15・魔獣襲来の謎
魔の国の王をお迎えするため、広間には国王夫妻のほか、大臣たちとクリストフ様が集まった。それから、私も。
「フェンリルと融合した人間がいるとは噂に聞いていたが、これほどまできれいに仕上がっているとは。奇跡だな!」
魔の国の王は楽しそうな声をあげて、クリストフ様をもふもふしている。人間のような見た目をしているけれどかなり大きく、肌は緑がかっていて、長くて太いトカゲのようなしっぽをひきずっている。出迎えた者に、私たちを怯えさせないために人間に近い形態をとっていると話したそうだから、本当の姿はまったく違うのだろう。
彼の後ろには、全身をローブで包み込んだ秘書官がいる。彼(彼女かもしれないけれど)は逆に子供くらいのサイズしかない。ただ、宙にふわふわと浮いている。
私もみんなも、魔の国の人間――というか言葉を通じる存在に会うのは初めてだ。何百年もの昔には、あちらとこちらで戦をしていたらしい。けれど、この感じだと魔の国のひとたちは友好的みたいだ。
「魔王様、そろそろ本題に入ってください。みなさまお待ちですよ」
秘書官が子供のような可愛らしい声で、魔の国の王――魔王様をうながした。
「ああ、すまぬ。あまりに立派で見惚れてしまった」
魔王様はそう言って、陛下たちを見回した。手は、もふもふしながら。
「ところで人の国の者たちよ。この世界になぜ魔獣が現れるか、仕組みは覚えているか」
会談用の席が設けてあるのに座らないまま、魔王様が尋ねる。相変わらず手はクリストフ様をもふっている。クリストフ様は魔王様が相手だからか、されるがままだ。
弟を気にしつつも、
「知らぬ」と答える陛下。
大臣たちも顔を見合わせている。
「やはり」と魔王様はため息をついた。「人間は寿命が短いとはいえ、大切なことをすぐに忘れる。しっかり記録して、残してくれ。人間の世界と我々、お前たちが言うところの『魔の世界』は表裏一体。お互いに見えないだけで、繋がっている」
「土の中にあるのではないのか」と陛下。
「それは敵対していたときの人間の認識だ。間違っている。和解した時に正したはずなのだがな」
ふう、とため息をひとつついてから魔王様は
「説明するぞ」と言った。「ふたつの世界は繋がっているがその間には恐らく、膜のようなものがある。だがこの膜は頻繁に穴があく。そこからお互いの世界が混じる。人間世界が言う『瘴気』はこのときに『魔の世界』から流れ出たものだ」
「土中から滲み出ていたのではなかったのか!」と大臣の誰かが叫んだ。
「そのとおり」と魔王様。「無論我が世界にも人間世界から流れ込んでくる。だが我々にとっては毒ではない。そしてこの穴が大きいとき、ごくまれに、分別がつかない魔獣がこの世界に入り込む場合がある」
「なるほど」とクリストフ様がつぶやく。
きっとちびさんもそのときに来たのだと考えているのだわ。
「我々も現象は知っているが、感知できないし予防もできない」魔王様はクリストフ様をもふもふしている。「不審な消失事件が起きれば人の世界に行ったのだろうと考えるが、どこに繋がったかはわからないから、探しようがない。この融合した子フェンリルもそういう類だったのだろう」
大臣たちが『ということは、今までどおりその都度対処するしかないのだな』と話している。
「毎回人死にが出るのだが」と陛下が魔王様に言う。
「強くなれ、としか私には言えることがない」と魔王様は答え、なぜか私を見た。「聖女もかつてに比べてだいぶ力を落としたらしいしな。だが、その方は近年稀に見る力があるようだ」
「私にですか」
そう、と魔王様と秘書官がそろって答える。
「女神の強い加護を感じる。その方は瘴気を浄化する祈りで、魔獣を弱体化させることができるだろう」
「危険はないのですか」とクリストフ様が尋ねた。
「そこまでは知らぬ」
ならば、試して確認するしかないということだ。もしまた魔獣が現れたら、そのときは後方での治療ではなく前線に行かせてもらおう。怖いけれど、それは騎士たちだって同じだものね。
「エヴリーヌ嬢」
クリストフ様の鋭い声が広間に響いた。
「君の役目は瘴気の浄化だ。危険を冒してはならない。万が一、再び魔獣襲来があってもけっして試してはだめだ」
どうしてクリストフ様は私が考えていたことがわかったのだろう。『はい』とは答えたくないんだけどーー
「『万が一』とは言えぬ」と魔王様が言った。「恐らく、また群れの出現が起きる」
「どういうことだ!」と、陛下が鋭く問う。
「前回も今回も、おかしな干渉を感じた」
そう言って魔王様は話し始めた。前回――十年前のことだ――魔王様は彼らの世界に、外部からなにかの力が働きかけたことを感じ取ったらしい。でもそれがなんなのかは、しばらくわからなかった。だが調査の結果、魔獣の群れが消えていることがわかった。穴を通じて人間の世界に行ったにしては、規模が大きすぎる。不思議に思いつつも更に調べてみたら、確かに移動していたことがわかった。
それから謎の干渉力に注意を払ってきたらしい。
そしてそれが、また起こった。人間の世界で言えば、昨日だ。確認してみたら、やはり魔獣の群れが移動していた。
「恐らく何者かが故意的に行っている」と魔王様。
「そんなことが可能なのですか」ともふられているクリストフ様が尋ねる。
「私はできる。ということは、他にも可能な者がいるかもしれない」
「失礼だが」と陛下。「魔族のどなたかが、魔獣を移動させているということですか」
「断言できぬが、その可能性は低い。謎の力は内からではないからな」
「そうだった、外からだ」と呟く陛下。
「では、人間にも可能ということなのですね」とふたたびクリストフ様が尋ねる。
「多分な。かつては我々の世界と行き来できる人間もいた。そこの聖女のように知識は途絶えても、相応の力を持つ者はいる」
なるほど。ということは、誰かが意図的に魔獣の群れを呼び込んでいる。それも、今回は陛下ご夫妻のすぐそばに、だ。
これはとてつもなく、危険な状況なのでは?
「私は平和主義者だから、このようにわざわざ教えに来たが」と魔王様。「高官の中には、『人間による魔族への挑発行為だ』と激高している者たちもいる。早急に解決してほしい」
「わかりました。善処しましょう」と陛下が答える。けれど表情は固い。
「頼んだ。ところで」魔王様は笑顔になってクリストフ様を見た。「セヴィニェ公爵といったか。魔の国に来ないか。故郷だぞ?」
「えっ!」
思わず立ち上がり身を乗り出す。
「クリストフ様は――」
ええと。
クリストフ様には行ってほしくない。私はもっと、もふもふしたい。
でも彼の半分は本物のフェンリルなのだ。こちらで窮屈な思いをして生きるより、もしかしたら魔の国で暮らしたいと考えているかもしれない。
『わふん』とクリストフ様が笑った。
「エヴリーヌ嬢。私は行かないよ」
「よかったです」
ほっと息を吐く。
なぜだか涙がこぼれそうだった。




