桜子探偵事務所「灰色の枢機卿」
いつも有り難うございます
よろしくお願いします
(推理ジャンルよりお引越し致しました)
『…竹山総理!おめでとう御座います!…総理!今回の選挙について一言お願いします!総理!総理!…」
事務所に置かれたテレビからは、選挙戦の実況中継が流れていた。
桜子さんが動く気配を感じ、僕は報告書を書くのをやめて顔を上げる。
緩いウェーブのついた長い髪、ハイウエストのタイトスカートにハイヒールの後ろ姿。
テレビの前に立つ桜子さんのせいで、僕の席からは桜子さんのお尻しか見えない。
「Éminence grise…」
桜子さんが呟いた。
ここは浮気調査、人探し、ストーカー調査…猫探し…
最近は探偵に依頼するハードルも下がり、ありとあらゆる頼み事が舞い込む桜子探偵事務所。
「何て言ったんですか?」
「Éminence grise。灰色の枢機卿って言ったの」
「灰色の枢機卿?」
桜子さんは頷くと、本棚から「ボストン美術館」と書かれた美術書を取り出し、一枚の絵画を見せてくれた。
「ジャン=レオン・ジェローム…『灰色の枢機卿』」
「書籍を読みながら大階段を降りてくるグレーの服を着た修道士に対して、階段の脇にいる商人や貴族などの富豪層が、修道士の様子を伺いながら帽子を取り深く頭を下げているでしょう?」
聖書を食い入るように読みながら、大階段を降りる黒に近いグレーの修道服に身を包む男。
脇に立ち並ぶ貴族や大商人、階級が上のはずの緋色の修道服を着る者など、身分ある人々が修道士に深々と頭を下げている。
「うわー…この修道士、凄く偉い人なんですね。だから総理の事をそう呼んだんですね…」
「違うの。ほら…総理の背後にいるこのグレーのスーツ男性、竹山総理の秘書の黒川雄一の事を言ったのよ」
桜子さんは画面の隅に時折映る男性を指差した。
「灰色の枢機卿。フランス語で「王の背後にある力」とか「影の実力者」って意味なのよ。
今回の選挙戦も竹山総理が勝ち抜けたのは、黒川があれこれ尽力したおかげって言われてる。
つまり「影の実力者」ね」
修道士が降りる階段には大きなタペストリーが掲げられている。
タペストリーにはリシュリューの紋章。
「この修道士の背後には、強い力を持つリシュリューがいる事を示しているの」
「リシュリューって三銃士に出てた…確か…フランスのルイ13世の宰相だった人ですよね?
この修道士はだれなんですか?」
「カプチン・フランシスコ修道会の修道士、フランソワ・ルクレール・デュ・トランブレー。
別名ジョゼフ神父。
22歳のとき修道会に入会したのだけれど、目の病気の為、目指していた哲学の教授を諦めたの。
それから宗教に傾注していったんですって。
リシュリューとは1612年頃からの付き合いだったようで、対プロテスタント戦「ラ・ロシェル包囲戦(1627年〜1628年)」ではリシュリューを支援しているわ。
リシュリューの腹心で重要な助言者であることから「影の実力者」と呼ばれたのよ」
………
「父のスキャンダルを見つけて欲しいんです」
「スキャンダル?どうしてか…理由を聞いてもいいかしら?」
「…父に…結婚を反対されているんです。
父は…自分の後継者と私を結婚させたいんです。
でも、私は好きな人のそばにいたい。彼以外の人は考えられません。
父に私の気持ちなんてわかりません。そんな父の決めた人なんて絶対に嫌です。
……だから。
だから、スキャンダルを見つけて父を脅したいんです」
「お父様があなたの結婚を反対する理由は何かしら?」
「彼は、大学でエジプトの考古学を研究しているんです。
今は日本にいますが、いずれエジプトに行く事になります。そしてその時は私も一緒に行くつもりです。彼を支えたいんです。
父からは日本を離れる事も、彼と結婚する事も許さない。そう言われたんです…」
今にも泣きそうになりながら依頼主の、黒川愛香は俯いた。
「…うぅん…そうね。お父様のスキャンダル。
見つけるのはとっても面白そうね」
