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始動

地獄で十王達の話を聞き、人界への降臨理由を聞いた泰己。師父は泰己が何かを伝えるために戻ってきたのではないか?と推測していて……

我が家だった地獄に留まるのか聞かれたけれど、落ち着かなさそうで、師父の家に帰る事にした。十王達に別れを告げ、来た時と同じように師父に抱かれて闇の渦を通り、雲に乗り洞窟を抜ける。

帰り道にも厳めしい師父の部下は待っていた。俺の顔を見て口角を上げた。


「行きの時よりも難しいお顔をしてなさる。お気楽になさいませ」


そう言った後、俺に小さな林檎をくれた。


洞窟の外はもう暗く、星が瞬いていた。師父と雲に乗り夜空を見上げる。濃紺の闇を光の粒が埋め尽くしている、明るさを感じるような星空だった。


色々わかった事はあるけど、俺の記憶はまだはっきりと戻ってない。

俺は何を伝えるために戻ってきたんだろう?


俺は寒さに体を震わせた、夜風が冷たい。気付いた師父が俺に彼の服を掛け、強く抱きしめた、雲で満天の星空の下を進む。真っ直ぐに前を見る師父の顔を眺めながら考える。


老子の時も天帝の時もさっきの師父の時も、チカチカと光の中で見えた景色。あれは俺の記憶なんだろう。その中で俺は自分を私だと思っていた。

徐々にだが確実に私の記憶も戻ってきているのだろう。


「ねぇ師父は早く俺の記憶戻してほしい?」

「ふふふ、どうかな。僕に焦りは無いよ、君の望みが叶う事が一番だね」

「そっか…」


俺が私の記憶を思い出したら、師父との今の関係も変わるんだろうか?胸が詰まりそうな気持ちになる、寂しい。師父の服を強く掴む。

師父が気づいて俺の顔を見る、雲のスピードを緩めた。


「少し話そうか……」


一番高い山の岩の上に降りる。万華鏡のような空の下で師父と並んで座る、明るい星空で彼の横顔は美しい影絵のように浮かんでいた。


「ふふ、君が僕の所に来てどれだけ経ったかな……」

「んー三年くらい?」


師父がゆっくり首を振る。


「君が僕の庵にきて滝や空を眺めてる間に、百年は過ぎていたよ」

「え!百年?」

「気づいて無かったんだね、君は眺めたまま動か無いし返事も無くて、何度も触れて生きているのかを確認したよ」


覚えてなかった、そして百年もその生活を続けていた事に驚いた。


「師父にはいっぱい心配かけちゃったね…」


師父が柔らかく微笑んだ。


「僕は君が好きだよ、君と一緒の時間は一瞬一秒が愛しい。君への心配なんて離れていた時から見れば些細な事だよ」


俺は師父を見つめた。


彼はこれまで変わってない。俺が飛び込んできてから、ずっとずっと俺を見てくれていた。動かず過ごしていた時間も、彼の姿や口調が変わっても、俺が彼を忘れていても。

彼の俺への態度は何も変わってないのだ。


体が震えた、寒くはなかった。何かを言おうと思ったが言葉にならなかった。


「君が何を迷い悩むのかわからないけれど、君が望むなら僕はそばにいるよ」


彼のアメジストに星が写り込んでキラキラと輝いている。


「冷えてきたね、帰ろうか」


師父はまた俺を服でくるんだ。



◇◇◇◇



俺は師父との関係が変わる事を怖がっていたのだと思う。正確に言えば、記憶を戻した俺が変わり、師父の対応が変わるのが嫌なのだ。俺は師父が好きなのだ。ずっとそばにいて欲しいし甘やかして欲しい。


出来れば女の子が良かったな。


俺は女性に声を掛けるのが恥ずかしくて、お付き合いした事が無かった。俺を嫌ってない女子もいたと思うが、社会人になってからは文字通り仕事に忙殺されていた。


星明かりが差し込む寝床で、横にいる師父を見る。小さな寝息が聞こえる、師父は安らかに眠っていた。


白く淡い星彩が隙間を通り線となって室内に差し込む。月光を霜に例えたのは誰だったか。

彼の綺麗な横顔が照らされていた。長い睫毛が影を落とす目元、高貴さ漂う鼻梁、形のいい唇。


女の子じゃなくても大丈夫な気がする。


俺は半身を起こして指で唇に触れた、彼は起きなかった。少し大胆な気持ちになって、柔らかな唇に唇を合わせてみた、彼は起きない。

恥ずかしくなって布団にくるまった。家族やペット以外との俺のファーストキスだった。



◇◇◇◇



その晩は夢を見た。


大人の男に手を引かれ歩く、男は俺に歩調を合わせてゆっくり歩く。

色々な場所を歩く、明るい場所だったり暗かったり、俺がいた日本もあれば、師父と見たような街中もあり、西洋的な道もあり、どこかわからない森の中もあった。ただ歩く。人々とすれ違ってもみんな目も合わない。


「長い旅になったな……」


男は囁くような声だった。彼と目が合った。


「もういいか?」


彼はそう言って俺を抱き上げる。

彼は若い男性で黒い長髪だった、燐光を放つような白い肌に慎重さを感じる濃紺混じりの青の瞳。



◇◇◇◇



暖かさを感じながら目が覚めた。いつもと違って、起きた師父が隣で寝転んでいた。目が合う、いつもよりも甘い笑顔で微笑まれる。


「おはようございます、起きた?」

「え?」

「手を見て」


言われて目を向けると、見慣れた子供の手ではなく大人の男の手だった。

私の手だ。

私は起きたのだ。



ここまで読んでくださりありがとうございます、泰己目覚めました。


次回更新も明日の夕方を予定しています。また読んでくださると嬉しいです、よろしくお願いします。

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