36◆Bradley
不甲斐ないと、そんなことはロトに言われるまでもなく自分が一番思っている。
それもジャックに助けられたというのがまた惨めだ。――いや、自分の矜持よりもルーシャの方が大事なのだから、ジャックには感謝しなくてはならない。
けれど、この状況がよいとはとても言えなかった。
ロトがここに現れたのは、現状に不安があるからで、もうブラッドだけに任せておけないということだ。つまり、共同生活の終わりが来たのだ。
ついにルーシャは自分の素性について知ることになる。
ブラッドは激しい動悸に耐えながらそこにいた。
ロトが嘆息し、それが始まりだと思えた。
「ルーシャ嬢、ご自分ではお気づきでなかったようですが、あなたはずっと狙われる可能性を秘めていました」
見るからに立派な風体のロトが、年若いルーシャに至極丁寧な口調で語りかける。だからルーシャは戸惑っていた。戸惑わせたのは発言の内容のせいでもあるけれど。
「私が狙われるって、誰にですか?」
「まだ確かなことはわかりませんが、あなたをよく思わない者もいるのです。あなたは、さる高貴な方の血を分けた存在ですので」
「……仰っている意味がわかりません」
それはそうだろう。
ごく普通の暮らしをしてきたルーシャなのだから。
この場で一番の部外者はジャックだ。けれど、ジャックはルーシャの祖母からほんの少し話を聞いているようだった。黙って成り行きを見守っているが、怪訝そうでもあった。
「ええ、それも仕方のないことです。ですが、あなたの血縁者である方は、あなたとの対面を希望されております」
ルーシャは、降って湧いた話に対して半信半疑のようだった。これを語るのがレーンとブラッドの兄だから、ようやく信じる気になったというところか。
「お会いするのは構いませんが。……アイザック・リスターという方ですか?」
その名前に皆がギクリとした。アビーが口にするまで、ルーシャはその名を知らなかった。
自分の父親の名だというのに。
すると、そこでレーンが口を挟んだ。
「いいえ。アイザックはもうこの世にいないの。あなたに会わせたいのは、アイザックのお父上。あなたにとったらおじい様ね」
ルーシャはレーンの方を振り向いた。そうしたら、ブラッドからルーシャの顔が見えなくなった。
「店長は全部知っていたんですね? だからあんなに、私に危ないって言って……」
「そうよ。この町に来た時から知っていたわ」
「だから私を雇ってくれたんですか?」
「それは偶然……って言っても信憑性に欠けるかしら?」
レーンの表情がいつになく緊張して見えた。ルーシャのことを傷つけないように言葉を選んでいるのだろう。
ルーシャはただ戸惑い、考え込んでいた。
「あの、その方にお会いして、それだけでいいのでしょうか?」
それを聞くと、ロトは軽く首を揺らした。
「先方はあなたを孫だと認めたら共に暮らすことを望むでしょう。そのためには貴族の一員として儀式を受けて頂く必要があります」
「おじい様は貴族なんですか? それって、私は今の暮らしを捨てることになるんでしょうか?」
「そうなります」
ルーシャはそれを聞くなり髪を広げてブラッドの方に顔を向けた。いつになく不安そうな目をしていた。
けれど、ブラッドは何も言ってやれない。
それでも、ずるいかもしれないけれど、ルーシャがその煌びやかな世界を選ばずにいてくれたらと思ってしまう。
無言のままのブラッドを見つめ、それからルーシャはうつむいて目を閉じ、つぶやいた。
「私はただの針子ですから、そんなにも立派な方と繋がりがあると聞かされてもピンと来ません。会ってお話して、それから決めるのでも構いませんか?」
思った以上に落ち着いて答えていた。
ルーシャは弱い娘ではないのだ。芯の強さが、こんな時だからこそ表れる。
むしろ、ブラッドの方がずっと女々しくて情けない。
「ええ、もちろんです。私どもができるのはあなた方を引き合わせることだけですから」
ルーシャはほっとしたように見えた。
それでも、次にロトが言った言葉は性急なものだった。
「あなたが狙われているとはっきりした以上、場所を移して頂く必要があります。至急王都へ向かいましょう。どうぞお支度を」
「え、ええと、仕事は……」
「店なら臨時休業よ。そうね、ナタリーも連れていきましょう。あなたの不安を和らげてくれるでしょうから」
ルーシャが戸惑っているうちに話が進んでいく。
「さあ、支度をして」
レーンに急かされ、ルーシャは二階へと上がっていった。
取り残された男たちの空気は最悪だった。
「……予定は前倒しだ。儀式の支度はギリギリだな」
ロトがそんなことをつぶやく。
すると、ずっと黙っていたジャックがブツブツと独り言を言い始めた。
「――なんて、それって――なのか? いや、ウェズリーさんは――……」
何を言っているのかよく聞こえない。混乱しているのかもしれない。
ルーシャの祖母もぼかして伝えたらしく、ジャックが持っていた情報は不確かなものだったのだろう。
「さて、ブラッド」
声をかけられ、ブラッドはギクリとした。
「お前も荷造りするほどの荷物はないだろうが、支度をしろ」
――うなずくことしかできなかった。




