ならず者
もう限界である。
ギターは楽しいし、なんでも弾けてこれ以上いない幸せだ。
と思っていたが、これ以上を求めてしまうのが人間というものだろう。
厚みがほしいのだ。音の厚み。
やはり低音の、ずっしりとした音は、音に厚みをもたらす。
基礎や土台という意味を持つ英語のベースとは言ったもので、低音があるのとないのでは大違いだ。
そしてドラム。
等間隔で刻まれるテンポは安定感を生む。
それはつまりリズム隊ということだ。
ベースとドラムのリズム隊がもしいたら、もっと表現の幅が広がる。
欲を言えば、キーボードやもう一本ギターもあればとも思う。が、それは一旦置いておこう。
ベース自体はコントラバスというウッドベースがあるので、見つけることはできるかもしれない。
問題は、ドラムだ。
バスドラム、スネアドラム、シンバルは、それぞれ存在する。
しかし足でバスドラムを鳴らすという概念はない。
もちろん、シンバルを横にして、これまた足で鳴らしたり、スティックで叩いたりすることもこの世界ではあり得ていない。
そもそもドラムセットというものがこの世界には存在しないのだ。
一応アランさんに説明して、ドラムセットを作ってもらっている。
最初は眉をひそめていたけれど、説明していくうちに表情が明るくなり「平治の新しい音楽が聴けるなら、一肌脱いでやるかのう」と意気込んで、いつもの業務の合間に作成してくれている。
でも完成しても演奏できるのは、たぶんこの世界で俺一人だろう。
ドラマーの資質を持った人を探すのは、一苦労するだろう。
セッションという映画で、圧巻のドラムの演奏を観て聴いた。それ以外でもドラムソロの素晴らしい音楽はたくさんある。
だけれど、ドラムの良さはそれだけではない。
それこそセッションというやつで、ベースラインとの絡み、それが生み出すグルーブが曲の土台となり、その上にギターやボーカルという家が建つ。
基礎工事に問題があると、建てた家が間もなく欠陥住宅になるのと同じだ。
ギターばかり弾いていると、やはりベースとドラムの安定感を求めてしまう。
今の俺は欠陥住宅ではないとしても、いうなれば竪穴式住居的な、なんとも味気ないような演奏に思えている。
アランさんやジャニタは、バンドサウンドを知らないからそんなこと思っていないかもしれないけれど、俺としては、やはり物足りない感は否めない。
ドラムは作っている最中だし、完成したとしてもすぐに叩ける人も見つからないだろう。
前世でもドラム人口は圧倒的に少ない。貴重な存在だった。
だからまずはベーシストの確保からだ。
□◇■◆
「あ、いや、いたのう。じゃが、奴は……」
アランさんが該当する人物を思い出したようだけれど、「うーん……」と言って頭をかき始めた。
「ぜひ紹介してください」
アランさんなら誰かしらベーシストを知っているのではないかと思って、聞いてみたところだった。
「ピートってやつなんじゃが……。やっぱり辞めておいた方が良いじゃろ」
そう言ってアランさんは、依頼されていた楽器の修理の作業を再開させた。
「ベースがいると、音楽がしっかりとするんですよ」
「それはわかっておる。でもピートは止めておけ」
「どうしてですか?」
俺が聞くとアランさんは「いいか?」と言って作業用の眼鏡を取った。
「奴は国のお抱え楽団のベースだったから腕は一流じゃ。歳は平治くらいじゃなかったかの? じゃが、酒におぼれて追放されたんじゃ」
「そうなんですか……」
「うむ。借金を重ねての……。今もいつも酒場で飲んだくれている」
これでアランさんが、そのピートという人物を勧められない理由はわかった。
たしかに問題がある人物だと言える。
しかしそれがまだドラッグじゃないだけよかったと思う。
なぜだかロックにはドラッグがいつも付きまとっている。もしかしたら、隣同士なのかもしれないと思うことすらある。
ドラッグのせいで才能を持ったミュージシャンが若くして亡くなった例は前世ではたくさんあった。
まだ生きていたらどんな曲が聴けただろうか、もっと名曲を書けたのではないか、と残された曲を聴きながら思うこともあった。
ミュージシャンを含む様々なアーティストは、繊細な面があったり、プレッシャーが大きかったりするからかもしれない、などと想像することは可能だ。
しかしだからといって、もちろんそれが許されるわけではない。違法薬物の使用を肯定するつもりはさらさらない。違法は違法。前に生きていた世界も、こっちの異世界も、やってはいけないことはやってはいけないのだ。ダメなものはダメってことだ。
ただ、そのピートという人物は、薬物に関しては手を出していないようだ。一度会ってみる価値はあるかもしれない。
□◇■◆
