第三話 語られる強さ
そんな朝の出来事をレインの友人であり、俺をバイトとして雇っているガイルに話すと大声で笑う。
「はっはは、いつも通りのあいつじゃないか」
「笑ってるけどあのヴィルス討伐だろ? 今までいい話なんて聞いたこと無いけどな」
この国、ヴァリエルの人間でその壁を見ずに育った人間はいないだろう、そう思えるぐらいに大きく高い壁だ。
かつてはあの向こう側こそが本当の国だったという話を聞いたことがある。ガイルの話ではあの壁の中には街があった名残があるらしい。
あの壁一枚向こう側には地獄が広がっている、そんな話を幼少の頃から聞かされていた。いたずらをしたらあそこに投げ捨てるぞ、それが大人たちの決まり文句だった。ただこの話は脅しとしての力を持つと同時に、子ども達に憧れを抱かせていた。ヴィルスを倒した英雄になる、それがこの国で育った人間の多くが持つ夢だ。そんな夢をもはや宗教のように信仰している馬鹿が俺の知り合いに……。
「そう言えばバレルはどうしたんだ? 今日は一緒にシフトいれてた筈なんだけど」
「あぁ、そうだそうだ。……それにしてもお前も知らないのか、俺が聞こうと思ってたんだがな。昨日、いや四日前のバイトも来てないんだ」
「あいつ、何してるんだよ……」
「まぁもし会う事があったら伝えていてくれ。かんかんに怒ってるとな」
そう言ってガイルは椅子に座ると思い出したように呟く。
「それにしてもあいつがヴィルス討伐に参加するとはぁ」
「どうかしたのか?」
「いやな。よく愚痴を言っていたんだよ、政府の奴らは行かないというのに何度も赤紙を寄こしてくるんだって」
「って事は今回が初めてという訳では無いのか……」
「それは当たり前だろ。仮にも剣聖と呼ばれる人間だぞ」
「あぁ、あの痛い称号な。まさかあれが自称じゃないってことに驚いたよ」
子どもの頃、レインはよく俺に剣聖の称号を持っているんだぞって自慢をしていた。小さい頃はそれをカッコいいものだと思っていたが、ある程度の年齢を重ねると何とも複雑な気分になった。「お前の父さん、剣聖なんだってな」、と大会に行くたびに言われ、どれだけ広まってるんだよと恥ずかしく感じたが、その後実際にその称号が存在し、それは政府が与える稀有な称号だと知った。どうやらそんなものがあるのは常識だったらしいが、とある理由で途中から学校に通う事になった身としては仕方のないことだと思う。
「まぁ、その称号を持つ人間だ。優先的に、と言えばおかしな話かもしれないがいの一番に赤紙が来るのはおかしな話じゃないだろう」
「ま、まぁ確かにそれもそうだな」
「そんな実力者だったからこそ、行かないという我儘を通せたのかもしれないが」
「それが遂に限界を迎えたって事か。レインにとっては急って話では無かったと? それでも一言くらい言って欲しかったもんだよ。言われたところで何かできるわけでもないけどさ」
「心配なのか?」
「…………そりゃあな。仮にも育ての親だしさ、それにヴィルス討伐だぞ。行った奴の話で碌な事を聞いたことはねえし。それに最近剣を振ってる姿見てないし」
それこそ二、三年前までは直々に指導はしてもらっていた。しかし突然部屋に籠るようになり、昼頃に部屋を出てくるという生活スタイルになった。理由を聞いても年だな、などと冗談めいた口調でしか言わないためその真意が掴めずにいた。
「ああいうのは見えない所でしているもんだろ」
「そういうもんか。……というかおっさんはお呼ばれしてないのか? ヴィルスの片腕を持ち帰って来たんだろ?」
当時としては、というよりも現在まで語り継がれるレベルの偉業だ。聞いた話だと元老院、この国の政治を代表する人間から直々の感謝の言葉を頂いたらしい。
「……あぁ、まぁ、そうだな。でもそれはもう二十年くらい前の話だ、俺はもう歳だよ。それにあんな場所には二度と行きたくはないな」
