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1.もう死にたくない

「また、断頭台ですの!?」


 それが伯爵令嬢バーベナ・クルトの最期の言葉だった。




 そうして今、彼女は自分の部屋で、優雅にお茶を飲んでいた。かたわらには、執事のミシェルが控えている。


 彼女は飲み終えたカップをソーサーに叩きつけるように置くと、愛らしい顔いっぱいに怒りを浮かべて叫んだ。


「これでもう、三回目よ!? 一瞬で終わるだけましだけど、やっぱり怖いわ!」


「断頭台が三回、絞首刑が四回。毒殺も二回ありましたか?」


 空になったカップにお茶を注ぎながら、ミシェルが静かに言う。


 彼はすらりとした立ち姿が印象的なかなりの美青年だったが、バーベナはその美貌に心動かされている様子はなかった。どうも、すっかり慣れっこになっているらしい。


「ええそうよ、よく覚えていたわねミシェル。結構長い話だったというのに」


「お嬢様のおっしゃることを忘れるなど、私に限ってはありえません」


 涼しい顔をしたままほんの少し得意げに答えてから、ミシェルは言葉を続ける。


「お嬢様と旦那様は、今進行中の悪事の報いを受け、一年後に処断される……のですね」


「そうなのよ! そうして死んだはずのわたくしが、どういう訳か過去に舞い戻っているの! それも一度や二度ではなく、何度も!」


 一方のバーベナは、つがれたお茶を一気に飲んで、大きなため息をついた。


 そのお茶は猫舌の彼女に合わせて少しぬるめになっていたのだが、彼女はそのことに気づいていなかった。


「お父様とわたくしは、秘密裏に禁制の品を密輸している。そうやって得た富のおかげで、我がクルト家は栄えてきたのよ。あなたも知っての通り」


 まるで天気の話でもしているかのような気軽さで、バーベナはとんでもないことを語る。


「けれどその富は、回り回って領民たちをも潤している。だからそれくらい、別にいいじゃないの! 誰にも迷惑なんて、かけてないわよ!」


 しかし彼女は、その愛らしい頬をぷくっと膨らませてしまった。


「そもそもこの国のほうがどうかしてるのよ! 『外国の品には危険なものが多いゆえ、国が認めたもの以外の輸入を禁ず』だなんて!」


「お嬢様、爪をかむのはおやめ下さい」


 ミシェルはやはり冷静にそう言うと、懐から爪やすりを取り出した。そのままバーベナの前にひざまずき、注意深く彼女の爪を整えていく。


 ふくれっ面でそのさまを眺めていたバーベナが、不意に遠い目になりため息をついた。どうやらさっきまで大騒ぎしていたのは、ただの空元気だったらしい。すっかりしおれた様子で、彼女はうつむく。


