トライアングル
人は様々な「経験」をして成長していく。
時には大切な人々と時間を共有したり、時には目標に向かって進むその過程や達成感、時には失敗や挫折、人との繋がり、どれも「経験」として自分の中に積っていく。
これは私の無力さを知る「経験」のお話。
高校二年の春休み。三年生になれば受験組は中々遊ぶ事もできなくなるので、最期に皆で出掛けようという話になった。
近場の温泉で一泊する事になっていた。気心の知れた友人達と出掛けるのも、後何度あるのか等と少ししんみりしたのを覚えている。
夜遅くまで友人達と話をしていた。受験の事や、就職の事、学校生活の事、所謂恋バナを。
恋バナになった時、何となく私の話になるのかと身構えてしまった。予想通りの展開だった。
私が思っていた以上に私自身がその話題に抵抗が無かったのに驚いた。自分の中で区切りがつけられているのだと知れた。
だからと言う訳では無いが、その後日塾で彼女を見かけた時に数ヶ月ぶりに話すことが出来た。『もう話してくれる事は無いと思っていた』
『友達だからね、時間掛かってごめん。』
こちらが一歩踏み出せば、人は応えてくれるのだ。それからは元の仲の良い友人に戻ることが出来た。
三年になった。私は受験組だったので志望校を決めるために大学案内を読み漁っていた。
私は幼い頃から地元の高校へ行って、地元の大学へ進学して、地元の企業に就職する、そんな無難な将来を想像していた。
実際、色々な大学や学部を調べてみてもピンと来なかった。無難な道を何となく歩き続ける、それで満足出来ていたのかも知れない。
受験組同士で勉強したり、情報交換する機会が増えてきていた。私は受験の相談をよく受けるようになっていた。
そんなある日の事、私は図書館で調べものをしていた。一段落したので休憩室で一服していると、一人の女子に声を掛けられた。親友のクラスの女子だった。
彼女とは一年の時同じクラスで塾も同じ、親友とも仲が良く、よく話す間柄だった。
『図書館に居るの珍しいね?』
『ちょっと調べものがあってさ。一段落したから休憩中。』
『そうなんだ、ちょっと時間ある?』
『うん?大丈夫だけど?』
『話って言うか、相談?なんだけど…』
『相談?』
『進路のことなんだけど。』
『あぁ、進路か。でもさお前やりたい事決まってるよね?』
『うん。医療関係なんだけど、大学絞れなくて』
『医療関係かー、国立だとT大とかK大?私立ならA大辺り?』
『K大行きたいけど偏差値高いから。私立だとY大位。』
『まだ半年以上有るんだし、K大目指してみたら?最初から諦めてたら、それ以上伸びなくなっちゃうから。』
『そうだよね、ありがとう。』
『他にも良いとこ無いか探しておくよ。』
きっと彼女は自分の進みたい道が見えていて、やるべき事を理解していて、それでも尚誰かに少しだけ背中を押して欲しかった、今ならそう思える。
夏休みに入った。私の高校生活最後の夏休みは夏期講習で終わる事になる。
毎日、朝から晩まで塾の自習室に引き篭もっていたある日。親友のクラスメイトの彼女が入ってきた。少し話したいとの事だったので、昼食がてら近くのお店に行った。
進路の話だと思っていた私は、あれから調べた大学を幾つか紹介してみた。ありがとうと言いながらも、どこか歯切れの悪い感じを受けて
『あんまり興味無い感じだったかな?』
『いやいや、わざわざ調べてくれて、本当に嬉しいよ。』
『それなら良かったんだけど。なんか悩んでる感じだったからさ。』
『あー、うん…受験の事じゃ無いんだけど…』
『そうなんだ。俺で良ければ話位なら聞くよ?』
『うん…』
『無理に話さなくても良いから。話したかったら聞くから、いつでも言ってよ。』
『話したくない訳じゃ無くて、なんて言えばいいのかな…』
『どういう感じの話?』
『〇〇君は好きな人いる?』
『えっ?いや今は居ないよ?強いて言えば親友が彼女みたいな感じ。』
『あはは、いつも一緒だもんね。』
『そうそう。もう半同棲みたいな感じ。』
『〇〇君は好きな人いたらどうする?』
『どうするって?』
『うーん、告白とかする?』
『うーん、本当に好きならするかな。』
『そっかぁ…でも普通そうだよね。』
『話が見えないんだけど…告白されたとか?』
『されて無い。だから困ってる。』
『どういう事?好きな人でもいるの?好きな人が告白してくれないとか?』
『えーと…ある男の子が私の事好きみたいなんだけど、本人は直接何も言ってきてなくて、彼の友達から間接的にアイツ好きなんだよって言われて。』
『あぁ、そういう事なんだ。直接じゃないから対応しにくいって感じかー。』
『そうなんだよね…』
