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第11話《思考》

 部室に入った時、部長は腕を窓の桟について、遠くの方を眺めやっていた。二言三言、目を合わせて挨拶を交わした。それからは、部長は先ほどまでと同じように、ああして雨の降る外ばかり見ている。まるで飛び立てない鳥のように、衝動を押し殺してでもいるかのように。

 僕は椅子に座らなかった。しばらく立ったまま、居心地の悪さを受け止め、やがて我慢ができなくなって、部長の方へ歩み寄った。すると、部長が小さくため息を吐いた。いや、もしかすると、ただの呼吸だったのかもしれないけれど、僕には、どうもそれが部長の秘めている想いの一端のような気がしてならなかった。

「どうかしましたか?」

 尋ねると、部長は少し間を置いてこちらに顔を向けた。

「いえ、なんでもないの。ところで、松坂はどうしたの?」

「今日は先に帰りましたよ」

「そうなの」

 部室には僕と部長だけだった。聞けば、松坂は入部してからの3か月の間、一つも作品を仕上げていないらしい。なにか長編に挑んでいる風でもないのだと、部長は語ってくれた。その時の部長の顔は、なんとも言えない顔つきをしていた。不機嫌にしては落ち着いていて、良いというのは、違うと思った。

「城戸くんは? 書きたいものは見つかった?」

 部長は作り笑いを浮かべた。

「はい。漠としてはいますが」

 僕はついに部長の傍まで近づいた。部長はまた、外を見つめだした。

「そう、なら良かった」

 部長として、部員のことを思っての言葉だったのだろうが、それでも部長はけして心から笑いはしなかった。

「隣、いいですか」

「ええ」

 僕は部長に倣って、窓の外を見だした。雨に濡れた景色。見慣れているはずなのに、霞んだ風景に見え隠れする町の姿は、真新しく、悲しかった。

「一ついいかしら」

 不意に部長が大きく息を吸った後、そう切りだした。僕は落ち着かない心地を隠しながら頷いてみせた。

「城戸くんの、夢って……何?」

 部長はまるで、僕らがこれから人に聞かれてはまずい話でもしだすかのように、重苦しくいくぶん暗い声で言った。

 僕はしばらく考え込みながら目を閉じて、ふと耳に入った吹奏楽部の演奏が気になっている風をして、体を小刻みに揺らして言葉を紡いでいた。

「……作家です」

 自分でも思いがけないほどに、容易く口にできた言葉は、どうやら部長を満足させたらしく、部長はようやく自然な微笑をした。

「あなたなら、なれるわ」

 心から、彼女はそう思っていたのだろう。しかし、僕は今までの部長の仕草の中に唐突に表れては消えていく、彼女の隠そうとしている感情に気づいていた。名状しがたいけれど、彼女が初めて僕の三大噺を読んだ時に見せたあの表情。あれが、今も忘れられずにいる。

「部長の夢は、何ですか?」

 誰もがそう訊き返すはずだった。僕もその一人であり、今の僕は、紛れもなく無神経だ。

 彼女も僕と同じように、思惟にとらわれている風をした。僕は辛抱して待った。耳を澄ませて、何度となく同じ音色を響かせる生徒たちに焦らされながら。

「作家……になっちゃうかな。やっぱり」

 ついに音色が途切れて、部室は急に寂しくなった。雨が奏でる雑音ばかりが蔓延り始めた。

 言葉には自信がなく、部長は口元を腕で隠した。

「あたしなんて、城戸くんに比べたら……ぜんぜん駄目」

 僕は何か言いだそうと口を開いたが、何も発することはなかった。損なわれていることに、浅はかであることに気づいたからだ。

 僕はあなたの話を、まだ読んでもいないのだから。



 傾けた傘が風に揺れ、雨に叩かれた。まるで僕に無理やり感情を押し付けようとでもするかのように。

家路を歩き、部長を思う。あの人の抱えるものが何か、分かりはしない。周りのことなど、見ようともしなかったのだから。自分が愚かに思える。馬鹿馬鹿しくもなる。母がいなくなった時、僕は自分こそが誰よりも不幸だと思っていた。親戚に同情され、励まされ、千尋に泣きつかれ、自分は唇を噛みしめたりしていた。

それからペンを取らなくなった。

 それなのに、それなのに……。

 僕がペンを取ろうともしなかった時に、ペンを取っていたのであろうあなたが、どうして僕より辛そうな顔をするのだろう。


僕は川沿いの道を歩いた。わずかに風が強まって、ズボンの裾が濡れてなんだか重くなっているのに気付いた。鬱陶しく感じながらも、どうしようもないことを冷静に悟った。

 川沿いの道には小さな公園が隣接していた。ベンチがいくつかあって、ブランコが二つある程度のものだが、そこに人がいるのを、僕はあまり見たことがなかった。朝顔が絡みついたフェンスの向こうに目を凝らす。夏らしい緑の葉の隙間から、橙色の何かが見え隠れした。