「……でも、密輸をやめないと、わたくしはいつまでも死に続けるはめになる。そう思ったから、お父様を説得したり、密輸を邪魔したり、それはもう頑張ったの」


 片手をミシェルに取られたまま、バーベナは空いた手でドレスのスカートをぎゅっとつかんだ。


「なのに毎回、失敗ばかりで……どうしようもなくなってお父様に全て打ち明けたのに、信じてはもらえなかった。そうしてわたくしは、また断頭台に送られた」


 そう言って、バーベナは小さな唇をかみしめる。ミシェルは彼女の手を取ったまま、顔を上げた。そこには、この上なく優しい笑みが浮かんでいた。


「私は信じますよ、他ならぬお嬢様のおっしゃることですから。私に打ち明けてくださったことは、何よりの栄誉です」


「あなたは相変わらず、わたくしのことになるとおかしくなるのね。普段はとてもしっかりしているのに」


 ミシェルを見返しながら、バーベナは苦笑する。その顔に、ほんの少し明るさが戻っていた。


「自分で言うのも何だけれど、何度も死んでは過去に戻るだなんて話、普通は信じないわよ」


「十年前、まだ五歳のお嬢様と出会ったその瞬間、私はずっとお嬢様にお仕えすると決めました。主人の言葉を信じずして、何を信じると言うのでしょう」


「そう、もう十年になるのね。あなたは当時十五歳の執事見習いだった。あなたは変わらないのね。正式に執事になったけれど、その前もその後も、とっても有能で」


「お嬢様は大変お綺麗になられました。すっかり一人前の淑女になられて……そんなお嬢様にお仕えできて、とても幸せです」


「もう、ミシェルは大げさね」


 そう言いながらも、バーベナは嬉しそうだった。しかしその可愛らしい顔は、すぐにまたくもってしまう。


「そんな訳で、また過去に戻ってきたのはいいけれど……さすがにもう、死にたくはないのよ」


 ぽつりとつぶやいて、バーベナは肩を落とす。


「でも、どうしていいのか分からないの。思いつく限りの手は一通り試したわ。でもやっぱり、駄目だった」


 バーベナはうつむいて、ミシェルの手をしっかりと握り返した。まるで、その手にすがるように。


「わたくしは永遠に、避けられない死と生の間を巡り続けるさだめなのかもしれない……」


 ほうとため息をついて、バーベナは顔を上げる。彼女は、ここではないどこかを見るような、そんな目をしていた。


「……いっそ、今のうちに自分で命を絶ってしまおうかしら。そうすれば、この地獄の繰り返しから抜け出せるかもしれないわ」


「なりません、お嬢様!!」


 間髪入れずに叫んだミシェルに、バーベナがきょとんとする。彼女の小さな手を両手でしっかりとにぎりしめ、ミシェルは力強く宣言する。


「お嬢様、どうかこのミシェルにお任せください。必ずや、お嬢様の苦しみを取り除いてみせましょう」


「ミシェル……」


「今までお一人で、さぞかしお辛い思いをされたことでしょう。でも、もう大丈夫です。よく、頑張られましたね」


 頼もしいミシェルの笑みに、バーベナの顔がゆがむ。貴族の令嬢らしく上品にふるまっていた彼女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


 そんな彼女を、ミシェルはそっと抱きしめた。バーベナはそのまま、彼にすがりついて泣いていた。




「……以上が、わたくしが処刑されるまでの流れよ。毎回、だいたい同じ」


 ひとしきり泣いた後、バーベナはミシェルに改めて説明していた。今までの自分がたどってきた、破滅とやり直しの数々を、一から十まで全て。それはとても長い話だったが、ミシェルは嫌な顔一つせずに、真剣に聞いていた。


「状況は把握いたしました。……旦那様を止めないことには、お嬢様は死を免れない。けれどお嬢様には、旦那様を止められない」


 話を聞いたミシェルが、短くそうまとめる。


「ええ、そうなの。ミシェルは、お父様を止められるかしら?」


「そうですね……旦那様の説得は、まず無理でしょう」


 難しい顔で、ミシェルはそう断言した。バーベナが悔しげに眉をひそめる。


「旦那様はたいそう意志の強いお方で、特に自分で思いついたことに異論を唱えられるのをよしといたしません」


 意志を変えさせるには、それこそ暗殺でもするほかないでしょうね。そんな言葉を、ミシェルはそ知らぬ顔で飲み込んだ。


「一番簡単な方法は、急ぎここから逃げ出して、そのまま行方をくらましてしまうことですが……」


「わたくしもそれは考えたわ。けれど世の中を知らないわたくしでは、逃げたところで生きのびるのは難しいと思うの。それに、きっとお父様に連れ戻されてしまう……わたくしは、お父様のたった一人の娘だから」


「ええ、そうですね。ですからそれは最後の手段としておきましょう。私としても、お嬢様に余計な苦労をさせたくはありませんから」


 不安げに、バーベナはうつむく。また爪をかみそうになるのをさりげなく止めながら、ミシェルはにっこりと微笑んだ。


「ですが、ご安心ください。ちゃあんと別の策がございます」


 その笑顔は、バーベナにとっては地獄に差し込んだ光のように思えた。




「さて、それでは私の策の具体的な内容ですが」


 まるで晩餐のメニューでも説明しているかのように気軽な声で、ミシェルは語り始める。


「旦那様による禁制品の密輸は止められない。ならばここは、開き直ってしまいましょう。止められないのなら、進めてしまえばいいのです」


「ええと、どういうことかしら?」


「言葉の通りです。これからは、さらに盛んに密輸をしていきましょう。量も、品目も増やして」


「……逆に、悪くなっていないかしら?」


「ただ密輸するだけなら、その通りでしょう。ですから、一工夫するのです」


「工夫って、いったい何を? 密輸のやり方、とか?」


「禁制品そのものを、です。例えば……」


 そう言って、彼はバーベナの耳元でささやく。その内容を聞き終えた彼女は、難しい顔をしていた。


「面白そうではあるけれど……それで本当にうまくいくの?」


「大丈夫ですよ、お嬢様。私があなたの力になれなかったことなど、なかったでしょう?」


 ミシェルは頼もしい笑みを浮かべている。昔から変わらないその表情に、バーベナは彼と出会ってからのことを思い出していた。


 転んでお気に入りのドレスのすそを破ってしまった時。礼儀作法のおけいこが辛かった時。よその家の子たちに仲間外れにされた時。気になっていた人に婚約者ができてしまった時。病弱だった母が亡くなった時。


 いつも、一番近くで彼女を支え、励ましてくれたのはミシェルだった。彼は、彼女にとって唯一の味方だった。残念ながら彼女の父は、よい父親とは言い難い人物だったから。


「そう……ね。あなたは、あなただけは、一度もわたくしを裏切らなかった。信じても、いいの……?」


「はい、もちろんです。何があろうと、私はあなただけの味方です」


 それでようやく、バーベナも安心したようだった。彼女はそろそろと、安堵の笑みを浮かべる。ミシェルはとろけそうな笑顔で、それに答えていた。

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