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第3話《作用する惰性》前編

  雨は翌日も降り続けていて、体育の授業で予定されていた野球は急遽、バスケに変更となった。二クラス合同で行なわれる体育は、始めの準備体操が終わると、教師の号令で自由時間になり、バスケと銘打ってあるものの、集まってバレーを始める男子生徒もちらほらいた。

  ネットを挟んだ向こう側では、女生徒が体育をしていて、あちらは元よりバスケをするようになっていたらしく、平常通り授業が行われていた。

「城戸、ちょっと付き合え」

  松坂がバスケットボール片手に僕の肩を叩いた。松坂は中学からの付き合い。浅くはあるが、こう云った時にはよく二人になって物事に興じる仲である。

  僕が頷くと、松坂は体育館の隅に場所をとった。僕が距離を置いたのを見やって、松坂は軽くボールを投げる。僕がそれを当たり障りなく受け止め、松坂に倣い投げ返す。元野球部の松坂にとっては、こんなのは軽い運動にもならないのだろう。

「もう7月だってのに、雨ばっかりだよな」

「そんな時もあるさ」

  他愛のない会話と並んで、途切れないキャッチボール。

  ボールがあちらこちらで音を立てている。笑い声がして、靴が床を鳴らす。騒がしく、荒々しい。

「城戸ってさ、作家目指してたよな」

  なんとはなしに松坂がそう訊ねるので、僕は少し面食らった風をした。

「……そうだね」

「文芸部とか、興味ないか?」

  松坂はさりげない口調で問う。僕は幾分悩ましいと云った様子をしてボールを投げる。しばらく僕は黙り込む。松坂は急かさなかった。けれども黙々とボールのやり取りをするのに耐えかねたと言わんばかりに、松坂がボールを大きく上に投げる。弧を描きながら、僕の頭上でゆっくりと、そしてまっすぐに、僕を求めるように、それは落ちてくる。

「小説、書きたくないか?」

  そんな松坂の言葉を耳にしながら、僕はボールを見上げる。照明が眩しく、周りの音で僕のリズムは崩れ出していた。落ち着かない鼓動。定まらない視線。迫るボールへと、戸惑いながらに手を出す。もう、目を背けられなくなっていた。

  ずっしりとした重みを受け止め、僕はふと頭に浮かんだ思いを理解した。

「書きたい」

  僕は呟く。松坂には届いたらしく、彼が安心したように笑むのを認めると、僕はボールを大きく上に投げた。

  僕が求めるものはない。けれど、僕を求めるものがある。


  なんだか、いまはそれでいい気がした。


  放課後、僕は松坂に連れられて文芸部に行った。古びている訳でもなく、かといって新しい訳でもないその部室に、1人、椅子に腰掛けて足を組み、小さい本を膝の上で広げて読んでいる女生徒がいた。どうやら部長らしかった。本の虫を絵に描いたような人物を想像していたが、女生徒は至って今時の女であった。

「遅いよ、後輩」

  鼻でため息を吐きながら、女生徒は本を閉じる。しかし立ち上がろうとはせずに、背もたれで体を反らせて、じっと僕を見る。不審というよりは、疑問のこもった目だ。

「そっちの子は?」

  松坂は経緯を語り始める。僕は目のやり場を探しながら、部屋中を見渡した。壁際の本棚に所狭しと並べられた本。部屋の中心に長机が二つ揃えてあって、まわりに四つパイプ椅子があった。中でも目をひいたのは、窓際の雰囲気だった。女生徒がいま座している椅子は、レトロな木製の椅子で、それが丸い机を挟んで二つある。その空間だけが、この部屋から浮いていた。

「体験入部って風に捉えていいのかしら」

  女生徒はようやく立ち上がった。

「はい、構いません」

「ずいぶんと固い物言いなのね。名前は?」

  女生徒は面白がっていた。僕は気にもとめずに女生徒の所作を見つめている。

「城戸曽良です」

「そら、ね。いい響き」

  恥ずかしげもなく女生徒は呟き、おもむろに本棚に足を運んでなにやら物色を始める。まもなく取り出されたのは原稿用紙だった。

「城戸くんは、書いたりはしてるんでしょ?」

「……それなりに」

  尻窄みに答えたが、女生徒には理解できたようだった。

「パソコン派だったらごめんなさいね。私は紙の方が好きだから、ここには紙しかないの」

「いいえ、僕もパソコンは苦手ですから、ちょうどいいです」

  女生徒が長机に原稿用紙を置くと、松坂は席について、さっそく何かを書き始める。

  なんだか意外だった。中学校では野球部にいた彼が、今はそうして慣れた手つきでペンを持っている。僕には到底、理解できない。

「じゃあ、城戸くんもなにかやってみよっか」

「なにかって?」

「うーん。そうね。三題噺なんてどう?」

  女生徒は僕を椅子に誘導する。僕は応じて椅子に座った。

「いいですよ」

「お題は……、猫、入学式、ハワイで」

  僕は内心、笑いそうになっているのを悟られまいと黙って頷いて、原稿用紙を何枚かちょうだいした。通学鞄から筆箱を取り出して、中から一本、鉛筆を選んだ。

「…………」

  僕はどんな顔をしているのだろう。あれだけ頑なに拒んできた行為に、こんなにも簡単にたどり着いてしまった。きっと、鹿爪らしい顔を貼り付けているのだろう。始めの一文に苦しむ感覚。絶えず行き交う猫とハワイに入学式という単語を捕まえ、言の葉の泉で、三つを一つにする。

  なんて難しいのだろう。

「ゆっくりでいいからね」

  女生徒が口にした言葉は、昨日、かさねに言われた言葉だった。ゆっくり、ゆっくり。反芻するかさねの声。優しく急かさないその言葉が、僕を叱り、追い込むように感じる。

  君はなぜ、僕を求めるのだろう。

「わかってます」

  僕は鉛筆を原稿用紙につけ、三題噺を書き始める。

  形だけの話を、中身のない話を、嘘ばかりを、つらつらと、綴り始める。

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