魔法少女、はじめました!
家族が寝静まった後、一人の少女が自室でPCの画面を食い入るように見つめていた。
「……」
その様は、刑事ドラマなどで犯人が主人公サイドに犯行予告のメールを送り、「ゲーム開始だよ……刑事さん」とか言ってる雰囲気に近い。
「ふふ……」
少女は不敵にほほ笑む。
ヘッドフォンからかすかに音が漏れている。
『あ、あぅ……私、もう……もう……っ』
少女はさらにディスプレイに顔を近づける。
これが昼間なら、オカンに「目ぇ悪ぅなるから、あんま近くで見たらアカンで!」と言われてしまうくら
いの距離である。
『だめぇぇぇぇぇ! 見ないでぇぇ……ひっく……ぐずっ』
しょろろろろろろろろろろ。
という音。
少女は、鼻息を荒くする。
「あぁ……最高ね」
光悦とした表情でつぶやきを漏らした少女。そう。お察しのとおり、彼女は未成年であるにも関わらず、おもらし系のエロゲ―をやっていたのだ。
ちなみに、彼女は誰よりもエロゲーマーとしての誇りを持っていた。
だから、当然、違法ダウンロードなどではない。そんなのは三流エロゲーマーのすることだと思っているし、ちゃんと店で買ったものだ。
彼女曰く、堂々としていれば、案外年齢とかは聞かれない……らしい。
「もうこんな時間ね」
ヘッドフォンをはずして、部屋の時計を確認する。
彼女はエロゲーマーである前に、ふつうのゲーマーでもある。
ゲーマーとは、一日に一時間しかゲームをしないという暗黙の業界ルールを必ず守る。
そして、彼女もまたそうであった。
PCの電源を落とし、ベッドに潜り込む。
「ふふふ。今日もいい夢見れそう♪」
まるで年頃の乙女のようなことを言って、眠りについたのだった。
・・・・・・
円城寺 岳はいつものように優雅に目を覚ました。
眠気眼をこすり、洗顔のため洗面所へと向かう。
顔を荒い、うがいをする。そして、寝癖でぼさっとした長い白髪をくしでととのえる。
鏡の前でキメポーズをとってみる。
「うわ……私、相変わらず可愛すぎ……」
岳は客観的に見ても美しい容姿をしていた。
すらりとした長身の背丈。長い白髪。ひんやりとした瞳。
いわゆるクール系女子である。
「もう。岳ちゃん。また鏡に見とれてるの?」
鏡の前でうっとりした表情で自分にこれでもかというほど酔いしれていた岳に声をかけてきたのは、姉の夕であった。
「あら、お姉たん」
岳が振り向く。
岳の目には、スーツ姿の夕が映った。
「今日はスーツなのね。また就活かしら?」
岳の問いに対し、
「ううん。今日は大学で私の入ってるイノベーションコミットサークルで、ITベンチャー企業の社長さんを
呼んで、ディスカッション形式のシンポジウムを開催する予定なの」
夕は大学三年生、岳は高校一年生であった。
岳は、夕を妄信的に尊敬していた。夕のしゃべる横文字が、自分に伝わらないのもレベルの違いがあるからだろうと認識した。
「さすがね、お姉たん。お姉たんの言うことは難しくてよくわからないわ」
「こんど岳ちゃんにも教えてあげるわ。知ってる? この前、英字新聞に書いてあったんだけどね、人に教えることで本人の学習効果も上がるらしいわ」