昔を思い出したのか、ガイルはどこか遠くを見ているような気がした。
「何か申し訳ない……」
「どうして謝るんだ? 別に気にすることじゃないさ」
「そ、そうか。ならいいんだけど……。それにしても本当にレインって強いんだな」
子どもの頃から強いとは感じていた。が、それはあくまで大人と子どもという力の差での話だ。剣聖の称号を与えられるという事からそれなりに強いことは理解できるがそれでも何か大げさなような気もした。
「そりゃ、お前の場合は近過ぎるんだよ。実際あいつと手合わせを数度したことはあるが一度も勝ったことは無いな」
「いやいやいや、そこまでなのか?」
「あぁ、そうだぞ。あいつはどこか遠い人間だ、そう思えるものだったよ」
「はぁ……」
昔はともかく最近は観葉植物に水をやるのが趣味みたいなおっさんだ。どうしてもその強さを実感しにくい。
「あいつの実力が分からない間はまだまだお前は餓鬼って事さ」
勝ち誇ったようにガイルが笑う。
少しイラっとした。
「餓鬼じゃねえよ。これでも俺は同年代の中では一番の強さと言っても過言じゃないんだぞ」
事実、反抗して自分なりに戦った最初の大会を除いてはかなりの好成績、それどころか優勝経験を残してきた自信がある。不本意だが、レインの教え通りの戦い方は強かったという事だろう。
「ほぉ。それならその腰に飾ってるもので俺から一本取ったら、晩飯くらいは奢ってやるぞ」
ニタニタと、明らかな挑発顔だ。
鼻で笑う。そんな見え見えの挑発に乗る必要なんてない。
「いや、いいさ。武器を持ってない人間に模造刀とはいえ斬りかかるのは末代までの恥にしかならんからな。ちょっと休憩貰うぞ」
「やっぱ女顔になると心までもが女々しくなるのか?」
「そんな事を言っても変わらねえよ」
奥の部屋に向かって足を進める。と見せかけ、ガイルの後ろ、死角に移動する。
「なーんてな。晩飯は貰ったぞっ!!! というか人のコンプレックスを抉るんじゃねえよ、このハゲがぁぁぁぁぁぁぁぁ」
末代までの恥? そんなもんよりも大切なものがある。そう、それはプライドだ。手加減など一切考えず力一杯に腰にある模造刀を鞘から抜き、首元を狙う。どんな人間でもここまで完璧な不意打ちはそう防ぐことは不可能だ。これは俺の戦略勝ちと言ったところ……、
「はっ?」
自分でも随分と素っ頓狂な声を出したなと感じた。俺の一撃はガイルの親指と中指に挟まれて防がれていた。それも確かに問題だが、最大のそれは別だ。
ガイルはこちらを振り向きもしていない。それが問題だ。
「あのな、ユウト。せめて人を攻撃するときは殺気を隠せ。それだと攻撃する気満々だとバレバレだぞ」
「そ、そういう問題じゃねえだろっ! 普通の人間はそもそもあんな攻撃を見ずに指二本で受け止めれるわけねえんだよ」
「そんな興奮されても知らん。ったく、今回は俺がけしかけた部分もあるから何も言わんが、今後こんな事してみろ。しばらくバイト代は無いからな。そうだ、休憩室行くならついでにお茶でも入れてきてくれ」
目の前でとんでもない人間離れをしたガイルはそのままいつもの場所に座ると新聞を広げた。
「…………お、おう」
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「まさかあいつがヴィルス討伐に行くとはななぁ」
あいつは子どもがまだ幼いという盾を取って必死に政府からの呼び出しに拒否し続けていた。そんな我儘を通させるほどの実力もあったからこそできる所業ではあったが、それだけユウトの事を思っていた事の表れだろう。そんな事をしていたあいつがついに向かう。
それはあいつがユウトを大人として認めたからなのだろうか。それとも……。
今朝、店を開ける少し前にいつにない神妙な顔で現れたあいつを思い出す。
(これは何なんだろうな)
目の前にある日記帳。曰く、遺書代わりのようなものを見ながら何とも言えない気持ちを胸に抱いた。