38◆Bradley
大丈夫だろうと自分では思えたが、念のために解毒薬を飲めとロトに言われた。体はもう随分楽になっている。
ただ、心が乱れすぎていて体まで軋むような気がしただけだ。
ルーシャはレーンと一緒に馬車に乗った。ナタリーという娘も。
この馬車を護って王都まで行く。皆で馬車に乗っていてはいざという時に動けないから、ブラッドたちは馬に乗る。この時になって初めて、あの町に潜伏していたロトとレーンの兵がすべて出そろった。
ブラッドを含めずに総勢八人。そんなにいたのかと驚いた。それはブラッドが教えられていた以上に多かったのだ。
彼らもまた馬車を警護しながらついてくる。
そんな中、ブラッドは先頭を行くロトの隣に馬を寄せた。
「隊長」
今はそう呼びかけた方がいいと考えた。そのくせ、内容はとても個人的なことである。
「彼女と話をさせてほしいと?」
ブラッドの願いが透けて見えたらしい。先回りして言われ、ブラッドは言葉に詰まった。
ロトは馬車から注意を怠らず、素早く言う。
「全部終わってからだ」
「全部終わったら、どうやって話す機会があるって言うんです?」
苦々しい気持ちで吐き捨てた。
もともと、ブラッドを引っ張り込んだのはロトとレーンなのだ。
それがこの段階に入って、お前はもう用済みだと追い払われようとしているのか。そんな都合のいいことをされたくない。
ルーシャには必ず返事をすると言った。その約束を果たしたい。
すると、ロトは嘆息した。
それは義弟に対するものではなく、騎士としての顔だった。
「今はとにかく彼女を無事に送り届けること、その身を護ることだけを考えねばならない。それ以外のことを優先できる状況ではないんだ」
勝手だ。どこまでも。
それでも、ロトが独断で許可を与えられることでもないのだと、本当はわかっている。
もしブラッドがルーシャと二人でいて、昨日のようなことにならないとは言えないのだ。ブラッドがルーシャを護りきれないからいけないのだと言われないだけマシなのか。
ブラッドが無言のまま落ち込んだのがわかったからか、ロトは妙に優しい目をした。
「何もかもが上手くいく、そんな道を選べたらよかったのにな」
そんな都合のいいものはきっとない。
だからこそ、誰かが傷ついて、誰かが道半ばで倒れてしまうのだ。
ブラッドは置き去りにされた道の途中で腐っていくのか、それとも、明るい方へ歩いていけるのか。
それは誰にもわからない。自分自身でさえも。
馬車が到着したのは、ロトの館だった。ここで支度が整うのを待つと。
馬を預け、ブラッドは館へ入った。勝手知ったる他人の家――姉の嫁ぎ先である。
すれ違う使用人たちがブラッドに挨拶してくれた。いつもよりも硬いのは、大事な預かり物のせいだろう。
廊下でドレスにショールを羽織った夫人と出会った。姉のエレインだ。
「姉さん」
呼びかけると、エレインはにこりと柔らかく微笑んだ。
「お嬢さんたちなら部屋にお通ししたわ。二人一緒の部屋だから、お一方と親しくとも勝手に踏み込んでは駄目よ」
ウフフ、と声を立てて笑われた。ロトから何か聞いているのだろう。
ブラッドはバツが悪かったけれど、人見知りなナタリーが一緒では、ブラッドが現れた途端に心臓を止めてしまいそうだ。
自重するしかないとブラッドが考えるのを承知で、レーンはナタリーを連れてきたのかもしれない。そう考えたらとても腹立たしかった。
エレインはじぃっとブラッドを見つめ、訳知り顔で言った。
「ミリアムに会ったわ」
そのひと言にギクリとしたが、ミリアムが無事家に帰ったということで安心もした。
「そうか」
それだけ言うと、エレインはフッと目を綻ばせた。
「それだけ?」
「うん……」
すると、エレインは首をかしげてみせた。そうしていると、いつまでも少女のようだ。
「ミリアムもあなたのことをなんにも訊ねなかったわ。こんなことって初めて」
「ああ、そう」
「そうよ。むしろ、あなたの話題を出してくれるなって顔をしていて。女の子は鋭いから、すぐにわかるのよね」
何を、と訊ねるまでもない。
「あなたの関心が全力で自分に向いていないこと。あなたの心に別の女性がいるってこと」
実の姉からこんなことを言われるとひどく恥ずかしい。それでも、エレインは続けた。
「とても素敵なお嬢さんだわ」
「うん……」
ただし、ルーシャはすでにブラッドの手が届く存在ではない。
どうしても表情が暗くなる。そんな弟に、エレインはそっとささやいた。
「ねえ、ブラッド。私は、あのお嬢さんを好きになったあなたを褒めてあげたいわ」
「それでも、俺は何もできない」
遠くへ行こうとするルーシャを見守ることしか。
「そうだとしても、ね」
エレインの微笑みは、疲れたブラッドをほんの少し救ってくれた。




