ダンジョン
冒険者は冒険をしない。
準備に準備を重ねて万が一がないよう、細心の注意でことに臨む。銃があっても弾がなくては意味がないように、冒険者には憶病さがなくてはならない。
ここでは尚更慎重でなくてはならない。
新大陸では仕事に事欠かない、未開拓地が多く残るここは気性が荒い原住民や理解の及ばない怪物に迷宮。まるで人類の来るべきところでないと、そう警告するような程に危険に満ち溢れている。
行き場のない俺たちにはおあつらえ向きの土地だ。
開拓民としてくる奴らは、少なからず人生に行き詰まったどうしようもない奴らだ。
ギャンブル、犯罪者、訳ありの職人、事業に失敗した商人。ありとあらゆる馬鹿の流れ島だ。ただ、何もせずに野垂れ死ぬことができるほど、この大陸は甘くなかった。
ダンジョンと俺たちが呼ぶそこには、外見と明らかに採算の合わない広大な大地が広がっている。連作障害など知らぬとばかりの肥沃な土に、枯れない清潔な水源、安定した気候。
食糧事情を吹き飛ばす全てがそこにある、一つで百を降らない町の民を養える程に。
しかしそれにも寿命があり、新たな土地を目指して冒険者は階層を下る。
アパラチア山脈を望むペンシルバニアのとある町。
30,000人程度の住民は、その全てをダンジョン「イオアン・プラント」にて賄われている。
つい先日、五層のプラント枯渇に合わせて第28階層が開放され農業用の家畜や畜産動物、生産者の生活資材などの搬入が開始された。
階層解放に伴う環境改変、草原へと変貌していく迷宮の最奥に彼はいた。
四肢を投げ出して力なく横たわる、黒髪黒目の少年。頬は痩せこけ目は落ち窪み、唇は乾き切っていた。あと1日でも気付くのが遅くていれば、ダンジョンの養分になっていたことだろう。
言葉通りの意味で。
昼下がりのアパートの一室ではいい加減に散らかった部屋にタバコの煙が踊っている。
「ふはっ」小さく口に含んだ煙を小さく吐き出す。
一息ついてからまた、小さく吸い込んでは小さく煙を作る。そしてまた。
静かな空間に布の擦れる音が現れると、そふぁで寝ていた少年が目を覚ましたのだ。
「起きたか、少年」タバコの息継ぎのついでのように、目覚めた少年に声をかける。また、口をつける。煙が舞う。
しばしの静けさが帰ってくる。
「知らない天井だ」おもむろに天井を意見する少年につられ、視線を上げた。
吐き出した煙を吸い込んでいく、赤茶けた木材と吊り下げられた電球は少し、いや随分とくたびれている。
「君は倒れていた、俺がここまで連れてきたんだ。」自分の部屋に連れ込んで、ソファで寝るまでの経緯を話す。変な趣味をしていると勘違いされるのも困る。すると少年は「ほへー」と他人事のように声を漏らした。
「助けてくれて、ありがとうございました」座り直したあとそう言って、「ほんめいきょうやです」と僕は名乗った。それは恩人の名前を聞くための催促でもあった。
そうだな、なんで名乗ればいいのか。ジョン・ドゥとでも名乗ろうか?と考えて口元が緩んだ。その笑みを不思議と思ったのだろう、眉を寄せるキョウヤに、短くなった火の残る吸い殻を皿に押し付け「俺は」と名乗ろうとすると
少年の腹の虫が盛大に騒ぎ立てる。自分のお腹を宥めるように手を当てて、気まずそうな表情をする少年に再度笑みが漏れる。「まずは腹ごしらえからだな、準備しろ。冬も近い、外は冷えるぞ」そう言って深いフード付きの黒いコートを投げてよこす。
力を込めた分だけ軋み上げる玄関のドアを開け振り返る。置いてかれまいとするキョウヤは、ワタワタとコートに袖を通して小走りで俺の脇を抜けて外へ出る。寒さからか両手をさすったあと、すぐにポッケに手を突っ込み背筋を丸めた。
「肉は好きか?」「魚よりかは好きです」「そうか」
階段を降りながら行き先を考える、といっても近くにある飲食店は一つしかない。アパートの扉を開ければ、肌を刺すような冷気が触れる。「さぶっ」先ほどよりも更に縮み上がるキョウヤ。
青いペンキをぶちまけたような空模様
「いい天気ですね」「…そうだな」
「寒くなければ最高でした」「あぁ」
誰かの笑い声が聞こえる、犬の吠え声、馬の嘶き。活気付く街並みを尻目に、早くもなく遅くもない足取りで。目的の店に着くまでキョウヤは、まるで鶏のようにキョロキョロと町の隅々を、好奇心の溢れる目で追っていた。
店に入った途端、弾けた怒号や罵倒、笑い声に悪態と人の感情を煮詰めたような空間に圧倒される。しかし、構わずカウンターに座るおじさんに習いカウンターに座ると地面に足先がつく。
「お前が子連れとはっ!珍しいこともあったもんだなぁ!娼婦でも孕ませてたか?!」
大声でがなりたてる柄の悪いウェイター、その声につられ不躾で無遠慮な奇異の目線に晒される。
「遂に万年童貞が子連れだぞお!」「どこの子とヤったんだよ!」と下世話なヤジが飛んでくる。
「はしゃぐなうるさい、肉とパンをこの子に」
「拾い子か?」
「そんなとこだ」
「どこで?」
「プラント」
「それは…」ウェイターはボトルを並べる手を止めて、目を細めてこちらをみやる。背中に突き刺さる好奇の目線ではない、憐れみを含んだ目だった。「少なくとも2日は食ってない」
「お腹が空きました」
さまざまな視線に晒されて機嫌が悪くなった、眉を寄せて不満げな表情でウェイターに言い放つ。「美味しいのをください」
「図々しいガキだな」笑って厨房に引っ込んでいく。背を向けながらフロアの酔客に聞こえるように「任してけ!ここをなんだと心得る!アメリカ大陸一のシェフの店だぜ!」と啖呵をきる。
「よく言うぜ!」「VIPルームもないくせにヨォ!」「安酒しかおいてねぇじゃねか!」
騒ぎ立てるが意に介さず、いや、中指を立てて厨房に入っていった。
待っている間、手持ち無沙汰になる頃に
「キョウヤ、お前には俺の仕事の手伝いをしてもらう。」
「はい、出来ることならなんでもやります」
胸を叩いてフンスと鼻を鳴らす。
「食ったらライセンスを取ってもらう。」
「ライセンス」
そんなものが必要な仕事なのか、思いもせず目を剥いた。
「なーに、それほど大したものじゃない」
「それは良かったですけど、一体なんの仕事なんです?」
「なんてことない狩猟だよ、荷物持ちをしてもらう。」「それならできそうですね」
狩猟ライセンスのことを言っていたんだと合点がいく。けど、そんな簡単なものでもない気がする。
おまたせぇ!と木皿に乗せられた豪快な肉。煙が立ち上り、涎が出てくる匂いがする。
「あぁ、お前もおいおい狩る方も学んでもらうからな?」
「お任せ下さい!」
運ばれてきた肉を前にして、食器を両手に宣言した。