9・魔獣討伐へ
「討伐に行くのですか? クリストフ様が?」
思わず聞き返してしまった。
だって都までは馬車で一週間かかる距離なのだ。それにクリストフ様自身が魔獣の姿だ。もし、間違えて討伐されてしまったら……。
「もちろんだ」とクリストフ様。「魔獣退治に一番有効なのは私なんだ」
コンラートがうなずく。
「騎士の武器は対人間用ですし、魔獣に慣れてもいません。攻撃魔法を使える魔術師も僅かです。一頭でも苦労するのに、それが群れとなると……」
彼は右手で左腕を押さえた。
「わかりました。でも遠いです。どうやって行くのですか」
「転移魔法だ。今、術を展開しているはずだからすぐにゲートが開く」
その術は高度だし、両地点に魔術師がいないとできないと聞いているけど――と思ったら、いつの間にか地面に魔法陣が描かれた紙が置かれていた。
さっきギルベルトが動いていたから、置いたのは彼だろう。あれが魔術師の代わりを果たすのかもしれない。
「私とコンラートはしばらく留守にするが」とクリストフ様が言う。「エヴリーヌ嬢は気兼ねなく滞在していてくれ」
「いえ。私も行かせてください。怪我人が出ているのならば、治癒魔法が使える者がひとりでも多くいたほうがいいはずです」
その術者は私を含めても数人しかいない。襲撃現場に向かう方法があるのなら、私も行くべきだ。
「ダメだ、危険だ」とクリストフ様が怖い声を出す。
「もちろん、安全な場所での支援を心がけます。多数の死傷者が出ているのですよね。素知らぬふりはできません」
クリストフ様のきれいな緑色の瞳がじっと私をみつめる。
「案じてくださるお気持ちはわかります。でも少しでも、助けなければ」
地面に置かれた紙が、パッと燃え上がった。火は一瞬で消えて、地面に大きな魔法陣が光り輝く。
「わかった。連れて行こう」
「ありがとうございます」
「だが確約するのは、王宮まで。あの魔法陣が通じているのはそこだからな。王宮で状況を聞いて、危険なようだったら討伐現場には連れて行かない」
「わかりました。それで構いません」
『わふん』とクリストフ様がため息をつく。でもこれは譲れない。だって私は国民を守るために聖女に選ばれたのだ。相手が瘴気だろうが魔獣だろうが、やるべきことは同じだと思う。
「お気をつけて」とギルベルトが頭を下げる中、私たち三人は魔法陣の中央に立った。
「ところで、クリストフ様は敵の魔獣と誤解されたりしませんか」
「可能性はあります。若手の騎士は知らないでしょうしね」とコンラート。「ですが十年前を知っている騎士ならば、大丈夫です」
つまり『大丈夫ではない、血気盛んな若い騎士たちがいる』ということだ。
「クリストフ様は敵じゃないという目印が必要ではありませんか?」
「確かに。でもどうすれば」とコンラートが考え込む。
「そうだわ!」
髪を結っていたリボンを解く。それをクリストフ様の首の下の毛にリボンの形に結びつけた。
「どうですか? 苦しくないですか?」
「ああ……」
「味方に攻撃されませんように」そっとクリストフ様をもふる。
魔法陣の光が一段と強くなった。
◇◇
気づくと私たちは王宮の中庭にいた。魔術師や近衛騎士、高官たちが周りを囲んでいる。
「クリストフ様! ご協力ありがとうございます!」と叫びながら、年配の騎士が駆けてくる。すぐに私に気づき、「聖女様!」と足を止めた。
「彼女は怪我人の治療のために同行したいと言っているのだが――」
「ああ、聖女様!」騎士が片膝を地面につく。「殿下にあのような仕打ちを受けたというのに! あなたの慈悲深さには言葉もございません。このままでは死者が増えるばかりだとの連絡が入っております。どうぞ私どもの部下をお助けください」
「お立ちください」と騎士に声をかける。「私の拙い魔力でも、お役に立てれば幸いです」
『わふん』とクリストフ様が吐息した。
「仕方ない。ではエヴリーヌ嬢も行こう」それから彼は地面にぺたりと伏せた。「背中に乗ってくれ。ここからは駆けていく。コンラート。彼女を絶対に落とさないよう捕まえていてくれ」
「え! 背中!」
「怖いですか?」とコンラートが尋ねる。が、「ああ、嬉しいのですね」とすぐに笑顔になった。
「こんな非常時にごめんなさい……」
もふもふの背中に乗れると聞いて、つい嬉しくなってしまった。そんな浮かれた気持ちになっている場合ではないのに。
「いいのですよ。あなたの物怖じしなさが、救いになっているのですからね」
コンラートがそう微笑むと、クリストフ様が、
「駄目だ」と強い口調で言った。「これから向かうのは地獄だ。恐ろしい怪我人をたくさん診ることになるんだぞ」
「覚悟はしています。だってコンラートの腕のことを聞いていますから」
「そうだったな……」
『わふん』とまたため息をつくクリストフ様。
「では、失礼しますね」彼のもふもふの脇腹に両手を当てる。
「クリストフ様のもふもふに触れていると、心が落ち着きます。だから私、どんなに地獄でもがんばれます」
もふもふを、そっとなでる。
『わふん……』というため息の返事だけが返ってきた。




