第6話《進行しない夢》
夜中に急に視界がぼんやりとしだしたのは、何も眠気ばかりではなかった。
机に原稿用紙を何枚か広げて、それなりに書きなぐったりしていた。
「…………」
ただ消費したに過ぎない原稿用紙。痛み始めた指先。成果は、なにもなかった。
憔悴しきったとでも云うように、自然に息をこぼす。
あの頃の自分なら、もっと……。
僕は密かに落胆する。容赦のない現実が、はっきりと姿をみせる。そうなれば、ため息を吐くしかあるまい。
若いシンガーソングライター達が歌に込めるような、惰性的な毎日からの離脱や、才能への見切り、ありふれた日々にある物足りなさを、僕は今、身をもって味わっている。
言の葉の泉は枯れた。なんとも悲しい。あれだけたくさんの本を読んだというのに。
僕が諦めそうになると、ぼんやりとした意識の中で、目覚めたばかりの詩人が、まるで誘導でもするように、呟くのである。
書かねばならぬ、書かねばならぬ……。
何故と自問すれば、かさねの手の感触や、その表情までも、思い出してしまう。
僕は思い立ったように、一階へと降りて行った。
リビングのソファには、千尋が膝を抱えて座っており、電気もつけずにホラー映画を観ていた。僕はそういう姿を認めると、何も咎めないまま、台所でインスタントコーヒーを作った。
「アニキー。あたしも一つ」
「わかった」
二つ目のカップにコーヒーを淹れて、僕はおもむろに千尋の隣へ座った。
千尋にコーヒーを手渡す。それでも、千尋は静かにしていた。テレビに映し出された夏の風物詩を目の前にしておきながら、千尋は、ただ黙っている。昔から妙なものばかりに興味を示していた。小学生の時分には、任侠映画にどっぷりとハマって以来、僕のことをアニキと呼ぶようになっている。ホラー映画を観れば、急に笑いだしたりするくらいで、泣いたり、怖がるということはなかった。だというのに、千尋はクスリともせず、あろうことか、今にも泣きだしてしまうのではないかと、僕を不安にさせる。
不意に千尋が僕にもたれかかる。なんとも気に入らなかった。
「寂しい?」
訊くべきではないとわかっていた。千尋と同じ思いを、僕も経験したのだから。
「それはそれは、寂しいですよー」
千尋は些か不機嫌に答えて、コーヒーに口をつける。僕は居心地が悪そうな顔をして、テレビの奥で繰り広げられている怪奇現象や、やけに手の込んだ特殊メイクを一瞥し、やがてリビングに漂っている、淀んだ、そのうえ冷たいエアコンの風が、いつの間にか僕ら二人を包んでいるのに気付いた。
はたと理解した。こんな場所では、人が恋しくなってしまうのだ。千尋は、ぬくもりが恋しくて、寄り添う人が恋しくて、僕にもたれてきたのだろう。
「ごめんね」
千尋の頭を撫でる。
「分かればいいよ、分かればさ」
満足そうに言って、千尋はコーヒーを飲みほした。