〔幕間〕フェンリルは物思いに沈む
ガラスの天井越しに、月を見上げる。数日のうちに新月を迎えるそれは、細く、頼りない。それでも姿さえ現してくれていれば、私は人の姿に戻ることができる。
だが、今は深夜だ。
自邸ならともかく(いや、それも十分にアウトだが)、王宮では令嬢と共にいられる時間ではない。そもそもエヴリーヌは人の姿の私と一緒にいたいとは思っていないだろうし。
ため息がこぼれる。
「ちょっと。クリストフ様」
円卓の向かいにすわるコンラートが不満げに口を尖らせている。
「食事をとらないで嘆いているだけなら、私は下がります」
「冷たいぞ。落ち込んでいるんだ。慰めろ」
今日も、私がエヴリーヌにできたことは、もふもふを勧めることだけだった。私は私の手で彼女の手を取り、励ましたいのに。
もっとも、それも望まれてはいないだろうが。
「おわかりになっているでしょうに」とコンラートが言う。「完全な人の姿には戻れないのです。あなたにできることは、エヴリーヌ嬢に求婚することだけ。はっきり断られれば、悲しみは増えても悩みは減ります」
「……お前、『手加減』という言葉を知らないのか」
コンラートは、ふんっと鼻を鳴らした。
「もしまったくの望み無しだと思っていたら、求婚を勧めたりはしません。それもおわかりでしょう? 彼女とあなたの『好き』の種類は違っても、良好な関係は築けると思うから口うるさく言っているのですよ」
彼から視線を反らして、夜空を見上げた。
確かに、わかっている。コンラートは誰より私のことを考えてくれている。無責任に囃し立てているわけではない。でも勇気を出すには、私は獣すぎる。
「デートをすることもできなければ、園遊会にエスコートすることもできない。そもそも結婚式もあげることができない」
「『できないことを数えても仕方ない』。かつて、あなたが私に言った言葉ですよ」
「そうだったかな」
嘆息が聞こえる。
「それにしても、これ。すごいですね」
ちらりと見ると、コンラートは兄上からもらった魔道具のランプに触れていた。
それはなんと、炎がなくても明かりを灯せる不思議な品だった。光のもとはこぶし大の水晶で、そこに太陽光を蓄積し、スイッチを入れると発光する。溜めた分量がなくなれば光も消えるが、何度でも繰り返し使える。なによりすごいのは、魔力ゼロの者でも使用できるところだ。
ただ、難点がひとつ。水晶は庶民には高い。だからこれをガラス玉に変えたいらしい。でも、今のところ成功していないのだそうだ。
そしてこの魔道具ランプを開発しているのは、エヴリーヌの兄であるアシルだそうだ。
「少しばかり聞きまわりましたが」とコンラート。「ルヴィエ伯爵は変人で、壊滅的に人付き合いができないようです。でも、義父のことは敬愛しているみたいですね。葬儀のことは、恐らくなにかしらの訳があったのでしょう」
「だろうな」
昼間会った彼を思い出す。とんでもなく非常識ではあったが、悪人ではなかった。二十歳を少し過ぎたばかりだろう。若く、それなりに整った顔立ちをしていた。
「彼の上司が言うには、エヴリーヌ嬢が婚約者を失ったのなら兄妹で結婚するのがよいのではないか、と」
「……は?」
思わずコンラートを見た。
「そうすれば、ルヴィエ家の血が保たれます。この案には賛同者が多いようですよ。つまりあなたが意気地なく悩んでいる間に、取り返しのつかないことになりかねない、ということです」
コンラートが微笑む。どこか泣きそうな顔で。
「フェンリルのあなたを『いい』と言ってくださる女性は、きっとこの先現れませんよ」
そうだな、と返事をして月を見上げる。
この体が嫌いなわけではない。チビが救ってくれた命であり、彼の体だ。
私がうじうじと悩んでいたら、チビも悲しむだろうか。




