父親の独白
「うん、何から話せばいいか……」
そう言った高松さんは一口グラスに口をつけると、ふう、とため息を吐いた。
「まあ、我が家の前提として、母がいないこと。これからだろう」
なんとなく気がついていたこと。
ゆずちゃんとの会話の中に、喜一郎さんの名前が出てくることはあるが、お母さんの名前が出てくることはない。
「壮絶な出産だったらしいと聞いている。俺が病院にたどり着いたときにはもう……」
当時を思い出すように、伏し目がちに語る。
「忘れ形見なんだ。あの子は。大切な、大切な」
当時を思い返しているのだろう。憂いを帯びた顔で、また一口ワインを口に含んだ。そうして、「さて、ここはなかなか大きな家だろう?」と続けた。
「昔、同格の家だった家は、とっくに一般の家庭になって、幸せに暮らしているところもある。……しかし、我が家は事業で成功してしまったんだよ」
高松さんのお父さん……つまり、ゆずちゃんのおじいちゃんが立て直すためにはじめた事業は軌道に乗り、今のようなグループ企業になったそうだ。
家をそのまま、下手すると貴族や華族であったときの最盛期よりもお金を手に入れたことで、昔と同じ、金持ち……いい家になってしまった。という。
「もちろん、そんなもんだから、父は死んだが、母は柚子に、過去受けていた教育をしたんだ。馬、琴、料理、敬語、お茶……いろいろだ。それに、金章は昔から有名な学校だったから、そこに無理やり入れた。俺に相談もせずな」
なるほど。だから、ゆずちゃんはあんなにいろいろなことができたわけか。
ゆずちゃんのおばあさんは元は平民だったそうだ。ただ、おじいさんと恋愛結婚した末、結婚後はその家格に恥じない教育を受けていたらしいとのこと。
それを身につけることに苦労したおばあさんは若いうちから、ということで早めの教育をしていたのだろうと。
「でも、それは悪いことじゃないんじゃないですか?」
「まあ、そうなのだが。ただ、俺は確かにグループの運営で大変な身ではあるが、相談くらいしてほしかったんだよ」
これでも、父親なんだ。と笑う。その顔は、寂しそうに見えた。
「柚子とは、接する機会が少ない。飯のときなど、出来るときは一緒にしようと努力しているが、そうも行かないのが現実だ。だからか、俺と話すとき、少し遠慮しているように感じるんだ」
悲しい話だが、俺の自業自得だな、と微笑しながらグラスに口を付け、うつむく。
「俺の母だが……柚子が学校に行くにあたって、一つ注意していたらしい。『交友は選べ』とな。あのババアはかなりの選民思考でな。俺たちの家のものが、君たちみたいな一般家庭の人間と接することを好まないんだ。何が違うのか、問いただしたいくらいだがな」
それも、経験に裏付けされたものだから強くは言えない。と吐き捨てるように言う。
「幸い、柚子はそこに関して影響を受けなかった。だから、友達がほしい。と食事をしていたときに言っていた。しかし、金章の中等部で、俺の母から注意すべきと言われていたものの筆頭である、取り入ろうとするやつを知ってしまったんだ」
金章学園の中等部は、「良家」と呼ばれる人達が行く、という話をしたが、その中には没落しかかった家もあり、そういった家の者に、取り入られそうになった。そんな、中学生には厳しい話だった。
「他人が信用できなくなったみたいだった。外にも中々出なくなり、家でずっと勉強。何を言われたのか、『私はこの家の道具ですから』とまで言い出した。その時は叱ったが、それも響いていたのかわからない。ただ、自分は、家のために結婚させられる、という意識にはなってたな」
「もちろん、そんなことはないんですよね?」
「当たり前だろう? 俺は、そんなのおかしいと思っている。実際、父は恋愛結婚を肯定していて、俺と妻も恋愛結婚だ。そもそも俺の父と母も恋愛結婚なんだ。柚子にもそうしてほしい。あいつが結婚したい人ができたら、その時は全力で応援する」
その優しげな笑みは、父でもあり、母でもあるように見える。あまり接することができなかったにせよ、母がいない状態で娘を育てた父の姿だろうか。
「他人が信用できなくなった柚子にも、信用できる人、尊敬できる人がいた。十亀結梨花だ。その理由は、いろいろあるが、取り入る可能性はないからかもしれない」
彼女は柚子より頭がよく、この家より十亀グループの方が金も持っているし、十亀とこの家は既にかなり大きな関係があるし、友人も多いから、別に柚子に拘る必要はなかった。だからだろう。と話す。