『直接言われたら返事するって事で、とりあえず気にしないでおけばいいんじゃない?』
『そうだよね、ありがとう!また話聞いてね。』
この時はなんて事は無い恋愛話だった。でもゆっくりと確実に彼女の穏やかな日常は崩れていく。
夏休みが終わって受験モードも追い込みの時期に差し掛かる。
夏休み明けの模試のために親友の家で勉強をしていた時。私はふと例の彼女の事が頭に過り親友に訪ねてみた。親友曰く、夏休み明けから体調を崩して休んでいると。
私は少し気になって電話をかけてみることにした。電話口の彼女は元気が無かった。覇気が無いと言うか生気が無いと言うか、まるで無機物のように。
翌日、私は無理を言って彼女を呼び出していた。その時の彼女の姿はとても印象に残っている。目は虚ろ、表情は無、歩く姿はぎこちない。
あまりの変貌ぶりに私は何をどう訪ねていいか分からなかった。沈黙を破ったのは彼女の一言だった。
『びっくりした?』
『えっ?いや…なんて言うか…』
『大丈夫。自分でも分かってるから。』
『何かあった…?からなんだよね。』
『うん。』
『何があったか聞いてもいい?』
『大したことじゃないから。』
『大したことじゃ無いなら、話せるよね?』
『そう言う聞き方ズルいよね。』
『ズルくてもいいよ。』
『はぁ…。前の相談覚えてる?』
『告白されないって話?』
『うん。』
『覚えているよ。』
『あの後、彼の友達から彼が話があるから夏祭りの日に会いたいってメールが来て。』
『また友達経由なんだ。』
『うん。それで私もはっきりしたかったからその日に行ったんだ。』
『うん。』
『待合せ場所に行ったら、彼と友達が居て。友達が早く言えよみたいな雰囲気にしてて。』
『また友達なんだね。』
『それで彼は別に好きじゃないって、言ったんだ。』
『えっ?好きじゃないの?』
『友達の前だからなのか、本当に好きじゃないのかは分からないんだけどね。』
『そうだったんだ。』
『なんで他人に任せるんだろ?自分の事なのにね。』
『それで?他にも理由があるんでしょ?』
『うーん、あるって言うか、まだ続きがある。』
『そうなんだ、ごめんごめん。』
『私の事好きじゃないで私も終わりだと思ってたんだけど。それから毎日彼の色んな友達からアイツは好きなんだよみたいなメールが来るようになって…』
『毎日?てかまた他人経由なのかよ。』
『正直、勉強に集中出来ないし、なんで本人は何も言ってくれないのか、なんでそんなに周りが囃し立てるのか分からなくて、一人で悩んじゃって…』
『そうなんだ、話してくれてありがとうね。』
『ううん、話し聞いてくれて嬉しかったよ。』
今思えば、もう始まっていて既に手遅れだったのだろう。私は彼女の脆さを気付けなかった。
私は彼女を見送ってその足で親友の元へ向かっていた。同じクラスの彼なら何か知っているのでは無いかと淡い期待を持って。
親友もその件は知っていたが、詳しくは知らないと。しかしその想い人が誰であるかを知っていただけで私には十分だった。
翌日、私は親友のクラスへ。無論噂の彼に会いに、話をしに、場合によっては殴る為に。
クラスに入ると親友が待っていた。お目付け役である。信用無いなぁ、なんて思いながら噂の彼の元へ。
『ちょっと話があるんだけど?〇〇の事なんだけど。』
『なんだよ。』
『俺は此処で話してもいいんだけど、人目無いところの方がいいんじゃないの?』
『わかった。』
階段の踊場へ移動して、お話再開。
『言うまでも無いかもなんだけど、どう思ってんのあの子の事?』
『お前には関係無い。』
『関係無いね。でも友達が悩んでるほっとけないんだよね。』
『俺は何にも言ってないから。』
『お前が何にも言わないから、周りに好き勝手させてるから問題だって分かんないの?』
『クラスで誰が良いかって話になって、〇〇が良いって言っただけなんだよ!それを周りの奴が面白がって騒いでるだけなんだよ!』
『あっそう。じゃ、はっきり好きじゃないってちゃんと伝えてあげてくんないかな?』
『わかったよ!だからもう良いだろ!』
誰も得しない、後味の悪い話。彼もまた被害者みたいなものだった。
その日の放課後、彼は彼女に電話して迷惑をかけたと謝罪した。私はこれで解決したと思っていた。
それから数週間後、受験勉強に追われる日々の中で彼女の事は終わったこととして忘れかけていたある日、彼女からメールがきた。
「もう駄目かも」たったの6文字、そんな短いメールだった。
私は直ぐに電話をかけた。電話口の彼女はいつもの朗らかな彼女だった。
『どうしたの?大丈夫?』
『大丈夫じゃないかな…』
『何かあった?』