そう言って桜子さんは「ふふふ」と笑ってから依頼を引き受けた。
タイミング的には成果を出すのは難しいだろう。今のご時世、政治家のセキュリティ体制は厳しい。
「どうせ黒川の周辺を探っても、スキャンダルなんて見つけられないだろうし、とりあえず黒川の故郷へ行ってみるわね」
青森で生まれた黒川。小学生の頃に両親が離婚した為、母親の実家のある岩手で高校まで過ごす。
大学入学を機に上京し、政治学を学ぶうちに竹山に出会い意気投合、長年支えあってここまで来たのだ。
愛香さんに教えてもらった黒川の実家の住所。
数年前に母親は他界しており、この地に住む親族はいない。
駅前は多少開けているが、人の気配もなく、過疎になりつつあるのが見てとれる小さな町。
当時の同級生から情報を探ろうと、小、中学校へ行ってみるが、小学校は統合され、中学校は廃校になっていた。
「思っていた以上に厳しいわね…あとは…高校…。大学からは総理と出会っているから…」
高校は隣の駅だったか…そう思って、来た道を戻り、駅に向かう。
ふと前を見ると、重たそうな荷物を抱えて歩く女性がよろめき、へなへなとしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」急いで駆け寄ると「ごめんなさい、驚かせてしまったわね…」そう言って女性は困ったように笑った。
「あの、荷物お持ちします。どちらまでですか?」
女性は恐縮しつつも、角を曲がった所に家があると教えてくれた。
見た目ほど重くない荷物。
重そうに見えたのは女性の足が悪かったから。
「昔痛めた足が、最近とても痛いのよ。そんなだから娘からは、一人で出かけるのを心配されるの。でも、そこまでの買い物くらい自分で行きたいじゃない?」
大通りから角を曲がって見えてきた女性の家は、古い大きな日本家屋だった。
「うわ〜…素敵なお屋敷ですね」
「祖父の代まで大きな商家だったの。その名残よ。娘は結婚して県外に住んでいてね、6年前に主人が亡くなってからこの大きな家には私1人なのよ」
荷物を玄関先まで運ぶ。
カラカラと引き戸を開けると、広いホールのような玄関。
そして壁にはたくさんの写真が飾られていた。
その中の一枚に目が留まる。
「ありがとうございました。助かりました。
良かったら御礼…と言うほどの物でもないのだけれど、お茶でも飲んでいかない?」
「ありがとうございます、実は喉が渇いていたんです。お言葉に甘えさせて頂きます」
リビングにはさらに多く写真が飾られていた。
「素敵なお写真ばかりですね」
「亡くなった主人は写真が趣味だったの。どこに行っても写真を撮るのよ。
これは娘が生まれた時ね、小学校に入学した時、運動会…あれもこれも写真に残すの。
「全部僕の人生だ」って。
それで私の昔の写真まで引っ張り出してきてね、飾ってくれたのよ」
そこにはリュックを背負った女性が、山を背後に数人と並ぶ写真が飾られていた。
「大学の頃は登山が趣味でね、よく登っていたの。その時に足を痛めてしまって。これが最後の登山だったわ。
それでね、ふふふ、私、この人と結婚の約束をしていて、当時はこの人と結婚するつもりだったの」
そう言って指差した男性は…
若き日の黒川だった。
「でもね、父が大反対してね…あれよあれよと言う間に父が連れてきた男性と無理矢理結婚させられてしまったのよ。それが主人でね、最初はとてもギクシャクした関係だったの。
それでね、ある日私が爆発したのよ。
「私には好きな人がいた!貴方と結婚するつもりはなかった!」って。
そしたら「その人を好きな貴方も好きだ!」って言われたの。
私びっくりしちゃって。
この人は父に無理矢理結婚させられたんじゃなくて、最初から私を好きだったんだって。
それを知ったら…
なんだか私の恋は偽物に思えてしまってね、ただの憧れだったのよ笑
それから私も少しずつ主人に惹かれて行ったの…」
「素敵なストーリーですね」
