アカネ
今回は私にとって、忘れられない、忘れることの許されない大切な友人のお話し。
幼さ故に、日々の変化に流されて、大切な物を見失って後悔する。そういう過ちを繰り返さ無いための記憶であり、記録。
時に人は「忘れる」事で取り返しのつかない後悔をすることもある。
だからそんな後悔を忘れない為のお話し。
幼少の頃からの付き合いの喘息、今現在も完治はしていない。一生のお付き合いになるそうだ。
小学校高学年になる頃まで、喘息の治療で発作がおきなくても定期的に通院していた。自宅から車で30分位のところにある、小さな町医者に私はお世話になっていた。
私が7才の時、いつもの様に病院に定期検査に行った時の事だ。病院の待合室に一人の女の子が座って本を読んでいた。待合室の中に入ると、此方に気付いてトコトコと近付いてきた。やや人見知りをしてしまう私は、慌てて母の後ろに隠れた。
『こんにちは、私はアカネ!貴方は?』とその女の子が言う。恥ずかしくてモジモジする私に痺れを切らした母が、挨拶を促す。自分の名前を告げると、屈託の無い笑顔で『よろしくね』と返ってきた。そんなやりとりをしている内に、アカネの母親が受付を済ませて帰ってきた。
母親同士は直ぐに意気投合して、世間話に花が咲いている。手持無沙汰な私はアカネの側に行き自分も本をひろげた。本を読んでいるとアカネが、『あなた何歳?』、『何処に住んでるの?』『病気なの?』、と次々に質問をしてきた。私が一つ一つ答えている内に、アカネが呼ばれて診察室に行こうと立ち上がった時、『私ね、難しい病気なんだ』と、また屈託の無い笑顔で言って診察室に入って行った。
私の名前が呼ばれ、別の診察室に入って何時もの検査を受けて出てくると、アカネの母親が『良かったら家に寄って行かれませんか?』と母に伺っているところだった。母は余り遠慮する方ではないので、まだまだ世間話をしたかったのか、私が行きたいなら良いと言っていた。
結局お邪魔することになり、親は親同士、子供は子供同士で話をする形になった。
学校の事や、好きな食べ物、好きな遊びのことをお互いに話た様に記憶している。夕方になる頃にお暇することにした。それからは、度々アカネの家に遊びに行くようになっていた。
二年が過ぎ、病院の帰りにアカネの家に寄った時、アカネが居なかった。アカネの母親が言うには、少し体調を崩して入院したとのこと。何となく心配になった私は後日お見舞いに行きたいと母に告げた。アカネの母親も、きっと喜ぶから行ってあげてと。
翌週、母に連れられてアカネのお見舞いに行った。二人部屋の窓側のベッドにアカネは居た。幾分かやつれていた様に思う。私を見つけるや否や、『来てくれたんだ、嬉しい』と何時もの屈託の無い笑顔で迎えてくれた。アカネは入院生活にストレスを感じていたのだろう、私に学校に行けない事、注射が嫌な事、外で遊べない事次々と不満をもらしていた。しかし、いつものようにニコニコしているアカネを見ていると、元気なのではないかとさえ思えた。このあとアカネは入退院を繰り返すことになるとは思ってもみなかった。
小学6年生になるころには、私の喘息も落ち着いてきていた。病院にも余り行くことが無くなってきていて、少しずつアカネの事も忘れかけていたそんな時分の事だった。
薬をもらいに病院へ行ったら、アカネの母親が居た。挨拶を交わして、ふとアカネの事を尋ねたら、あれから入退院を繰り返して、最近では入院の期間が長くなってきていると。良ければお見舞いに行ってやって欲しいと。
数日後、私はアカネの病室を訪ねた。そこに居た女の子は私の知るアカネではなかった。一目見て、健康的ではない、悪い言い方をすれば『病人』だった。痩せ細り、点滴に繋がれて、ベッドに寝ているその女の子がアカネだとは、私の頭が一瞬では分からない程、変わり果てていた。