「今までと、柚子は変わった。一番は、人に対する接し方が変わった。今までは、教わった通りの友人の作り方をしていたが、十亀結梨花に友人の選び方を教わったらしい」
十亀会長こそ、取り入ってくる人間は多そうなものだが、それを綺麗に選び生徒会メンバーを始めとして、仲良く話す友達と言ってもいいような関係の人を作っている。
「何だったか……たしか、相手が自分がいなくてもそこで完結できている人間、そして、自分が友達になりたいと思った人間が、いい友になれる条件と言っていたと思う」
それを本当は俺が教えてやらなきゃいけないんだがな。そう言って自嘲するように笑う。
「中学のうち、そのあとはあまり周りと関わりあわないようになったが、柚子は全く気負った様子は無かった。おそらく、『心配しなくていい。自分が心から好きだといえる人を友達にすればいい』という言葉とか、いろいろな言葉を、十亀関係で聞いていたからだろう。君も生徒会の一員らしいね? あの生徒会は、実はもともと十亀結梨花の友人だけで構成されていて、中学卒業までにはあのグループは出来上がってたんだ」
他校とか、いろいろ事情はあったが、そんなのは関係ないといわんばかりに交友関係を伸ばしていく十亀会長。想像に難くない。
「そういった積極性こそなかったが、十亀結梨花の周りの人間とも関わっていくうちに、安心できたのだろうな。実際、当の十亀も、小学までは孤高の人間という感じで、友はいなかったらしい。多分、お眼鏡にかなった人間がいなかったのだろう」
「……あの、十亀会長が?」
「意外とそんなもんさ。別に、目に見える所だけが正しいことじゃない。ただ言えることは、十亀結梨花が素を出せているのは、信用できるものの前だけだよ。それこそ、生徒会とか」
確かに、覚えがある。全校生徒の前に立つときの十亀会長は、凛々しい顔を崩さず、ジョークを交えつつ、うまい話術で、完璧な生徒会長にしか見えない。
「まあ、ともかく、その状態で中学を卒業したもんだから、友達が一人もいなかったんだ。もちろん、十亀たちとは関わりがあったみたいだが、それも憧れといった感じで、友達という感じではなかった。そこでいつも通りテストを受けて……そこで、初めて柚子は一位から陥落した」
その紙を持ってきたときは驚いたよ。と、少しうれしそうに笑った。
「びくびくしながらこっちにその紙を持ってきた。もしかしたら、怒られるとでも思っていたかもしれない。でも、俺は怒る気はなかった。それでも三位。怒るような順位でもない。それに、初めて三位になって悔しそうなな顔をする柚子を見て、安心したんだ。ああ、確かにこの子は意思を持っている。やっぱりこの子はただの家の道具じゃない、とな」
ひまり、咲ちゃんの事だろう。俺としても、あの二人はやっぱりまた違うものを持ってるからな。
「そこからかな。多分、興味を持ったんだと思う。自分を超えた二人に話しかけた、友達になれた。でも悔しいから今度のテストは負けない……今までよりずっといい表情で、話してくれた。そして、俺を見つけたら、積極的に話してくれるようになった。俺も仕事があるから、もちろん途中で会話を切り上げることもあった。でも、そのたび、ひどく悲しそうな顔をするんだ」
見覚えがある顔が思い浮かんだ。俺たちが帰るといった時のゆずちゃんの表情。何かを我慢するような表情だ。
「あの子のあんな顔はあまり見たくない。だから、あの子が嬉しそうに友達だと話してくれた君たちに、勝手に期待しているんだ」
これが勝手なおっさんの独白だ。君はどう思った?と、からかうように言って、高松さんはグラスに残ったものを飲み干した。
「ああ、君みたいな人が、婿に来てくれれば、この家も、柚子も安心なんだがなあ」
「あははは、俺じゃあゆずちゃんに似合いませんって」
「ん? となると、柚子自体が肯定するならやぶさかではない、という事か?」
「どうでしょうね?」
ごまかすように笑う。こう言っておけば、どうせゆずちゃんが俺を好きになる事なんてありえないんだから、冗談の返しとしては及第点じゃないか?
「さ、もう寝ようか。未来の娘婿候補?」
「御冗談を。未来のお義父さん候補?」
そう返すと、高松さんは笑って肩をたたいてきた。
「これがフラグというやつか?」
「ゆずちゃんが俺なんかを好きになるわけなんてないんですから、そんな事ありえませんよ」
高松さんは少しびっくりした表情とともに意味深な笑みを浮かべ、「それはどうかな?」と言って、手元の新しいボトルを開けた。