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3.予想外の流れ

 使者たちの背後、クルトの屋敷に続く道を、人間の群れが走っていた。数にしてざっと数十、もしかしたら百を超えているかもしれない。


 その人間たちは、どんどん屋敷に近づいてくる。どうやら、そのほとんどは農夫のようだった。


 毎日の農作業で鍛え上げられた男性たちが、手に手に大きな農具を持って駆け寄ってきていたのだ。しかも、ただならぬ様子で。


「お嬢様を守るんだあっ!!」


「王宮だか何だか知らねえが、お嬢様は連れていかせねえぞ!!」


 そんなことを叫びながら走る男たちからは、殺気のようなものがほとばしっていた。彼らの目はまっすぐに、使者とその周囲に控える兵士たちをみすえている。


「お嬢様はまだ無事だぞ!!」


「よし、囲め!!」


 あっという間に、男たちはバーベナのもとにたどり着いた。そのままバーベナと使者の間に割って入り、使者と兵士を取り囲む。


「な、何事だ!」


 使者は精いっぱい威厳を保とうとしていたが、その声は情けなく震えていた。


 それもそうだろう、クワやらカマやらの恐ろしげな農具は、全て彼に向けられていたのだから。それに、男たちの血走った視線も。


 農夫のまとめ役らしき男性が、よく研がれた大きなカマを手に進み出る。張りつめた筋肉で、シャツが今にも破れそうだ。


「あんた、お嬢様を連れ去りにきたんだってな」


「それ、は……せ、正当な調査のためである! バーベナ・クルト伯爵令嬢には、密輸の疑いがかけられているのだ!」


 ようやく調子を取り戻し始めた使者に、男はよく日焼けした顔を近づける。使者はまた縮こまって、びくりと震えた。


「で、あんたらはお嬢様を連れていって、どうするつもりだ」


「そそそれはもちろん、法にのっとり裁きを受け、しかる後に罰を」


「つまり、今ここでお嬢様を連れていかれたら、もうお嬢様は戻ってこないかもしれないんだな?」


 男の気迫にのまれてしまって、使者はただ震えることしかできなかった。


 そんな使者に、男は低くゆっくりと言い放った。


「帰れ。痛い目を見たくなければな」


 その声に続くように、周囲の男たちも一斉に騒ぎ立てた。


「俺たちが今こうしていられるのは、お嬢様のおかげなんだ!」


「密輸がどうとか、関係ねえよ!」


「俺たちにとっては、王よりお嬢様のほうが大切なんだ!」


 そうして彼らは、農具をにぎったたくましい腕を突き上げて叫ぶ。帰れ、帰れ、と。


 使者はそれ以上何も言わず、馬車に飛び乗って逃げ帰っていった。その後を、ほんのり青ざめた兵士たちが追いかけていった。




 そうして使者たちが退散していくのを見届けると、男たちはバーベナに頭を下げてから帰っていった。


 いつもお世話になっているお嬢様のためですから、これくらいお安い御用です。何かあったら、いつでも駆けつけます。彼らはそう言っていた。


 そうして、ぽかんとした顔のバーベナはミシェルと共に自室に戻ってきた。


 長椅子に腰を下ろして、彼女はほうと息を吐く。つい先ほどまで威厳に満ちていた彼女は、今は無垢な少女のようだった。


「できるだけ話を引き延ばすように、と言われた時は何のことか分からなかったけれど、まさかこんなことになるなんて……」


 彼女は感嘆と、あと尊敬を込めた目をミシェルに向ける。


「まるであなたには、この展開が読めていたみたいね?」


「はい、お嬢様。これこそが、私の思い描いていた策ですので。私一人でお嬢様を守るのは難しい。ですから、領民の皆様にも手伝ってもらうことにしたんです」


 にっこりと笑って、ミシェルは続ける。その視線が、ちらりと窓の外に向けられた。


「一年あれば、領民の信頼を勝ち取ることはできるだろうと判断しました。領民たちがお嬢様の味方をするのに十分なだけの、信頼を」


「さっきの農夫たちのように?」


「はい、そうです。使者が来ると聞いた時に、近隣の村に声をかけたのです。お嬢様を連れ去りに、王宮の使者が来たぞ、と。……男たちがあそこまでいきり立つとは、さすがに予想していなかったのですが」


 珍しくも戸惑いぎみのミシェルに、バーベナがくすりと笑う。そんな彼女に、彼は優しく告げた。


「今までお嬢様に策の全てをお伝えしていなかったのも、このためなんです」


「まあ、そうだったの」


「はい。いざという時、民が身をていしてもお嬢様を守ってくれるとの確証がなかったのが一つ。そして、お嬢様が策を知っていたら、その思いが民たちに伝わり、反感を買ってしまうかもしれない。そのような理由から、ずっと伏せておりました」


「ふふ、ありがとうミシェル。あなたの見立ては正しいわ。領民たちがわたくしを救ってくれると知っていたなら、きっとわたくしはそれを態度に出してしまっていたでしょうから」