異世界というのは面白い。
中世ヨーロッパ的な街並みのこの城壁都市アーガルムだけれど、大きい都市だけあって位置によってだいぶ雰囲気が変わる。
俺は普段シャックロック楽器のある中央あたりで生活している。一番活気があって、昼の人工が一番多い。ちなみに東側は金持ちの住むエリアだ。
そしてここ、西側は夜の人工が多い。つまり街としての発展は少なくベッドタウンになっている、というのは表向きの説明で、簡単に言えば、治安のあまり良くない地域と言える。
中央寄りのあたりはまだきれいなお店はある。冒険者だったころは、西側の薬屋に何回か寄ったこともあった。
そうだ俺は冒険者だったんだ。なんて自分のせいで昔のことを思い出したけれど、あまり感傷的にはならなかった。
たぶんそれは、これからやりたいことがはっきりしているからだろう。
そんなことを考えていたら、ジャニタからこっそり教えてもらっていた目的のお店に着いた。アランさんはもうその彼の話をしたくなさそうだったからだ。
スイングドアのウエスタン調のそのお店には、蹄鉄の打たれた板にかすれて読みにくくなっているが、たしかに“酒場ポコ”と書かれた看板が掲げられていた。
初めて入るお店はいつも緊張する。しかもこんなに場違いなところは特にそうだ。
しかし決めたことだ。意を決して、ぎいと軋む音をドアが立てながら店の中に入った。
外からは賑やかな声が聞こえていたけれど、俺の登場によって、みんなの視線が俺に集まり、様子を伺うように静かになった。
俺は俺で誰が、そのピートという人物なのかあたりを見渡す。
ジャニタからは「店で飲んだくれているからすぐにわかるわよ」と言われていたが、みんながみんながそれに該当するため、判断ができなかった。
そんな俺の心情も知らずに、一人の男が沈黙を破った。
「坊やの演奏会が始まるのか?」
茶化すようなその言い草に、周りはげらげらと笑い、「耳に合わなそうだな」だとか「俺が歌ってやろうか」だとか言い出した。
俺は一応、演奏家らしい小洒落た装いだ。ロックを始めるとはいえ、初めての人と会うのにみっともない恰好をしてはいけないと思い、タイもしてきたが、それが逆に場違い感を出してしまい、坊やと言ってきたのだろう。
飲み屋で飲んだくれているとは聞いていたが、予想していたものとは違った。リトル・ビッグ・タウンのワイン・ビール・ウイスキーを思い出す。しかしあの曲ほど整ってはいない。もっと荒々しくて下品だ。
というより一時はそれなりに珍しがられた【演奏家】というスキルを持つ転生者の俺に、誰もピンと来ていないのが少し悲しかった。いや、まあ、わかっていたけれど。
「この中にピートって人はいますか?」
自力で捜すのはだと思い込い、俺は誰となく声をかけた。
俺の問いかけに「珍しい訪問者もいるもんだな」とがやがやし始めたが、一人で飲んでいた男に全員の視線が集まった。
その男もその視線に気が付き、俺と目が合ったが、興味がなさそうにまた一人で飲み始めた。
俺は彼のいるテーブルに向かって歩く。
何が起こるのかと注目され、またその場が静かになるり、俺の足音だけが響いている。
最初が肝心だ。決める時に決めるのがロックだ。
テーブルをはさんでピートの向かいに立つ。
ちゃっちい椅子を引くがすぐには座らない。
くるっと半回転させ、背もたれをテーブル側にする。
そして椅子にまたがるように座り、背もたれに腕を乗せ、その上に顎を乗せる。
「俺は平治だ。ベーシストを探している。一緒に音楽をやろう」
俺の発言を聞いていた周りが笑い始めた。
「聞いたか? ピートにまた音楽をさせるって」
「あんな落ちこぼれの曲なんて誰が聴けるんだ。耳が腐っちまう」
言いたい放題だ。でも心無い酔っ払いの連中の発言は無視をする。
「俺はもう音楽は辞めたんだよ」
ピートがそう言うとそっぽを向いた。
しかし俺は見逃していなかった。俺が「一緒に音楽をやろう」と言った時に、ピートの目に一瞬光が灯ったことを。
もしかしたら【演奏家】の能力のおかげで感知できたのかもしれないが、もしこの能力がなかったとしても、彼の心の奥でくすぶっている火種を感じることはできたと思う。
「また始めればいい」
俺が説得をするが、ピートは「誰が聴くんだよ」と言う。
弾けないのではなく、弾けなくなるのが怖いから、弾かないようにしているように思える。
ここで押し問答をしていても意味はない。
「それじゃあ俺の演奏を聴いて判断してくれ」
俺は席を立った。
ジャニタから酒場ポコにはピアノが置いてあると聞いていた。
だからきれいなお店だと勘違いして小洒落た格好をしてきてしまったというのもある。
しかしピアノはかなりの年代物だと一目でわかる。