「ふふふ、こうやって話せば素敵だけど、当時はそれなりに修羅場だったわ笑
私は結婚も登山も諦めなきゃいけないんだって。でも、それも含めて「全部私の人生」よね。
今は主人と結婚して本当に良かったと思っているわ。幸せだったと…」
女性はご主人らしき人と並んだ写真をなぞりながら「不満は…ずいぶん早くに私を残して逝ってしまった事かしら…」呟くようにそう言った。
そしてあと半年後には、嫁いで行った娘の近くに引っ越す事も教えてくれた。
「ここともお別れだわ…」
「寂しいですね…」
「ええ…本当に…」
「その…失礼かもしれませんが、記念に一緒に写真を撮りませんか?」
「あら、楽しそうね」
女性の結婚式の時、ご主人との旅行、学生時代の登山など、たくさんの写真を背に、女性と並んで記念写真を撮った。
………
「ただいま〜」
「お疲れ様でした。どうでした?黒川のスキャンダル見つかりましたか?」
事務所に戻ってきた桜子さんは、これと言ったスキャンダルは見つける事出来なかったと言っていた。
そして数日後に事務所に来た黒川愛香にも、同じように報告していた。
「ごめんなさい、スキャンダルは見つけられなかったの…」
「そうですか…」
依頼主の愛香さんは肩を落とす。
「スキャンダルはなかったの。でも…もしかしたら、力になれるかもしれない。
お父様との話し合いに同席させてもらえないかしら?」
後日「30分だけ話を聞く」と黒川から指定された場所に僕と桜子さん、愛香さんが向かう。
僕は少し離れた席に座った。
しばらくすると黒川がやってきた。
反発心からか、夢中で話す愛香さんは興奮している。それを宥める桜子さん。
あっという間に30分経った。
その間、桜子さんは愛香さんをフォローするだけで、どちらかと言うと父と娘のやり取りを穏やかに見ているだけだった。
「…愛香、お前は若くて周りが見えていないだけだ。そいつとの結婚は許さない」
そう言って立ち上がろうとした黒川に、桜子さんは一枚の写真を渡す。
「……」
「先日…足のお悪い女性とお茶をする機会がありました。その方は夢を二つ諦めた…と仰っていました。でも、その後とても幸せだったそうです。これ、差し上げます」
そう言ってにっこりと笑った。
表情を変えずに写真を受け取った黒川は
「……そうか…」
と、一言残してその場を離れて行った。
………
「本当にエジプトに行ったんですね…」
あれからしばらく経って、黒川愛香さんから写真付きのメッセージが届いた。
『この度は本当にお世話になりました。
あれから父に、彼を一度家に連れてくるようにと、言われました。
彼に会うなり、父は私に席を外すように言いました。
そして父と彼と二人でしばらく話し合いをしていました。
どんな内容か聞いても彼は教えてくれないんですよ笑
その後、父は色々と条件付きで彼との結婚を許してくれたんです。
桜子さんのおかげです。
あの日、どんなスキャンダルで父を脅したんですか?そんな風に見えなかったので、本当に不思議です。
今はエジプトの環境に慣れるのに必死で頑張っています。
本当に、本当にありがとうございました。
黒川愛香』
メッセージには、青空の下で発掘作業をしている二人の写真も数枚添付されていた。
「桜子さん…どんなスキャンダルを見つけたか、僕に教えてくれても良くないですか?」
どうやって黒川の気持ちを変えさせたのか、僕にさえ教えてくれない桜子さん。
「本当にスキャンダルなんかじゃないのよ笑」
そう言って笑う桜子さんに僕は言った。
「黒川の事さえ動かせる…。
本当のÉminence griseは桜子さんじゃないですか…」
桜子さんに聞こえたかどうかはわからない。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございました。
活動報告に「ジャン=レオン・ジェローム 灰色の枢機卿」の絵画を貼っておきます。
ご興味がありましたらどうぞ(о´∀`о)
★脱字訂正、本当にありがとうございました!