ゆずちゃんの父親
風呂場の外に設置されたベンチに座って、暫く待つ。
自販機を見ながら、風呂場まで財布を持ってくればよかったかな、と少し後悔しながら伸びをして、あくびを一つすると、賑やかな声が聞こえてきた。
「いやあ、気持ちよかったね」
「うん。お家にこんな大きなお風呂があるなんて、正直羨ましいかも」
「でも、毎日この広いお風呂に一人っていうのも寂しいですよ。機会があれば、小さなお風呂にも入ってみたいです」
三人ともあたたかそうな和服で上がってくる。小袖と呼ばれるものらしい。その上に羽織を着ている。可愛らしい。
「ああ、やっぱり先輩先に上がってました?すいません。おまたせしましたか?」
「そんな長く待ってないから気にしないで良い。それより、ゆっくり楽しめたか?」
「はい。すごく気持ちよかったです。久しぶりにあんなに大きなお風呂に入ったので、新鮮でした」
ふふ、と笑いながら咲ちゃんはベンチの隣に座る。
ひまりはゆずちゃんと一緒に自販機の中を吟味しつつ、隣のアイスの自販機にもちらちら目を向けている。
「それにしても大きな風呂場だったな」
「ゆずちゃんに聞いた所、やっぱりお手伝いさんたちも入るお風呂らしいですよ。その時間に入ると、一杯になってるんだとか」
「こう大きい家だと、お手伝いさんも多いんですねえ」と、ゆるい表情で楽しそうに話す。足を揺らしながら、楽しそうに鼻歌を歌い、こっちまでほのぼのした気分になってくる。
あ、と思いだしたかのようにこちらをぱっと向き、にへっとした笑顔で笑う。
「先輩、着流し姿、似合ってますよ」
「咲ちゃんも、和服に合ってるね」
「ありがとうございます」風呂上がりの紅潮した顔でそう言って、すっと立ち上がり、「私も行ってきますね」とゆずちゃんとひまりで何を飲むか悩んでいる中に入っていった。
「うーん……想像以上に嬉しかったかもな」
和服を着た特別感からか、風呂上がりの独特の雰囲気からか、はたまた別の原因か、さっきのやり取りから胸が大きく脈打っている。
顔も若干赤くなっているような気がして、こんな顔ではあの三人にからかわれてしまう未来が見える。
「先に帰っとくからな」
「わかった!」
だから、これはあくまで戦略的撤退だ。別に、三人が思ったより可愛く見えたからでは、ない。信じてくれ。
●●●
戻ってきた三人は、急いで洋室の方の部屋の冷蔵庫にジュース(ひまりはアイスも買っていた)を入れ、昼も向かった食堂の小部屋へと向かう。
「お食事、楽しみだなあ。ねえ、高松ちゃんっていっつもこんな感じの生活してるの?」
「概ねは。……でも、いつもはこんなに楽しくないですよ?」
咲ちゃんはここでの生活が相当気に入ったのか、ゆずちゃんと歩きながら話している。
ひまりはと言えば、今俺のとなりでコーラを一気飲みしたことを後悔している真っ最中なので、差を感じる。それで良いのか妹よ。
昼と同じ部屋に入り、談笑していると、運ばれてくる料理たち。昼も天ぷらだったし、家も和の趣がある家だし和食が出てくるかな、と思っていた。が、予想外にも、美味しそうなハンバーグが鉄板に乗って出てきた。この前もらったものも相当美味しそうな匂いがしたものだが、こちらに比べると少し劣った気がしてくるのだからすごい。
「ハンバーグですか?今日は和食の日だと思っていましたが……」
「はい。喜十郎様が『今日の夕飯はハンバーグにするように』と」
ゆずちゃんも知らさせていなかったようだが、俺はなんとなくハンバーグになった理由に気がついた。
風呂で話した感じ、それに丁寧に書かれていたこの前のハンバーグの手紙。おそらく、高松さんは覚えていてくれたのだろう。ひまりがハンバーグを好いていることを。
「うわあ……美味しそう!これ、ご飯おかわりしちゃいそう」
「ご飯のお代わりなどは気軽にお呼び下さい」
ひまりは目を輝かせながらハンバーグを見つめ、それを従者さんが優しい目で見る。
「ゆずちゃん。多分、高松さんはひまりのためにハンバーグに変えてくれたんじゃないか?」
「ああ、この前来たとき、お父さんもハンバーグの話を聞いていたので、ありえますね」
「ごめんな。妹のせいで」
「いやいや、良いんですよ。不思議に思っただけで、別にハンバーグが嫌なわけではないですから」
「だいたい、この年にもなって、好みのご飯じゃなかったくらいで機嫌悪くなったりしませんって」と笑う。
「じゃあ、食べしょう。いただきます」
ゆずちゃんの音頭の後、全員分の声が響く。至高のハンバーグと、可愛い後輩達と妹。幸せなひとときだった。
●●●
「ん?」
肩に重みがのしかかってくる。
ご飯を食べた俺たちは、和室まで戻ってきて、遊びの続きと洒落込んでいたのだが、お代わり含め大量にご飯を食べたひまりが早々に寝てしまい、しばらくするとゆずちゃんも規則正しく寝息を立てはじめた。
その後は残っていた俺と咲ちゃんで他愛のない話をしていたのが、慣れない一日で疲れたのか、肩に乗った咲ちゃんは健やかな寝顔をしている。
布団が端においてある。三つ分だ。それを広いところに敷き、それぞれを寝かせる。ひまりは座卓のところで寝転がっていたし、ゆずちゃんは座卓に突っ伏している。咲ちゃんはさっきまで並べていた二人で会話していた座椅子二つに横に寝ている。
皆軽いものだ。もともと全く筋肉がないわけではないため、特に苦労はしないだろうとは思っていたが、それにしても軽い。やはり小柄だからか。
全員を寝せ、座卓も端に寄せ、やることは終わった。さて、俺はどうしようか。確か、なにかあったときにと、お手伝いさんがいる部屋があると言っていたな。行ってみるか。
「あ、どうも」
廊下に出て、その部屋へ向かおうとしていると、廊下の道中で高松さんと出会った。
「どうかしたのか?」
「いえ、私が寝る場所はどこかなと」
「……そうか。ついてきなさい」
振り返った高松さんはどんどんと先導していくので、それを急いで追いかける。
最初にきた玄関のところを、今度は右手に入っていく。
さっきまでのところとは違い、廊下の隅々まで細かい装飾がある。きらびやかな宝石類ではないが、その彫刻や立派な梁などを見ていると、その価値も何もわからない俺でも圧倒されてしまう。
暫く進むと、廊下などと比べると少し装飾は少なく、地味に見える扉が現れた。
「ここだな」
「入っても?」
「もちろんだ」
中に入ると、そう小さいわけではないが、この家の感覚で言うと少し小さめの和室があった。その広縁にはテーブルと椅子があり、窓からは庭が見える。
「来なさい。そこの椅子にでも」
「は、はい」
そして、この部屋は生活感がある。大きな布団と別に、普通の布団が離されて敷かれているが、その他はもともとそこにあったかのような感じである。
「あ、あの、ここって……」
「ああ、俺の私室だよ」
椅子に座ると、俺の目の前に置かれていたきれいなグラスに、ジュースが注がれる。「君は未成年だからな」と、少しゆずちゃんに似た微笑を浮かべる。
「ま、そんなに固くならないでくれ。俺は今高松家の当主として話してるわけじゃないんだ。いや、それもあるかもしれないが、柚子の親として話している」
その表情は、暗いようで、明るいようで。
複雑そうで、何処か単純そうでもあった。