「知らなかったわ……英二ってあの野球選手の……?」
「それは坂東。英字っていうのは、英語の新聞ってこと」
「えいごのしんぶん……!」
正直アルファベッドさえ怪しい岳にとって、夕の行っていることはもはや神業だった。
きらきらした目で姉を見る。
「うふふ。私はもう行くから、岳ちゃん。朝ごはんちゃんと食べるのよ。一流の経営者は絶対に朝食を抜かないらしいから。それじゃね!」
岳は一流の経営者になったつもりで朝食をたいらげ、制服に着替える。
「ふふ。行ってきます」
少女マンガの主人公ようにセーラー服のプリーツスカートを翻し、学校へと向かった。
岳は二人の幼馴染と同じ女子高に通っている。
二人に会えると思うと自然と軽くなる足取り。それはとてもこのあとの朝礼後にある小テストで0点をとり、半泣きになりながら追試を受ける人間のものとは思えない。
「やぁ」
突然、どこからともなく可愛らしい声が聞こえた。岳は無意識に立ち止まった。
あたりを見回す。
「ここだよ。キミの足元だよ」
言われた通り足元に視線をやる。
すると、そこにはよくわからない生物がいた。
真っ白な毛皮。ひょろりとした小型版のキツネのような体形。
「……」
岳は、とりあえずその動物を二度見した。
完全に目があったが、無視することに決めて再び通学路を歩き出した。
「聞こえてるよね? オコジョちゃんの声、聞こえてるよね?」
その動物は岳の正面へ回り込んできた。
「……」
岳はまた無視して歩く。
「オコジョちゃん、悪いオコジョじゃないよ? いいオコジョだよ?」
まだ動物は付いてくる。
あまりにしつこいので、返事をした方がいいのではと岳は考え始めた。
しかし、岳の頭には幼少時に交わした夕との約束がよみがえる――
夕、12歳 岳、7歳
夕『岳ちゃん。岳ちゃんは可愛いから、悪い人に声をかけられることがあるかもしれないわ』
岳『素人ナンパものってやつだよね! 聞いたことあるわ!』
夕『素人……? と、とにかく、そういうとき、絶対について行っちゃだめよ?』
岳『うん!』
夕『ちょっと心配だから、練習しとこっか。お姉たんが悪い人役するから、岳ちゃん対応してみて』
岳『わかったわ』
夕『あら~、お嬢ちゃん可愛いねー、お菓子あげるから車に乗りなよ』
岳『え、でも私AT限定免許しかなくて……ごめんなさい!』
夕『……岳ちゃん。違うわ。岳ちゃんは免許持ってない設定だし、別に車がMTってわけじゃないし、だいたい岳ちゃんは運転しなくていいの』
岳『え……』
夕『とにかく、無視してその場を離れること。わかった?』
岳『うん!』
・・・・・・・・
「ねぇねぇ。オコジョちゃんのお話し聞いてよ。君は選ばれたんだよ」
短い足で必死について来て言う動物。
「……!」
岳は、『選ばれた』という単語に反応してしまった。
なぜか。
岳は、自分には眠っている特殊能力があって、いつかその力が覚醒して世界を救うのだと常日頃から思っていたからである。
そして、今こそが一日千秋の思いで待ちわびたその時なのではないかと思ったのだ。
――お姉たん。私は、お姉たんとの約束を、破ります……!
