きっと、言える
読みやすさを重視しましたので、どなたにも読んで頂けると思います。よろしく、お願い致します。
『きっと言える』
目が醒めた。
この上もなく幸せな気分で。
私は、高田かなえ、27歳。
そう、私はいまハワイのオワフ島に来ているから。
いつもの東京の喧騒は、いまや遥か太平洋の彼方なんだ。
白いシーツの海。
キングサイズのベッドにダーリンの雪雄がすやすやと眠っている。
モーニン。
ふふ。雪雄は、白い熊みたいにゆっくりと目を開いた。
思わず、昨夜の激しいあれがよみがえる。
まだ、夢の中にいるのかな。
二ヵ月後に控えた、ハワイでの結婚式の下見に、いまは二人だけで、こうしてホテルに滞在している。
ここはハワイでも一二を争うぐらい豪奢なホテルのスウィートルーム。
私は、窓から差し込む日差しの下で、改めて婚約者を見つめなおす。
まるで、全財産を叩いて買った宝石を、家に帰って確かめるみたいに。
理想的なフェィス。弥勒菩薩、弥勒がお、とでもいうのか端正な顔立ち。Tシャツが似合いそうなボディ。高学歴な家系。それから、実家が文京区に広いお屋敷をもつ資産家ときている。私ではちょっと不釣合いかしら。一瞬、少し不満そうな雪雄の母の顔がちらつく。
ねえ、わたしのこと、好き?
好きだよ。
どことどこが好きなの? ぜんぶ、言って。
顔かな。というよりも笑顔。ずうっと、見ていたい。半年前、出逢って以来、ずうっと。あと、僕より語学が堪能で、それから性格が清楚というか、純粋そうなところ。
それだけ?
あとは、そうだな、ふふ。匂いかな。
こいつ、いやらしいな! 思わず、髪をくしゃくしゃにしてやった。
雪雄はきつく私を抱きしめてきた。
やめて。くるし。い。
二人の時間が、止まっていく。
ねぇ、ここのホテルの隣りのショッピングセンター、けっこうブランド物の高級時計が安く売ってるわよ。この前、一緒に青山でみたのなんて、4割ぐらいの値段だったわ。雪雄が欲しがってたやつ。
ほんとう? でも、安いといっても、元値が異常に高いからな。
わたし、雪雄にプレゼントしたいのよ。一生の記念に。婚約指輪のお返しとして。
きみ、そんなにもってるの? せっかくだから、自分のものを買えば?
池袋で家庭教師をして、貯めたお金があるの。実はいまバッグにもってきているの。日本円で。
え、ほんとうにいいの?
ホテルのロビーか、近くの両替センターでドルに両替してきてくれる?
オーケー。
雪雄はわたしから紙袋を受け取ると、身軽そうに部屋を出て行った。
実は私、雪雄に秘密にしていることがある。今まで言いそびれていたこと。
3週間前から 来るものが来ていない。なんとなく言い出しにくかった。
でも、今日なら言えそう。
夕暮れ時、豪奢なホテルのプールサイドのテラスで、ブルーハワイを二人で飲みながら、私はふたりの赤ちゃんのことを雪雄に告げるんだ。
そのときから、二人の新しいページが始まる、そんな気がする。
ひどい暴風雨。真冬の豪雨。一体いつまで降り続ける、このままいくと洪水になるんじゃないか。
池袋の『ピンクドロップ』の待機席。キャバクラだ。深夜一時を過ぎたところ。客なんて誰も来やしない。
いびき声がしている。ナンバーワンのナオだ。今夜、キャストはナオと私だけしか集まらなかった。この子のどこがナンバーワンなんだろ。あぐらをかいた鼻。二重あご。ドレスでむりやり寄せた胸。
客と寝て指名をとっているとのうわさだ。明るいうちからホテルで客と待ち合わせ、その後、そのままホテルから同伴出勤でキャバクラに出てくるらしい。浪費が激しく、店に勤めだしてよけい借金が増えたわよ、というのが彼女の口癖。
冷たい真冬の深夜の豪雨。こんな日は閉店にすればよいのに、惰性で開いているようなもの。また、時計を見た。あれから、5分しか経っていない。今日は閉店までいて、今月分の手取りを受け取ったら、3ヶ月勤めたこの店ももう来ることもないだろう。1人暮らしの生活費を補填するため、週イチで出ていただけ。昼の勤めに影響は出したくない。
最初はもの珍しさもあった。でも一杯以上お酒が飲めないので、私には向いていない世界だと悟ったわ。それでも、たった一人の指名や同伴、アフターもこなせなかったのは、心残りもある。
店の入り口の方でばたりと音がして、客が来たらしい。
大げさに歓迎する店長の山根の声がした。ナオが熟睡しているので、私が接客することになる。
一目見て、はずれだなと思った。二十代後半か三十ぐらいの若者。全身雨でずぶ濡れで、すでにひどく酔っている。大きなズタ袋のようなバッグを引きずって。
オッス、おはよう、こぶたちゃん! 待たせたね。
まぬけな挨拶をして、ハイタッチをしてくる。適当にかわす。
男はソファに席を着くなり、だらしなく居眠りを始めた。よく見ると、頭から少し血を流している。
