」
彼が振り返った。
「怪我は、エヴリーヌ嬢!」
「ないと思います」
「よかった」そう言ったクリストフ様はまた、向こうを向いてしまった。
「貴様ら、目的はなんだ!」
クリストフ様とは思えない、地をはうような恐ろしい声だ。
「喰われたくなければ、答えろ!」
ガルルルルとの唸り。
「クリストフ様!」
彼がまたふりむく。怒り顔だったが、すぐに和らいだ。
私に向かってゆっくり歩いてくると、そばに伏せた。
「恐ろしかっただろう。もふるといい」とクリストフ様が顔を突き出す。
その頬に抱きついた。
「怖かったです、クリストフ様!」
本当に怖かった。
死ぬのだと思った。
でも恐怖も何もかも、クリストフ様にくっついていれば、すべての恐ろしい感情が消えていくような気がした。




