37◇Lucia
ルーシャは突然の事態に、荷造りをする手が震えて仕方がなかった。
自分の家族は祖母だけだと思って生きてきたのに、まだ祖父がいるのだという。それも貴族だ。
〈リスター〉という家名の貴族は、ルーシャが知る限りでは公爵だったように思うけれど、他にもいるのかもしれない。
父方の祖父母については祖母もそれほど詳しくはなさそうだった。だから、ルーシャもそこは気にしても仕方がないと諦めていた。
嬉しいかと問われると、よくわからない。
身内がいたことは嬉しいけれど、庶民のルーシャが気に入られるとは思えなかった。一度だけ会ってそこをはっきりさせればいいだろうか。
けれど、身内から冷たくされたら、やはり傷つくかもしれない。
今は戸惑いが大きくて、まともに頭が働かない。
ただ――。
多分ブラッドは最初から、ルーシャが貴族の血を引くと知らされていた。
だからこそ、ルーシャの護衛として派遣されたのだと今なら納得できる。
彼がたくさん心配してくれた本当の理由はなんだろう。
全部が全部、仕事だとか、そういうことではなかったはず。
少なくとも、ルーシャはそう思いたかった。
支度を終えて一階の部屋に戻ると、そこにジャックはいなかった。
もしかすると、もう会うこともないのだろうか。それはルーシャ次第なのかもしれないが。
「あの、出かける前に祖母のお墓に参ってもいいですか?」
一度町を出たら戻るのが容易ではない気がした。だからせめて、祖母の墓に報告してから行きたい。
これにはロトがうなずいた。
「わかりました。そう長く時間は割けませんが」
「ありがとうございます」
そこでレーンが先に部屋を出ていく。
「あたしも一度家に戻るわ。ナタリーにも支度するように言ってきたから、連れてくる」
「ああ、急げ」
レーンは苦笑し、それから一度ブラッドを見た。ブラッドはずっと無言だった。じっと静かにベッドに腰かけたまま動かない。
体はもう大丈夫なのか訊きたいけれど、声をかけてほしそうに見えなかった。
それでも、どこかで落ち着いて話がしたい。ブラッドの本心を聞かせてほしい。
けれど今は二人きりになるという、ただそれだけのことが難しかった。
ルーシャはロトとブラッドにつき添われて墓地へ行った。
短い祈りの中、祖母に報告する。
祖母はどこまでのことを知っていたのだろう。知らないととぼけていたかっただけなのかもしれない。
知っていたからこそ、ルーシャに自分を大事にするようにと言い聞かせていたのか。
今となっては何もわからないけれど。
ルーシャが墓地から出る頃には黒塗りの四輪馬車が用意されており、その馬車の中にレーンとナタリーが先に乗っていた。
ナタリーは、うるうると目を潤ませている。
「ルーシャ、大丈夫?」
自分以上にうろたえているナタリーを見ると、不思議とルーシャの方が落ち着いた。
「うん、大丈夫。ナタリー、つき合わせてごめんね」
「いいの、わたしにとってルーシャは大事な友達だから」
もしルーシャがこの町に戻らなかったら、ナタリーはどうするのだろう。
とても大人しいナタリーだから、誰かとペアを組むにも慣れるまでが大変だ。レーンにはナタリーの性格をわかってくれる人を選んでほしい。
ルーシャが馬車に乗り込むと、扉が閉まった。不安がないと言えるわけがない。
ナタリーがルーシャの手を握った。ルーシャもその繊細な手にすがるようにして握り返す。
レーンは困ったようにそんな二人を見ていた。
ロトとブラッドは馬車には乗らないらしい。
何かあった時に対応しきれないので、騎馬に乗ってついていくとのことだ。
ルーシャからブラッドの姿は見えなかった。本当についてきてくれているのかさえわからない。
それから、馬車に乗っていたのは半日くらいだ。その間、窓の外を見ることもさせてもらえなかった。事情が事情なので仕方がないとは思うけれど。
到着した建物についても詳しい説明はなかった。ここは王都のどこかだろうとだけぼんやり考えた。
そのルーシャの血縁者のところに直接向かったわけではなく、ここでしばらく待つということらしい。
レーンが周囲を気にしながら馬車を降り、それからルーシャとナタリーをエスコートして降ろしてくれた。
「店長、ここは?」
「シッ。お喋りは後」
敷地の中だけれど、油断はするなということらしい。
ルーシャはナタリーと顔を見合わせた。
この館は、庶民のルーシャからすると十分大きかったし、立派だった。落ち着かないながらにルーシャはここで匿われることになるらしい。
中はどちらかというと落ち着いた趣味のいいインテリアだった。シンプルなタイルの廊下を歩いていると、この館の女主といった風体の女性が迎えてくれた。
「さあ、こちらにどうぞ」
とても優しげな美人だった。茶色の髪を結い上げ、モスグリーンのドレスを着ている。年齢は二十代半ばくらいだろうか。
「ありがとうございます」
ルーシャたちが気後れしていても、その女性はあたたかな目をして微笑んでくれた。それがまた不思議と落ち着く。