もう何年も弾いていない埃まみれのライトアップピアノ。もはやアンティークだ。
鍵盤蓋を上げると、色が剥げているところもあったり、欠けている部分もあった。
椅子の高さを調整する。
おそらく調律もされていないだろうから、正確な音は出ないだろう。
だけど今からそんなことはできない。この状況でそれは恰好が悪い。
もしかしたら【演奏家】のスキルでズレた音程を調整できるようなこともあるかもしれない。それはやったことがないからわからないけれど。
でもそんなことは今は必要はない。大事なのは即興性。これが今の彼の気持ちを掴むうえで必要なのだ。
どんな状況でも、音楽はそこにある。それを再確認させなければいけない。
「みんなの前で偉いでちゅね、坊や」
「手拍子でもしましょうか?」
ピアノの前で目を閉じて、手を膝に置き、みんなが静かになるのを待つ。
段々とガヤの声がしなくなった。
まずは優しく、イントロを弾く。
やはり細かいところで音のズレを感じる。しかしそんなものは構っていられない。
イントロの最後、一番低い音が消えるのを感じながら、歌い出す。
ピアノ弾き語りだ。
原曲なら最初のサビからトリングスが入ってきて、曲の深みがさらに増す。
そして二番のサビに入るとギターとベースとドラムが入ってバンドサウンドになる。
しかし、それは今はできない。能力を持っていても限界はある。
だからといって、この曲はそんな薄っぺらいものではない。
ピアノ一つでも十分に魅力的でエモーショナルな曲だ。
できるだけ、サビでは盛り上がるように力強く、でも感情的に弾き、歌う。
とにかくピートに、そして自分のために気持ちを込める。
最後のフレーズを丁寧にロングトーンで歌い、イントロと同じフレーズを弾きピアノで〆る。
たった一曲歌っただけなのに、額には汗をかいていた。
酒場ポコの男たちの熱気のせいではない。
一生懸命に魂を込めて弾いて歌った。
歌っている最中も誰一人として口を出さなかったが、終った後も拍手一つもない。
それはそれでありがたい。
俺は再びピートのことろに行き、さっきと同じように座った。
「で、答えは?」
今度は俺の問いにそっぽを向かず、ずっと俺の目を見ていた。
そしてゆっくり口を開いた。
「お、俺がまた、音楽をやってもいいのかな……」
「音楽は平等だ」
「でも……。でも、俺、こんなんだよ? 酒がないと狂っちまうんだよ!」
ピートの目が赤くなっていたが、恐らく酒のせいではない。
「それがどうした? 結局、音楽をやりたいのかやりたくないのか?」
俺が聞くと、両手でこぶしを作り、絞り出すようにピートが言った。
「や、やりたい。もう一度、音楽をやりたい! お前の歌を聴いていたら気持ちが楽になったんだ。こんな曲聴かされたら、やりたくないなんて言えねーよ!」
ピートは泣きながら、歯を食いしばって立ち上がった。
「それなら明日から、ここじゃなくてシャックロック楽器店に通え」
「でも、だから、俺には酒がないと……」
アルコール依存症が怖いのは、やはり断酒をしたときの禁断症状だ。
もちろん接種時の一時的な気分の高揚も問題だが、アルコールなどに見られるダウナー系の依存症が厄介なのは、その効果が切れた時が一番制御が効かなくなってしまう。
ピートもそれを恐れているのだろう。
しかしそれが何だって言うんだ。
古き良きロッカーはほとんどがドランカーだったから気にしないとかそういうことじゃない。
「俺にはな【演奏家】ってスキルがあるんだよ」
「ああ、そうか。だからあんなに上手く弾けたのか……。やっぱり俺には無理だ……」
ぼっと燃え上がった炎が勢いを無くしたように、自信を失ったピートは再び椅子に座って、肩を落とした。
まったく。だれも【演奏家】というスキルをわかってくれない。
「俺のスキルは、奏でたい音楽を奏でられるだけじゃない。心の安定をもたらす効果がある。意味わかるか?」
「え……!?」
ピートは「まさか」と言わんばかりのきょとんとした顔をしている。
むしろ今までそっちをメインで活動していたのだけれど、と複雑な気持ちになったが、表情には出さないようにした。
「それじゃあ、待ってる」
格好つけて、それだけピートに伝えると、席を立ち出口に向かった。
今日弾いた曲はイーグルスのデスペラードというロックバラードの名曲。
前世、辛い時に知り合いから教えてもらって聴いて涙を流した曲だ。歌詞の意味も分からなかったが、心に何かが突き刺さったのだろう。あとから歌詞の和訳を見てまた泣いた。
今はシャックロック楽器店で働いているが、俺もパーティをはじき出されたならず者だったようなもんだ。彼となら一緒にやっていける気がする。
後ろからピートの「ちょっと待って……」という声が聞こえたが、振り向くことなく店を出た。