他の子のじゃなくて、私とあなたの話をしましょう
「お願い、聞いてくれてありがとうございます」
いつか来た図書館で、勉強道具を広げながら咲ちゃんは言う。
「全然いいよ。特に勉強することもなかったしね」
入試のときも使っていた、高校生用の参考書を取り出し、丁寧に線が引かれたノートを開く。
「授業、すごく真面目に受けてるんだね」
「どうしてそう思ったんです?」
「ノート、すごくきれいに取ってる。俺のとは大違いだ」
俺のノートはといえば、板書するだけして、線も何も引いていない。ひまりと同じスタイルだ。だから、きれいなノートを見ると尊敬できる。
「ノートなんて人次第ですよ。私はひまりちゃんみたいに板書するだけで高得点が取れるほうがすごいと思いますけど」
そういった咲ちゃんは、眼鏡を取り出し、掛ける。初めて見る姿だ。
「咲ちゃん、眼鏡かけてたっけ」
「ああ、これは、コンタクトに疲れたからです。お家にお邪魔する時以外は付けてますよ?あと勉強のときも付けてますね」
今日はちょっと疲れちゃいましたから、眼鏡です。と、特になんでもないように答える。が、俺は少しどきりとした。なるほど。これがギャップか。
「それにしても、成績、すごく良くなってたね」
「ああ、先輩のおかげです。苦手だった数学を克服できたので、他の教科も少し予習と復習するようになったらぐっと良くなりました。それでもひまりちゃんには敵わないんですけど」
えへへ、と小さく笑って照れたように頬を染める。こうは言うが、嬉しいのは嬉しいのだろう。それはそうだ。入学できるかどうかという話をしていた自分が今では内部進学生を抑えて次席なのだから。
「咲ちゃんが頑張ったからだな」
「いえ。先輩のおかげです。先輩がいなかったらきっと……」
想像したのか、少し身震いして、腕に抱きついてくる。「本当に、先輩に教えてもらえることになって良かったです」と言う。教えている方としてはこれ以上ない幸せだな。
「じゃあ、せっかく二位なんだ。次はひまりを越すのを目標にするか!」
「ううむ。壁は高いですね。こうなれば一生懸命やりますよ!」
「でもひまりだけに気を取られてると、ゆずちゃんに足元すくわれるぞ」
「わかってます!」
ちなみに、今の成績順は、ひまりが一位で、そこから少し差があり咲ちゃん。そこから離れてゆずちゃんで、そこから何十点も離されて他の子達だ。ちなみに、他の子達も例年より成績がいい子が多いらしい。規格外すぎる。
「ちなみに、あの高松柚子ちゃんって、もしかして……」
「あー、はい。十亀先輩と同じ感じです」
なるほど。十亀先輩の家は昔の華族からだいぶ離れた分家らしいが、そこから財をなして、今をときめく大財団になったそうだ。
ほぼ元華族みたいな人は近くにいなかったそうだが、厳しく元華族としての教育を施されていたとは十亀先輩のお父さん……もとい現十亀家当主の言。
「ちなみに、いっつもあんな感じの子なの?」
今日はじめて会った印象は意外とテンションが高くて、すごく可愛らしい感じだったが。
「あー……あれは多分緊張してましたね」
「緊張? そりゃあ何で?」
そう言うと、少し言いにくいように「うーん」よ唸った後、まあいいかと言うように「先輩だから言うんですよ?」よ少し置いてから話しだした。
「少しコミュニケーションが苦手みたいなんです。話すのに支障があるというわけではないんですけど……私達とはじめて話すときも、人見知りしちゃってたんですよね」
「そうなのか? そうは見えなかったけど」
そう言うと、確かに?と言って考え込んでしまう。
「うーん……あれは、やっぱりテンションが高いように見えたんですよね。いつもはもっと落ち着いた感じなんですけど」
「でも、人見知りなんだろ?」
「ああ、それについては私達が先輩のことはよく紹介していましたし、生徒会の会長さんからも結構情報を聞いていたみたいなので、少しは緩和されてるかなと思うんですよ」
「はあ……じゃあ何でそんなにあんなにテンション高めだったんだろうな」
「うーん……何ででしょうね? あれは。でも先輩のこと興味を持っていたみたいだったので、もしかしたら先輩に会えた嬉しさと人見知りが混ざってテンション高くするしかなかったのかも」
なんとなくしっくり来た。なんだか照れ隠しのテンションだった気がするのだ。たまにひまりがするので見慣れているからかもしれない。
すごい令嬢のイメージは会長に破壊されているのだが、一般論で言うと友達がいっぱいというイメージは薄いように感じるからな……。
「ちなみに、勉強会しようって言ってたゆずちゃんの家って、どんなの?」
「あの、多分先輩も見たことあると思います」
スマホを操作し、写真を見せてくる。城の内部にこんな広間があったな、と思うほど広い畳の部屋で、ひまり、咲ちゃん、そしてゆずちゃんで自撮りをしている構図。
「でっか」
「すごかったです。あの、この辺にまるで城跡みたいなおっきな和風の建物があるじゃないですか」
「ああ、遊園地みたいな大きさのあれ?」
「あれがお家でした」
はあ!? 一周するのに歩くと何十分も掛かりそうなあそこが!?
