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不正行為

作者: 嘉多野光

 『人生大逆転』


―本日のゲストは3Dモデラーの桐生さんです。よろしくお願いします。

 よろしくお願いします。

―本日は桐生さんにご自宅から出演いただいています。視聴者の中には久しぶりに桐生さんを見たという方もいるかもしれませんね。また、YouTuberとして活動されていた頃の記憶が残っている方も多いと思います。

 そうですね。でももう何年も前の話ですから、知らない人も多いかもしれません。

―そうですね。そういった方のために、まずはVTRをご覧ください。


 3Dモデラー、桐生和義、三十三歳。彼はかつて人気YouTuberだった。そこから事件が発覚し転落、そして今に至るまで、彼はどのように生きてきたのか。そして、なぜ事件を起こしたのか。その真相に迫る。

 桐生は、一九九〇年、埼玉県郊外に住むごく普通の家庭に生まれた。絵が好きな大人しい少年だった。

 しかし、小学校で人見知りが激しく内気な性格を周りに馬鹿にされ、桐生は小学校三年生で不登校になる。四年生になる頃には、完全に引きこもりとなった。家から出るのは、庭で母親に散髪してもらうときだけ。自宅の敷地からは、引きこもりになってから現在まで一歩も出ていない。

 家では、ひたすら絵を描き続けた。通信制の専門学校に入り、グラフィックデザインや合成技術を学んだ。団体行動や周りにペースを合わせるのは苦手だが、自分のペースで勉強するのは楽しかった。一般的には一年かけて卒業するところ、桐生は三ヶ月で学びきって卒業した。

 転機が訪れたのは、二〇一〇年代だった。YouTuberの台頭だ。

 YouTuberは基本的に一人で企画を立て、動画を撮影し、編集する。これで当たれば一気に有名になり、大金も手に入り、自分をいじめてきた奴を見返せるかもしれない。彼は、それまでの社会との断絶を、逆に「顔を出したところで、誰も自分のことなど知らない」という武器に変え、早い段階から顔出しでYouTuber活動を始めた。視聴者と直接顔を合わせるわけではないYouTubeは、人見知りの桐生にちょうど良かった。

 当時流行っていたのは実験動画が主だった。しかし、家から出られない桐生には実験の材料を揃えることすら難しい。ネット販売で取り寄せるにも限界がある。家や部屋もそんなに大きいわけではない。それに家族には内緒で行いたい……。

 そう考えたとき、あるアイデアが思いついた。探検家になるのだ。

 実際、当時すでに狩猟や旅行の動画も数多く出回っていた。秘境や珍しい土地に行って珍しいものを流せば、きっと人気になるはずだ。気流はそう考えた。

 しかし、もちろん桐生は家を出られない。探検は物理的に無理だ。

 そこで、桐生がそれまでに身につけたグラフィックデザインや合成技術の出番である。彼は、フルモデルで洞穴や洞窟、森や川といった合成映像を作り、あたかも自分がそこで探検しているように見せかける合成動画を製作した。映像の中で実際に使用しているものは自分の顔だけだ。自分の身体をそのまま合成するとおよそ探検家に見えない細い体つきなので、首から下も架空の細マッチョを作り出した。

 最初に作った「【ガチ】ネス湖の湖畔で一ヶ月キャンプしたら、ネッシーに遭遇した件」という動画は、日本よりも先にネス湖が実際にあるイギリスやスコットランドでバズり、日本に逆輸入される形で話題になった。動画投稿から三か月で、一千万回以上再生された。

 作成期間は実に一年半かかった。すべて一人で作成するので、膨大な時間がかかるのだ。しかし、そこまで時間をかけてクオリティに妥協せずに作成された動画は、まさか合成だとはだれも思わず、世界中で視聴された。桐生のあまりにもリアルなCGにより、大英博物館から映像提供を依頼されたほどだった。日本でも、怪奇現象系の番組に出演をオファーされた。勿論、桐生はそれら全てを断った。それによって、返って桐生への関心は高まり「顔出ししているのに、素性が全然分からない探検家YouTuber」として有名になった。それからも、最もバズった動画「チョモランマ登山中にイエティと素手で闘った件」という動画を中心に、桐生の動画はすべてバズった(なお、現在はすべての動画が削除されています)。