「……なにかしら」
岳は、興味ないけどあまりにしつこいから仕方なしに反応してやったという感じを出して言った。
あまり期待するような素振りを見せると相手に上から目線で来られると考えたのだ。
「あ、やっぱり聞こえてたんだね。安心したよ。円城寺岳ちゃん」
岳は、名乗ってもいないのに名前を知られていたことから、情報化社会の恐ろしさを思い知った。
「えっと。オコジョちゃん……と言ったかしら」
岳はさっきこの動物がそう名乗っていたのを覚えていた。
「うん。オコジョちゃんの名前はオコジョちゃん。よろしくね」
岳は、この動物の一人称が気になったがスルーした。他にもっと気になることがある。
「それで……その、私学校あって急いでるし少し迷惑なくらいだけれど、さっき私は選ばれた的なこと言っていたわよね!?」
興奮する気持ちを押さえつけて会話するので、少しチグハグしてしまう。
「うん。君は選ばれたんだ。世界を救う者としてね」
岳は心の中で「キターー!」と叫ぶ。今は自分を中心に地球が回っているのではないかとさえ思う。
「でも、急いでるし迷惑なんだよね……困ったなぁ。無理強いはできないし……でも、代わりはいないし……」
「そ、そうよ。いきなり選ばれたなんて迷惑だわ」
冷静でクールな自分を演出する。
「でもこのまま帰ったら、神さまに怒られちゃうよ……」
「か、神さま!? 私、神さまに力与えられちゃう感じのヤツ!?」
「そうだよ。君は神さまに選ばれたんだ」
これは最強系の能力をもらって無双するという、いま最も流行っているヤツだと岳は確信した。
だからこそ、「焦るな。クールになれ」と自分に言い聞かせる。
「そう……そういうことね。私は多忙な身だけれど、あなたがどうしてもって言うのなら――」
言いかけた岳。しかし、遮るオコジョちゃん。
「うん。でも学生の本分は勉強だしね。岳ちゃんが学校に行って青春を謳歌することを、いくら世界のためとはいえ邪魔する権利はオコジョちゃんにはないんだよね」
「え……」
妙にものわかりのいいオコジョちゃんに岳は動揺を隠せない。
ふつう、こういう魔法少女を補助する系の動物マスコットはかなり強引に力を与えてくるものだ。
岳は、自分が十年間以上も日曜日の朝に見てきたアニメのことが信じられなくなってきた。
「ちょ、ちょっと。そんなに簡単に諦めていいの? 帰ったら神さまに何されるかわからないわよ? あの人、顔は優しそうだけど怒らせるとマジで激ヤバよ」
驚くほどの知ったかぶりで脅しつける岳。
「そ、そうなんだよね。神さま、いつもは優しいけど、怒らせたらなにするかわからないんだよね」
「そうよ! ほら、神さまの得意技の……怒ったときにいつもやるアレやられちゃうわよ」
「アレ……?」
「ほら、あの……バコーン! ってなる、なんていうか、凄いマジヤバなヤツよ」
「あぁ! 雷の降る悪夢のこと?」
「そうよそれ! 雷の降る悪夢やられると最悪の事態になるかもしれないわよ……」
「そ、そうなんだよね……あ~、やっぱりなんとしても岳ちゃんに契約してもらわないと!」
岳は、世の中案外知ったかぶりで会話をしてもなんとかなるものなのだと学習する。
「よしっ。やっぱり決めた! 岳ちゃん! オコジョちゃんと契約して魔法少女になってよ!」
オコジョちゃんの揺るいでいた決意が固まったことに一安心する岳。
「あなたがそこまで懇願するというのなら、仕方ないわね」
これにて、岳はオコジョちゃんと契約して魔法少女になった。
「……ありがとう。本当に感謝でいっぱいだよ」
感涙するオコジョちゃん。こういう魔法少女系マスコットは、可愛い見た目とは裏腹に実は鬼畜という風潮があるが、オコジョちゃんに関して言えば、本当に見た目も中身も可愛らしいマスコットなのだ。
「……で。やっぱり闇の組織とかと戦うのかしら? 相手は悪魔の使い? 私の魔法はどんなのかしら」
さっきまでのクールを忘れ、完全にノリノリモードへとなってしまう岳。
「え、ええっと、その……言いにくいんだけどねぇ」
オコジョちゃんは急に積極的になる岳に困惑しつつ、お茶を濁す。
「とりあえず、岳ちゃんのカバンに入れてもらってもいい? 岳ちゃんが魔法少女になったことは、学校のみんなや家族には内緒にしてもらわなくちゃだから」