 嬉しそうに笑うバーベナ。しかし彼女は、すぐに顔をくもらせてしまう。


「おかげで、わたくしは救われたわ。……でも、お父様は……」


 王都に行ったきり戻らない父親のことを案じ、バーベナはうつむく。


 一人娘である自分のことすらろくにかえりみない、私腹を肥やすことしか頭にない人物。それでもやはり、彼は自分のたった一人の父親なのだ。


 優れない表情のバーベナに、ミシェルはとても優しく笑いかける。


「旦那様についても、お救いするための手はございます。いずれ、いい方向に物事が動きますので、どうぞご安心ください」


 その一言だけで、バーベナは安心したようだった。肩の力を抜いて、長椅子の背によりかかっている。


「……ねえ、ミシェル。一つだけ聞いていいかしら。もし、一年で破滅を回避できそうになかったら、あなたはどうするつもりだったのかしら」


「その時は、あなたを連れて国外へ、どこまでも逃げるつもりでした。実はその準備も、整えていたのですよ」


「ふふ、本当に頼もしいのね。あなたがいてくれてよかった」


「お嬢様のためなら、私は何だっていたします」


「……あなたなら、本当に何でもなしとげてしまいそうね」


 そう言ってバーベナは朗らかに笑う。ミシェルもまた、意味ありげに微笑んでいた。




 王宮の使者は、いったんは帰っていった。けれど当然ながら、そのまま引き下がるはずもなかった。


 それからしばらくして、隊列を組んだ兵士たちがクルトの領地に向かっていた。先頭を歩く隊長は、やる気に燃えていた。我らならば農民風情にひるむこともないと、胸を張って。


 しかし彼らがクルトの領地に踏み入らんとしたまさにその時、前方からすらりとした人影が歩み寄ってきた。それは、いつもの執事服をまとったミシェルだった。


「これより先はクルトの領地にございます。こんなにもたくさんの兵を連れていらっしゃるとは、どのようなご用でしょうか」


「言わずと知れたこと、バーベナ・クルトを捕縛するためだ!」


 隊長が高らかに、少しばかり偉そうに言い放った。戦慣れしている彼が、戦いの経験のないミシェルのことを甘く見ているのはその態度から明らかだった。


「ご用件、確かに承りました。ですが申し訳ありません、あなたがたをこの先にお通しする訳にはまいりません」


 全く動じることなく穏やかに告げるミシェルを、隊長は鼻で笑いとばす。


「あいにく、何と言われようが押し通るのみ」


 そう言って彼は、周囲の兵に合図をした。彼らが一団となって歩き始めようとした、その時。


「それでは皆様、よろしくお願いします」


「おうともさ! 俺たちのバーベナ様のためだ、任せとけ!」


 やはり穏やかにミシェルが言い、それに続いて野太い声がした。


 同時に、あちこちから人がわいて出てくる。岩の陰、茂みの向こう。そんなところから、屈強な男たちが姿を現したのだ。


 やはり彼らは農民のようだったが、その手には農具ではなく長い筒のようなものを持っている。


「全隊構え! 第一隊、撃て!」


 ミシェルのきびきびとしたかけ声に続き、軽やかな破裂音が次々と鳴り響く。ほぼ同時に、先頭の兵士たちの足下で何かがはぜた。そこの地面が、不自然にえぐり取られている。


 ひるむ兵士たちに、ミシェルが静かに語りかける。


「これは銃という、遠方から攻撃できる武器です。弓矢よりも扱いやすく、弾を換えることで威力も調節できます」


 兵士たちはミシェルの後ろに、たくさんの銃口を見た。それはまるで地獄への門のごとく、ぽっかりと黒く寒々しかった。


「先ほどの初撃は、威嚇用のごく弱いものに過ぎません。しかし今構えているのは、より威力の高いものです。あいにくと、皆様の命の保障は致しかねますが、どうぞご了承ください」


 兵士たちは誰一人として、それ以上前に進む気にはなれなかった。




 こうして、一度ならず二度までも、王宮からの使者たちは尻尾を巻いて逃げ帰ることとなった。


 しかし、やはりこれで終わりとはいかなかった。


 反乱を鎮圧せよ。そんな命令のもと、新たに軍がクルト領に押し寄せたのだ。前回の何倍もの数の兵士たちが粛々と街道を突き進み、バーベナを捕らえに来た。


 しかし彼らはバーベナのいる屋敷にたどり着くどころか、クルト領に入ってすぐに、ほうほうの体で逃げ帰る羽目になっていた。


 ミシェルはこうなることを見越して、銃を大量生産させていた。そして農民たちに、その使い方をみっちりと叩き込んでいたのだ。その練度は、そこらの軍など目ではなかった。


 そうして軍が来るよりもずっと前に、農民たちはミシェルの号令のもと、領地のあちこちから駆けつけていたのだった。


 バーベナたちがもたらした様々な物品や技術のおかげで、農夫たちもまた豊かになっていた。畑を少しくらい放り出して駆けつけても問題ないくらいに。


 資金も潤沢、装備も充実。そして士気も、とても高かった。みなの心は、一つとなっていたのだ。力を合わせて、バーベナを守るのだと。


 これまた外国から輸入した効率の良い戦い方で、彼らは王国の軍を翻弄する。それはまるで、大人と子供が喧嘩をしているようですらあった。


 日々戦いの訓練に励んでいるはずの兵士たちは、作業着の農夫たちにあっという間に蹴散らされ、ほうほうの体で逃げ去っていった。

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