 一方、桐生は疲れ切っていた。まず、労力の問題だ。動画一本を製作するのに一年以上かかるのだ。つまり動画は年一本しか上がらないと言うことだ。しかしながら、YouTuberにしては稀に見るスローペースでも「命懸けの探検をしているのだから仕方ない」などと、根強く一年に一回の動画アップロードを心待ちにするファンも少なくなかった。


 事件が起きたのは二〇二〇年のことだった。十月にアップした動画について「こんなご時世でも旅行しているのか」と、時世にそぐわないと批判のコメントが多く寄せられた。

 炎上でバズると、次に動画について「ここ、明らかにおかしい」と、あるシーンの不自然さを指摘され、炎上はさらに火の勢いを増した。そこから桐生が実は探検などしていないのはないか、デマなのではないかという「憶測」が飛び交った。

 その指摘された箇所は、方角から考えて、東から登って西に沈むはずの太陽が、西から登っていたのだ。完璧な仕事をする桐生には普通ない、珍しい凡ミスだった。

 実は、二〇二〇年に三十歳を迎えた桐生は、将来のことで親とケンカが絶えず、ますます心身共に疲れ切っていたのだ。当時の桐生のチャンネル登録者数は百十万人、視聴数は累計二億回を超えており、桐生は同年代の平均年収よりも稼いでいた。しかし、そこまでの実績を積んでいてもなお、桐生は両親にYouTuber活動のことを伝えていなかった。引きこもる直前にたまたま開設していた銀行口座に売上は振り込まれていたことと、両親ともにインターネットに疎かったことから、親も気付いていなかった。そんなストレスに苛まれながら動画製作をしていたのが影響したのか、凡ミスを犯してしまったのだった。

 当時のSNSでの炎上や有名人叩きの勢いは異常だった。元々打たれ弱いところのある桐生は精神的に一人では耐えられなくなり、ある日YouTube活動を含めて両親に告白した。

 両親からも嫌われたら死ぬしかないと、桐生は本気で覚悟していた。しかし、両親の反応は意外なものだった。桐生の活動を手を上げて喜んだのだ。人知れず一人で活動し、素晴らしい実績を残していたこと、何より自分たちに秘密や悩みを打ち明けてくれたことを二人は喜んでくれた。両親が桐生をを責めることは一度もなかったという。

 それから、両親はこの類稀なる桐生の才能を発揮できる仕事を探し始めた。桐生の親というSNSアカウントを開設して、慣れないながらも各所に桐生のスキルのPRを始めた。

 炎上から二年後、両親の草の根活動が実を結び、思ってもみないところから三人の元に連絡が来た。ハリウッドで著名な映画を作る某製作会社だ(契約の都合上、会社名を伏せております)。三年後に公開を予定している、あるシリーズ映画の続編のCG製作を桐生に発注したいというのだ。

 今回、当番組はトップシークレットのその映画監督にインタビューすることができた。なぜ桐生に発注することにしたのか、うかがってみた。

「あのYouTubeにアップされていたエキサイティングな冒険動画のすべてが、日本の平凡な家の中で、青年一人だけで作られていたとは、最初はまるで信じられなかった。それこそ、ウソだと思ったさ。実際に赴いて撮影する方がよっぽど簡単だからね。キリュウの想像力と技術にはとんでもない可能性がある。ハリウッド中を駆け回ったってこんな人材はいないよ」


 しかも、家から出られない桐生にとって、案件ごとに任せて発注してもらえるというのは、家を出なくて住む桐生のスタイルにも合っていた。今、桐生はこの映画のCGを日々鋭意作業中である。


―改めて自身の半生を振り返ってみていかがですか。

 よくもまあ家から一歩も出てないのに、ここまで生きてこられたなと思います。

―最後に、視聴者の皆さんに何かお伝えしたいことはありますか。

 僕はもう二十年以上家から出られていませんが、出られる人は出られるうちにどんどん出ておいた方が良いと思います。

―実体験があるからこその重みのあるアドバイス、ありがとうございます。今日のゲストは3Dモデラーの桐生さんでした。ありがとうござました。

 ありがとうございました。

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