お客さん、大丈夫ですか? 病院で見てもらったら。
男は目を醒ました。
ああこれ? 平気、平気。おう、ちょっと悪い奴らをこらしめてやったんだよ、俺、空手四段だからな。それより、きみ、結構、いい体してるじゃん。
ドレスから露出した肩に、手をまわしてくる。男の手の感触が、気分が悪い。
ホテル、いかない? 俺とさ、10万だすから。
えっ ここはそういう店じゃないです。
男の額に、つうっと一筋、血がながれる。
お客さん、病院いった方がいいですよ。頭の怪我は、大事に至ることがあると言うから。
男はへらへらしながら、トイレに立った。
随分して、心配になり、私は席を立とうとする。ふと、男の湿ったズタ袋が目にとまり、中を少しのぞいてみると、ぎっしりと札束のようなものが詰まっていた。
男は晴れやかな表情で戻ってきた。
ボトル入れよう、ボトル、へへ。いや、それよか、アフターしようぜ、俺と。
男は、再び、肩に手をまわしてきた。
十万、いや、百万払うからさ。な。これからホテルいってセックスしよう。
男は、私の膝に手を伸ばしてきた。
湿った男の手が、胸元や膝の奥へと行き来している。
私はなぜだか、人形のように、されるままになっていた。
雪雄はホテルのフロントで両替をしようとしたが、10人近くの待ち客が並んでいた。
面倒になり、豪奢なロビーでたたずむ。
これからのかなえとの暮らしを漠然と思っていた。
母親は反対していたが、結婚相手ぐらい自分で決めたい。確かに、まだ知り合って半年で結婚というのは、早すぎるかもしれない。彼女のことを全て知っているのかと聞かれると、いまひとつ自信がない。しかし、人間なんて須らくそんなものだろう。
ロビーでは、大画面のディスプレイで日本語のニュースをやっていた。
これくらい大手のホテルともなると、日本人に遇したサービスも充実している。画面を眺めながら、やはり、街中の両替センターまで足を運ぼうか思案していた。
ニュースキャスターは、東京であった事件を告げていた。
「今日、警視庁捜査課は、半年前に池袋のホテルで死体で発見された男の身元を、元暴力団員、坂口恒夫32歳と断定したと発表した。捜査課は、死体と共に鞄から発見された現金約一億三千万円と、末端価格にして数千万円の覚せい剤は、同暴力団事務所から坂口容疑者が盗み出したものと断定した。
捜査課は、ホテル従業員の証言から、このホテルに一緒に宿泊した女性がいるものと判断し、その女性が坂口容疑者を殺害し、所持金の一部を持ち去った可能性もあるとして、今日、事件の詳細を公開する公開捜査に切り替え、手がかりを収集している。
所持金は、一万円札の他、大量の通し番号がわかっている二千円札を含んでいるとして、銀行各所にこの二千円札の捜索を求めると共に、広く一般にも捜査情報の提供を呼びかけて、この女性の割り出しを急いでいる……」
こうしてハワイでのんびり過ごしている間にも、東京では、日々、いろいろな事件が起きたり、多くの人間が様々な事情を抱えながら、自分の職務に邁進したりしている。
なんとなく世の営みに取り残されているような気持ちも沸いてくる。しかし、遊ぶときは大いに遊んでおくことも、長い人生で大切なことだろうと思う。
雪雄は、ひとまず、かなえから受け取った日本円がいくらあるのか数えておこうと思い、袋からお札を出して順番に数え始めた。やはり、散歩がてら、ホテルを出て外の両替センターまで足を運ぼうかと思い始めていた…
目が醒めた。この上もなく幸せな気分で。
いつしか、長い時間、まどろんでいたのだ。
雪雄ったら、何をやっているんだろう。
大方、両替センターを探しているうちに、道に迷ったのだろう。
身支度をして、ホテルを出てみる。
いつの間に、もう夕暮れ時を迎えていた。
すると、観光客にまぎれて、遠くから地元の二人の警官につきそわれて、ばつが悪そうに雪雄がゆっくりとこちらに歩いてくるではないか。
あ~ 雪雄だ。
雪雄ったら、英会話がうまくいかず、道に迷って警官に道を聞いたのね。
やはり、わたしがついていくべきだったわ。
わたしは、先ほど試した、陽性を示している棒状の妊娠検査薬を見せて、雪雄にピースサインを送る。
気づいてくれただろうか。
このタイミングなら、きっと言える。
雪雄、雪雄の赤ちゃんだよ。きみはパパになるんだよ。
オアフ島の燃えるように美しい夕暮れが広がっていた。
雪雄の姿も、夕日に染まってオレンジ色に輝いて見えた。
オアフ島の夕景、芳醇な夜気、二度と会うこともない外人客たち、そして雪雄の姿。
わたしはこの光景を、おそらく一生忘れることはないだろう。
わたしはこの上ない幸福感に包まれて、雪雄の方に一歩また一歩と近づいていった。
出来栄えについて、自分なりに納得していますが、今度はもう少し長いものを書いてみようと思っています。