『私ね…病気なんだ。』
『病気?』
『うん。自律神経失調症っていう病気。』
『何それ?どんな病気なの?』
『神経の病気で、私は身体の左側が時々動かなかったり、眠れなかったりかな。』
『冗談…じゃないんだよね?』
『冗談でこんなこと言わないよ。』
『だよね、ごめん。』
『さっきもね、勉強してて気が付いたらペンで自分の左手刺してたんだ。』
『…』
『もうどうしたら良いのかわかんないや。』
『今家?ちょっと待ってて行くから。』
『夜遅いし、大丈夫だから。明日時間ある?ちょっと会える?』
『迷惑だよね、ごめん。大丈夫だよ!』
『じゃ明日ね。』
電話を切って私は暫くその場を離れられなかった。頬を伝う涙を拭いもせず、只々自分の鈍感さを無力さを感じていた。
翌日、彼女との待合せ場所へ向かった。少し遅れて彼女がやって来た。少しやつれた様に見えた。
『ごめんね、忙しい時期なのに。』
『ごめん気付いてあげられなくて。ごめん何もしてあげられなくて。ごめん。』
『なんで謝るの?寧ろ助かってるよ?』
『無理しなくていいから。辛かったら辛い、苦しかったら苦しい。俺は鈍感だから言われないとわかんないよ。』
『…もう無理…』
こんな時まで、健気に笑顔で居続けた彼女の目から涙が零れていた。
私には何も出来ない、何も与えてあげられない、彼女の力にはなれない。一人で駄目なら、人を頼れば良いだけの話だ。
私は親友に相談した。親友は快く自分に出来る事は協力すると言ってくれた。正直、受験の追い込みの時期になんともお人好しな事だ。
女友達にも詳しい話はせずに、気にかけて欲しいと伝えた。
私と親友はそれから毎日、学校内や放課後は彼女の側にいた。結果から言うと、彼女の体調は少しずつ快方に向かっていった。私達のお陰だとは微塵も思っていないが。
年の瀬の事。私達が三人で下校するのもすっかり定着化していた。
『毎日本当にありがとう。来月センター試験なのに…』
『何とかなるでしょ。駄目なら、浪人すればいいだけだし。』
『私は大丈夫だから、勉強に集中してね。』
『自分がやりたいからやってるだけだから、迷惑じゃないならこのままでいいかな?』
『もちろん。』
私はいつからか彼女に特別な感情を抱いていた。それは「恋心」だ。彼女をあんなにも悩ませる事になった恋愛。私が想いを伝えて同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、それが怖くて私は芽生えた気持ちにそっと蓋をした。
何より彼女には親友がお似合いだと思っていた。親友なら上手くやってくれると、彼女に辛い思いはさせないだろうと。
年が明けて、あっという間にセンター試験の日。出来は悪くは無かった。自己採点では志望校のボーダーはクリアしていた。
しかし私の受験は失敗に終わる事になる。親友も仲良く浪人することになった。
卒業式。本当に色々な事があった三年間。一年、二年、三年のクラスメイト達の元へ順番に向かって、私が失恋したあの子のところへ、不幸の手紙のあの子のところへ、バスケ部のところへ、そして最後に彼女の元へ。
彼女はもう大丈夫そうだった。ちゃんと一人で先へ進んで行ける、そう感じた。
『K大受かったんだね、おめでとう!』
『ありがとう!』
『今日でお別れだね。お役御免かー。』
『半年間、毎日ありがとう。本当にたくさん救われたし嬉しかったし楽しかったよ。』
『いやいや、此方こそ毎日楽しかったよ。本当にありがとう。』
『二人と逢えて良かった。』
最後になるだろうし、今なら気持ちを伝えても良いのでは無いかと思った。
『あのさ…えーと…』
『うん?』
『その…』
『何?気になるんだけど!』
『落ち着いたら遊びに行ってもいいかな?』
『もちろん!待ってるね!』
『約束なっ!』
『約束ねっ!』
『じゃ、行くね。元気でね。』
『うん。元気でね。』
言わなかった。言えなかった。でも悔いは残らなかった。
親友を見つけて帰路につく。通いなれた坂道を名残惜しむ様にゆっくりと歩きながら。
『俺さ、あの子の事好きだったんだよね。』
『知ってたよ。』
『知ってたのかよ!』
『気付くでしょ普通。』
『でもさ、俺はお前がくっつけば良いと思ってたんだよね。お前なら上手くやってくれる、お似合いだって。』
『奇遇だね。俺も同じこと思ってたよ。』
『なんだかねぇ…』
『腹減った、飯行こう。』
『はいはい。明日からまた勉強だしな。』
『まあ頑張ろうや。』
『これからもよろしくなっ!』
晴れの日は生憎の雨だった。シトシトと降りしきる雨に何を重ねていたのだろう。あの時流した涙だったように思う。
次回は青年時代~を予定してます。