「あぁ、あなたの姿が見られるとまずいってことね」
岳はオコジョちゃんを抱き上げ、自身の通学カバンに入れた。
「ふぅ。それじゃあ、魔法少女について話すね」
カバンから顔をちょこんと出してオコジョちゃんが言う。
「まず、魔法少女の目的は、秘密組織『賢者の会』を倒すことだよ」
「秘密組織……! 『賢者の会』……!」
岳は目を煌めかせる。
「あ、あはは。『賢者の会』というのは、ある目的のために活動していて、今この世界でかなりの力をつけているんだ」
「いいわね! いい設定よ!」
オコジョちゃんは岳のテンションがあまり理解できなかったが、続ける。
「岳ちゃんの仕事は二つ。他に魔法少女になれそうな仲間を探すこと。それと、『賢者の会』のボス『シロノホワイト』と『クロノブラック』を倒すことなんだ」
「『シロノホワイト』……『クロノブラック』……このネーミングはちょっとださいわね……」
この少女は真面目に聞いてくれているのだろうかとオコジョちゃんはいささか不安になる。
「うん。とりあえず説明は終わりかな。うん」
オコジョちゃんは焦るようにして話を終わらせた。
しかし、まだ好奇心が収まらない岳は質問をする。
「魔法少女を探せと言うけれど、魔法少女になれる人間の条件とかはないのかしら? あと、『賢者の会』って何を目的にしている組織なの?」
「あー……そこ気になっちゃうよねぇ。やっぱり」
オコジョちゃんは露骨に顔をしかめて気まずそうにする。
「なにか隠しているの……?」
これには空気が読めないことで定評のある岳でも、さすがに感づいてしまう。
「ごめんよ! 悪気はなかったんだ! でも……確かに騙すみたいな形になっちゃったのは事実だし……」
岳は、このオコジョちゃんという生物はちょっと面倒くさいヤツだなと思い始めていた。
「……怒ってないから、話して」
「わかったよ……」
オコジョちゃんは観念したようで、洗いざらいを語る。
「まず、『賢者の会』っていうのはね、この世の中から性的なものを一切排除しようという組織なんだ」
「……そんな組織があったのね」
重度のエロゲーマーの岳にとっては非常に大きな危険分子と言えよう。
「神さまによるとね、性的なことは決して悪じゃなくて、生物にとって必要なものらしいんだ。だから、それを根絶しようとする『賢者の会』は危険なんだって。だから、魔法少女の手を借りて、彼らと戦うことが必要なんだ」
「……」
岳は静かにオコジョちゃんの話を聞く。
「魔法少女……これになる条件は、少女であること。そして……重度の変態であること」
「……」
岳の沈黙はオコジョちゃんを恐怖させる。
「……だから、あの、その、岳ちゃんが期待しているような、きゃぴっとして愛と正義のために戦う従来の魔法少女像からは……その、ちょっと逸脱するっていうか」
オコジョちゃんは言いよどむ。
きっと、岳を失望させてしまったに違いないと罪悪感に苛まれる。
しかし……
「それってね……」
そう言った岳の声はオコジョちゃんが思っていたよりもずっと明るいトーンだった。
「ふふふふふふふふ。私は神さまに選ばれるレベルで変態ってことでしょ!? 同年代では敵なしってことよね!? いわば性欲魔獣よね!?」
目をらんらんと輝かせ、非常にハイなテンションで叫ぶ岳。
「い、いや……確かにそうなんだけど……」
小さな声で言うオコジョちゃん。
「いやったぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!!」
ぴょん! と大きく飛び跳ねてガッツポーズを作る岳。
「えええぇぇぇぇぇ! そこ喜ぶとこ!?」
とっさにツッコミを入れるオコジョちゃん。
「喜ぶに決まってるじゃない! バスケ部のリア充よりも! 推薦狙いの生徒会役員よりも! お高くと
まった教師よりも! 私は上! 上! 常日頃から思ってたのよ! あははははははは!!」
「それは性欲に関して……の話だけどね」
というオコジョちゃんのツッコミは、高笑いする岳には聞こえていな。
「ま、まぁ、ハングリー精神は歓迎すべき……かな?」
オコジョちゃんは大変な娘を魔法少女にしてしまったという現実を受け止めきれず、とりあえず楽観的な考えに流されておいた。
「あははははははっはは! あっ……笑いすぎてお腹つった……」