プロローグ
「リゼリア・メルドーク、お前との婚約を破棄する!」
本当に久々に出席したパーティーだった。
母が倒れた後、何もかもが慌ただしく、領地の仕事もあってパーティーへ出席などできる状況ではなかった。
だいぶ落ち着いたとはいえまだまだやることはあるし、今回だって出席するつもりなんてなかったのだ。
だけど本当にめずらしく婚約者からドレスが贈られてきて「引きこもってばかりは良くないから」とパーティーへの出席を促された。
気遣いを無下にするのも申し訳ないと周りが気を使って支度をさせられたけど、結局エスコートしてくれるはずの婚約者は迎えに来なかった。馬車だけが到着して「急用ができて迎えに行けないのでこの馬車で一人でパーティーへ向かって欲しい。会場で落ち合おう」という伝言があるだけ。
あの時点で参加など取りやめておけば良かったと思う。
だけど働き詰めだった私の外出に家の者たちがすごく喜んで準備してくれた手前、今更行かないなんて言えなくて。
気が進まないまま私は馬車に乗った。そして会場に到着したものの、どこにも婚約者の姿は見当たらない。いったい彼は何がしたいのだろう。
いっこうに現れない婚約者にあきれ、早々に帰ろうと考えていた時だった。
突然、あの茶番劇が始まったのだ。
まさかあそこまで馬鹿な真似をするとは思っていなかった。
今までどこにいたのか、突然会場に現れて私を指さし、良く通る大きな声で婚約破棄を告げてきたのは婚約者のフレデリク様だった。
驚いて何も言えずにいると、私に対して「妹をいじめて喜ぶ最低な女」だと言い始め、身に覚えのない私の数々の悪行を語り始めた。
挙句の果てには「地味だ、陰気だ、可愛げがない」等々、とにかくひどい言われようだった。
いじめとはどういうことだろう。告げられた内容がまったく理解できず私は困惑した。
「お待ち下さい、私には何のことやら身に覚えがありません。だいたい、私に妹などおりません」
私は冷静に告げたが、フレデリク様は聞く耳を持ってくれない。
「この期に及んでまだそんなことを言うのか。本当になんてひどい女だ」
そしてついに「私はお前との婚約を破棄して、ここにいるアニスと婚約をする」とフレデリク様は宣言した。
呼ばれたアニスという女は嬉しそうにフレデリク様の横へぴったりと寄り添い、勝ち誇った笑顔で私を見て言った。
「ごめんなさぁい、お姉様。でも、フレデリク様を責めないで下さいね。地味で陰気なお姉様より、可愛い私が選ばれてしまうのは仕方がないことなんです」
普通にお姉様と呼ばれたが、私達は初対面だ。
私の妹?何を言っているのだろう。
しかも、周りには人が集まってきていて視線が痛い。できればこのままこの場を去りたいが、私が何を言うか周りは注目しているし、目の前の二人も大人しく私を解放してはくれないようだ。
何故か二人は得意顔でふんぞり返っているが、周りの非難の声や冷ややかな視線は届いていないのだろうか。ここは大勢の、しかも格式あるパーティーの場であるというのに。
ところで、今王都ではとても流行っている舞台の演目がある。その名も「婚約破棄」だ。
可憐な女主人公をいじめる悪役令嬢が、婚約者の王子に断罪、婚約破棄され、主人公と王子がめでたく結ばれるというストーリーで、世情に疎い私にまでその内容が伝わってくるほどに大変人気となっている。
おそらくこの二人はその舞台を見たのではないだろうか。そして自分達を主演にした舞台を用意したのではないか、と。
なんとも短絡的。あの演出は舞台だからこそハッピーエンドなのだ。現実は舞台とは違う。そもそも私には身に覚えもないのだけれど。
私はフレデリク様に向かって話し始めた。
「フレデリク様、流行りの舞台の真似事とはなかなか面白い趣向ですね。ですが、そのように演技が真に迫っていては皆様が誤解されてしまいます。お戯れもほどほどになさいませ」
婚約解消は願ってもないことだが、このような醜聞はいらない。今更ではあるが、私はとりあえずのフォローを試みた。
「何を言っているんだ、リゼリア。これだけはっきり君との婚約を破棄すると言っているのに理解できないのか。君は意地が悪いだけでなく頭も悪いな」
ふんっと鼻で笑っいながらフレデリク様は私をさらに貶めた。この方はいつからこんな風になってしまったのだろう。
「お姉様ぁ、いくら受け入れたくないからって、見苦しいですぅ」
ケラケラと笑いながら私の妹だというアニスという女も追随してくるし、二人とも私の意図を理解してはくれないようだ。まあ、理解できる頭があればこんなことはしないのか。
あくまでこれはお遊びだと周りに印象付けようとしてみたが無駄だったらしい。
ならば仕方がない。
「フレデリク様、婚約は家同士の約束ごとでございます。私達個人の感情でどうこうできるものでないことはお分かりでしょう? お父上はご承知でいらっしゃいますか?」
私は一応確認のために聞いてみた。
「父上は関係ない。私はお前が嫌いだから婚約を破棄したいし、真実の愛の相手である可愛いアニスと結婚したいんだ。父上にはこれから話をするがきっと分かってくれるはずだ」
フレデリク様とアニスは互いの顔を見て、ねーっと笑いあっている。
何がねーっだ。何も分かっていない、頭お花畑である。私は二人に向かってほほ笑んだ。
「婚約解消の件、承りました。突然のお話で大変驚きましたが、フレデリク様のお気持ちは良く分かりました。縁あっての婚約でしたがこのような結果になりましたこと、大変残念に思います」
婚約破棄ではなく解消と言ったことにピクリと反応があったものの、私が大人しく従ったことに満足したようで二人は黙って聞いていた。
婚約破棄は、相手に多大な過失があった場合に用いられるものだ。先ほどのフレデリク様の言い分では私側の落ち度とは認められないだろう。逆に今回の件で私から婚約破棄して慰謝料を請求できる。
フレデリク様のお父様は常識人だからきっと了承してくれるとは思うけど、どうなることやら。
私としてはこんな茶番にいつまでも付き合いたくないし、フレデリク様にも何の感情もない。私はさっさとこの場を去ることにした。
「私は気分がすぐれぬため、これにて失礼させていただきます」
最後にそれだけ言うと私は家庭教師にも褒められた完璧な淑女の礼をして出口へと向かった。
こうしてこのばかばかしい一幕は「婚約破棄事件」として瞬く間に人々の話題となったのである。




