第4話《作用する惰性》後編
窓辺の椅子に腰掛けて、女生徒は僕の仕上げた三題噺を読み始める。僕は向かいの椅子に座って黙っていた。僕が書き終える前に松坂は帰ったらしかった。それだけの時間が、あっと言う間に過ぎていたことに、僕は呆気なさを感じて、そのうえ達成感があるのを認めた。
「へぇ。なんだか面白い」
頬杖をつきながら、女生徒はついと口にした。
「えっ?」
これまで僕は、自分の書いたものに感想を言われた経験がなかった。どこかでそれを望みこそしてきたが、こういった時に、しかもあっさりと言われたものだから、気づけば聞き返していた。新鮮な感覚を逃すまいとして。
「面白いよ、城戸くんの三題噺」
ひょっとすると、それは僕を入部させたいがための台詞だったのかもしれない。けれども今の僕は、その言葉を真に受けてしまいそうになっている。
「なんというか、少しだけ城戸くんを知れた気がする」
女生徒は原稿用紙に視線を向けていた。瞳は恋い焦がれるように情熱的で、なにか諦めきったような、悟った風に見える。僕には当然、女生徒の内を知る術はない。訊ねるのは無神経で、恐ろしい。
「どう? 文芸部、入ってみない?」
絞り出すように言う彼女に、窓から日が差し込んだ。
雨はとうとう止んだ。茜色に染まる女生徒の姿を見、僕は些か戸惑い、顔を伏せる。
「……はい」
しっかり考えた。なのに、答えてほんの少し後悔する。応じなければ、どうなっていたのか、だいたい予想が出来ていたから。だから、先の読めない道を選んだことで、落ち着かなくなった。自らの手で脚に鎖をつけるかのような、そんな感触だった。
「じゃあ、改めてよろしく。私は部長の川北あけみ」
部長は手を差し伸べる。僕はまたしても応える。揺るぎなくも柔らかな手を握り、部長が笑むのを認めると、僕は窓の外へ目をやった。
晴れ間が見える。瑣末な事象ではあるけれど、今は妙に、嬉しかった。
その日の夜のこと、僕がベッドに横たわって思惟にとらわれていると、妹の千尋がやってきて、なんだか難しそうな顔をしていた。僕はベッドの上に体を起こし、ずっと入り口で立ち止まっている千尋を中へ招いた。
「なにか用?」
「うん、ちょっとだけ」
千尋は僕の隣に腰かける。暗くてよく見えなかった表情が、さっきよりは鮮明に受け取れた。どうやら、僕が難しそうな顔と思っていたそれは、千尋が寂しい時に見せるものだった。
「今日、アニキの帰り遅かったから」
「そうだったね」
僕はうわの空のように返事をしながら、こうして僕の部屋に漂っている重苦しい空気が、なんだか気になってならない風をしていた。
「また、かさねお姉ちゃんのとこ行ってたの?」
「体験入部してたんだ」
「えっ?」
千尋は驚いた様子だった。
「部活やるの? なんの部活?」
「文芸部だよ」
千尋は僕がそう言うのを認めると、口調を明るくして、僕が無意識のうちにとらわれていることを、ついと口にした。
「そっか、まだ、アニキも諦めてなかったんだね」
「……かもしれないね」
「じゃあ、あの小説も仕上げてあげないと」
千尋は僕の肩にもたれる。僕はそんな千尋の肩に手をやりながら、返事はしなかった。
ああ、やはりそうなってしまうのだろうな……。
「アニキの小説、あたしも読みたい」
「千尋もそんなことを言うのか……」
僕の気弱な言葉に気を良くしたのか、千尋は不意に笑う。
「かさねお姉ちゃんの次に読みたいかなって」
「そっか」
僕は千尋の頭を撫でながら、理解しきれない事柄と向き合い始めていた。
かさねが夢と口にするものは、いったいなんなのだろうか……。