2◇Lucia
「店長、私なりに考えたんですけど、物騒なら番犬を飼ってみたらどうでしょうか?」
翌朝、レーンの顔を見るなり言った。
虹色の髪の丁度青いところに寝癖がついている。
「番犬ねぇ……」
犬くらいでは駄目だと言いたいのか、渋っている。デザイン用の机の前で椅子にユラユラと揺られながら考え込んでいた。
「でも、危ないってやっと自覚したのね? 変質者がいた?」
「変質者というか……気のせいでなければ、時々誰かがこっちを見ているような気がしないでもないというか」
「それはいけないわ!」
急に大きな声を出したかと思うとしばらく考え込み、それからレーンはハッと何かを思いついたようだった。
「ああ、番犬にぴったりな心当たりがあるわ!」
その勢いに、ルーシャの方が若干引いた。
「そ、そうなんですか?」
「ええ。毛足の短い茶色の毛をした若いオス。中型だけどほどほどに筋肉がついていて俊敏なの。ちょっとくらい無駄吠えする日もあるかもしれないし、人懐っこいとは言えないけど、一度懐いたらとっても可愛いわ。あの子はいい番犬になるはずよ」
ルーシャは言われた通りの特徴の犬を思い描く。猟犬のようにスレンダーで躍動的な犬のようだ。
それは番犬には丁度いいかもしれないけれど、ルーシャに懐いてくれるだろうか。
その心配を口に出す前にレーンの方がにっこりと笑いながら答えてくれた。
「あたしの兄の伝手だから、安心して。さっそく頼んでみるわ」
そういうことなら、お願いしてもいいだろうか。
レーンの兄は弟とはまったく違うタイプらしい。会ったことはないけれど、話に聞く限りでは。
「ありがとうございます、店長!」
「いいのよ。可愛いルーシャのためですもの。その子、ブラッドっていうの。楽しみにしていてね」
ブラッド。
茶色の毛並みなら首輪は赤が似合うだろうか。
ルーシャはそんなことをウキウキと考えた。
レーンは一刻の猶予もならないとでも思ったのか、翌日には話をつけてきてくれた。
嬉しいけれど犬小屋の手配もできていない。家の中で飼えるだろうか。
「ルーシャが帰る頃には来るからね。一緒につれて帰ったらいいわ」
「はい! ありがとうございます!」
張りきって返事をしたルーシャの傍らで針を動かしていたナタリーが顔を上げる。
柔らかな髪が揺れて、零れ落ちそうなほど大きな青い瞳がルーシャに向いた。今日の水色のワンピースも完璧に似合っている。
「どうしたの、ルーシャ?」
おずおずと問いかけてくる。ナタリーはこんなにも可愛いのに控えめだ。
「うん、犬を飼うことにしたのよ。店長が連れてきてくれるって」
「うわぁ、いいなぁ」
ナタリーは田舎から出てきて、レーンのところに下宿している。つまり、この店の三階だ。
これも女の子が一人では物騒だからとレーンが言い出したのだった。ちなみに、レーンの他に家事を担当する住み込み女中がいる。犬を置くところはない。
目を輝かせているナタリーだが、彼女が想像しているのはぬいぐるみのような犬だろう。生憎と、ルーシャが飼うのは番犬だ。愛玩動物ではない。
「ちょっと顔を合わせてみないとなんとも言えないんだけど、懐いてくれるかなぁ」
「ルーシャなら大丈夫よ」
にこり、とナタリーが笑いかけてくれた。この笑顔を男に向けたらどんな男もイチコロだろうに、男性恐怖症とまでは行かないが男を前にすると固くなってしまうのだから勿体ない。
「だといいな」
ルーシャも笑い返した。
そして、残っている仕事を手分けして片づけようと張りきる。
解れてしまわないよう、丁寧に針を進めていく。グリーンの柔らかなモスリンが重なり合ったドレスだ。ひとつずつのパーツを確かめつつ、ビーズを縫いつけていく。
ルーシャは時折〈ブラッド〉という犬のことを考えて心が弾んだ。
絶対に仲良くなりたい。
しかし、そんな期待は見事に裏切られたのだった。
「……店長」
「なぁに?」
「話が違いすぎませんか?」
「どうして? 毛足の短い茶色の毛をした若いオスでしょ? 中型だけどほどほどに筋肉がついてるし、言った通りじゃない?」
心外だとばかりに言うレーンの態度に、ルーシャの方が泣きたくなった。
「だ、だって、番犬って言ったじゃないですか! この人、犬じゃないですよ!」
そう、用意された〈番犬〉は犬ではなかった。人間の、オスである。
ツンツンと尖った短い髪、長身とまでは行かないが中肉中背で引き締まった体躯。グレーのチュニックの肩から斜めに太い革のベルトを提げており、背には剣を担いでいる。
年齢は二十歳くらいだろうか。やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような印象だった。
左腕に模様のないシンプルな木製のバングルを嵌めていて、アクセサリーと呼べるものはそれくらいだ。
「あー、なんか変だと思った」
番犬ブラッドはそうつぶやいていた。
牙っぽい八重歯が見えたが、やはり犬とは違う。がっかりもいいところだ。