僕は至って自然に、今この場で育っている朝顔が気になったと云った風をして、フェンスの方へ近寄った。どうやらそれは雨具の色らしいと分かって、僕は立ち去ろうとしたが、その雨具を身に着けた人がベンチに腰かけて、フードを外したのを見て、僕は再び足を止めた。それが水島だったからだ。

 僕は公園に入って、水島の方へ歩いた。彼女の顔は、汗や雨水に濡れていた。

「水島」

 彼女は徐に顔を上げた。そして、僕はおもわず息を飲んだ。彼女の目は赤く、微かに唇が震えているのを見て、僕が汗や雨水に濡れたのだと思っていた彼女の顔は、そればかりで濡れた訳ではないのだと、理解できたからだ。

「ああ……」

 水島は喋ろうとはしなかった。途端に俯いて、なにやら足元を見つめながら、泥跳ねのついた靴で、何度も地面を擦り始めて、やがてその地面に小さな砂の山が出来る。僕は自分を守っていた傘を、水島の上に差し出した。水島には、不要なものであったというのに。

 次第に雨が体に纏わりつくのが分かった。ついには髪の毛までもが、雨水を滴らせる。

 これは押し付けであろうか。ただただ僕は、水島の顔をこれ以上、濡らしたくはなかった。僕よりもまっすぐに、積極的に、ひたすらに、夢を追っている彼女には、どうか、どうか明るいままでいてほしかった。

「城戸くん……、濡れちゃうよ?」

 水島は傘を見上げながら、どうにか感情を堰き止めようとでもしているような、柄にもないゆっくりとした口調で声を出した。僕は鹿爪らしい顔を張り付けたまま、視線を水島の足元や、顔や、そして自分の握っている傘などに、休むことなく目をやっていた。

「……僕は、これでいい」

 沸々と湧き出してくる。僕は自分に嫌気がさしてきた。おそらく、僕が触れている人達は、自分の夢を見失ったことはないのだろう。夢を叶えるために、やるべきことをやってきたのだろう。それに引き換え、僕はと言えば、かさねがいなければ、再び作家になろうなどとは考えなかった。僕の夢は、薄くて脆い。けれど、僕は笑うことが出来ている。

 もう一度、僕は水島の顔を見る。その脱力しきった顔に、溢れそうになっている感情を湛えた顔に考えを巡らせながら、僕はようやく、口を開いた。

「夢を追うのって……、そんなに辛いのか」

 激しい雨に、かき消されそうな僕の声が、水島には届いた。彼女はとうとう、僕にもはっきりわかるように涙を零して、時折しゃくりあげたりしながら、それでも感情を抑え込もうとでもするように、自らの膝に爪を立て、ぐっと拳を握りしめた。僕はもう何も気にせずに、濡れたベンチに腰かけて水島の背中を無意識にさする。

 しばらく水島は何も喋らなかったが、ゆっくり、ゆっくりと落ち着きを取り戻して、水島はすべてを語ってくれた。姉と口論になったこと、無理やり家を飛び出して走っていたこと。その中で彼女が一段、重苦しく語ったのは、姉に対する思いであった。憧れであるはずの姉の一言一句に、最近は苛立つことが増えたという。

僕は聞き手に徹していた。聞き漏らしたくなかったのだ。彼女の思いに、真剣に向き合いたかった。

「あはは、真面目な話を長々としちゃいました」

 水島は自然に笑い、僕の方に目をやった。横で押し黙っている僕を見て、水島が不安そうに首を傾げる姿を認めて、僕は我に返った。

 水島は僕の傘を奪って、僕の上にそれを出した。まるで、泣いていたのは僕の方だったとでも云うように。

「いけないのかな」

「え?」

「いけないのかな。中途半端な志では。……それしかない人にとっては、目障りなことなのかな」

 嘘や偽りのない言葉を、僕は少し俯いて、水島が先ほど作っていた小さい砂の山を見つける。すると、目の端に同じものが映った。それはどうやら、僕が今しがた作ったものらしかった。

「わたしには、それは分からないかな」

 静かに呟いて間もなく、水島が大きく息を吸うのが分かった。

「でもさ、中途半端でも、一生懸命でも、志があるのは、良いことだよ、きっと。叶う人もいれば、叶わない人もいる。その方が、面白いよ。うん、面白い」

 水島は僕の背中をさすり始める。

「わたしは、たぶん……叶わない方の人だと思うけど」

 水島は、遠慮がちに笑ってみせた。


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