そこそこ以上の家庭であることは予想に難くなかったが、かなりの良家なんだな。もしかすると、十亀先輩を越すほどの家である可能性もある。
「そりゃあ、また」
「とってもいい子なんですけど、ちょっと常識と外れたところもありますね。あの家について、特別なイメージはないらしいので」
そりゃあ、そうだろう。その大きなお屋敷の中でずっと暮らしているならわからなくてもしょうがない。今日話した限り、人を不快にさせたりするタイプの無知ではなかったので、そこは心配ないかもしれない。
「でも、街とかでいろいろ紹介すると、すっごく喜んでくれるんです。そこが可愛くって」
ペンを動かし、ノートを見つめながら優しげな目線になる。咲ちゃんとすごく相性がいい子なのかもしれない。なんだか心がほんわかしてくる。
「む、そろそろいいんじゃないですか? 折角久しぶりにふたりきりなんです。他の子じゃなくって私と先輩でお話しましょう」
またゆずちゃんに関する話をしようとしたら、それに感づいたのか、ノートから目を外し、じっとこちらの目を見つめてくる。大きめの眼鏡がかわいい。
「咲ちゃんがかわいいって話をする?」
「ふぃ!? なんですかそれ!」
「いや、その大きめの眼鏡、似合っててかわいいなと」
赤面しながら少し距離を取ってくる咲ちゃん。その目は随分と怪訝そうである。なぜ突然そんなことを言い出したか、必死に頭を回して、その原因を探していることだろう。
「悩ましそうな顔もかわいい」
「んん! 止めてくださいって! はずかしいですよ!」
顔を近づけながらそう呟いてやる。大きい声で言うのは図書館ではマナー違反なので、ボソボソと、囁くように。
「う、うう……こんなこと、前もあったような……」
あっ! と、何かに気がついたような顔をする咲ちゃん。顔を両手で挟んできて、一言。
「先輩、さては眠いですね?」
ゆっくり首肯。なんでわかったんだろう。
「うーん。ほんとはもっといたかったんですが……まあ、先輩がこの状況じゃ、私が耐えられません!さ、今日は帰りましょう」
ぱっぱと手際よく鞄の中に勉強道具を片した咲ちゃんは、立ち上がった俺の背中をぐいぐい押して外へ出る。
「さ、帰りますよ。今日は早く寝てくださいね」
「ああ……かわいい咲ちゃんの言うことだ。きっと守るよ」
「んもう!」
また少し顔を赤くした咲ちゃんはとっとと先を進んでいくが、ぱっと振り返り、笑って言った。
「そういうのは、寝ぼけてないときに言って下さい!」
ほんのり顔を赤くしたまま、走り去るように、咲ちゃんは家路をたどっていった。
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「本当にすいませんでした」
俺は夜、この前も言った同じ言葉を繰り返すように言った。
『まあ、良いですよ。先輩と二人で勉強をはできたわけですしね』
意外と機嫌良さそうな声色で、咲ちゃんは話す。表情は電話越しであるのでわからないが、きっとにこやかな顔をしていることだろう。
「なにかお詫びを……」
『そんなのは良いですよ。強いて言うなら、明日からもお願いしますね』
女神か? きっとこれがひまりなら今頃俺は高級アイスを買いにコンビニまで走っていたことだろう。
『ちなみに、私が最後に言った言葉は覚えてますか?』
「いや、覚えてない」
『……そうですか。じゃあ大丈夫です。では、また明日』
「ああ。また明日。……今日、眼鏡、似合っててかわいかったよ」
『……ばか』
切られてしまった。が、何だか最後の言葉が可愛らしくて、しばらく口角が上がったままだった。