そうなりながらも、私を見つけて、相も変わらず屈託の無い笑顔を私に向けてくれて、初めてこれはアカネなんだと理解できる程に。
それから暫く毎週の様にお見舞いに行くようになった。学校であった事をよく話したように思う。帰り際にいつも決まってアカネの母親が『いつもありがとう、アカネは学校に行けないから学校の話を聞くのが楽しいの』と言っていた。
冬を迎える頃、アカネの体調が悪くなった。田舎の病院では治療に限界がある為、県外の大きな病院に転院する事になった。
アカネは『病気が治ったら帰って来るから、暫くのお別れだね』と言っていた。寂しくならないように手紙を書くから、手紙で学校の事を教えてと頼まれた。勿論、私はその提案を快諾した。私の返答を聞いたアカネは今迄で一番の笑顔で応えてくれた。
帰り際にアカネ母親に呼び止められて、アカネの病気について教えてもらった、名前も聞いたことが無いような病気だった。所謂『難病』と言うやつだ。
そうしてアカネは遠い町の病院へと行ってしまった。この時はこれがアカネを見る最期になるとは思って思いもしなかった、これから自分が選んでしたことが一生の後悔に繋がるとも思わなかった。
約束の通り、アカネと手紙のやり取りをしていた。学校での出来事や、家族で出掛けた事、友達の事、そんな『日常』を手紙に書いていた。
やがて中学に入学して、生活が代わり初めて、私は段々とアカネに手紙を返さなくなった。アカネからの手紙も段々と少なくなってきた。最後の一通は年賀状だった。それ以降アカネからの手紙は届かなくなった。中学も卒業して高校に行く頃には私の中にアカネはすっかり居なくなってしまっていた。
月日は流れて、高校を卒業して、色々あって、田舎を離れる日が来た。田舎を離れて初めてのお盆に帰省することにした。
家に帰ると、何通か私宛の郵便が纏めて置いてあった。何となく何が来ているのかパラパラと郵便物をチェックしていると、一通の手紙に目がいった。差出人を見てみると、アカネの母親だった。懐かしいななどと能天気な考えで封筒から便箋を取り出し読み始めた。最初の一文で自分の能天気さに嫌気がさした。
『お久しぶりです、お元気ですか?先日アカネが亡くなりました』久々に目にした名前と、書いてある言葉の意味が結び付くのを私の頭が拒絶する感覚だった。何度も何度もその文を読み返して、間違いだ、見間違いだ、読み間違いだ、書き間違いだと、頭が理解するのを拒む。勿論そんな行為に意味など無い、現実はそんなに甘く、自分に優しい物ではない。疑いを半分拭えぬまま、先を読み進める。
『生前アカネがお世話になった、少ないお友達にはお伝えしたかったので、お手紙を書かせて頂きました』私は世話なんてしていない、手紙を書くと言う約束すら反故にした、どうしようもない人間だと感じた。
『貴方にもらった手紙をアカネは大事そうに何度も読み返していました。貴方はアカネにとって、日常と繋がる光のような存在だったのかもしれません。』私は自分の事が可愛いだけのエゴイストで、そんな大層な人間では無いです。
『貴方が日常に目を向けて、アカネの事を忘れてしまうのは仕方の無い事だと思います。』私はなぜ手紙を書くのを止めてしまったのか、なぜアカネを忘れてしまったのか、なぜ、なぜ、なぜ…
『一つだけお願いがあります、いつかアカネの事を思い出したら、アカネに会いに来てあげて下さい。』私はこの最後のお願いを十数年たった今でも叶えてあげられてない。私はアカネにどんな顔で会いに行けば良いのか、なんと謝れば良いのかそんな自分本意の理由で会いに行けていない。
その日は夏らしく、入道雲が空に浮かんでいて、夕暮れには空も入道雲も真っ赤に染まって、それは綺麗な茜色だった。
太陽の様に屈託無く笑う君の笑顔を思い出しては、自分の選んだ選択を今でもなお後悔しているよ、アカネ。
彼女との出会いは、過ごした日々は私にとってとても大切な事だったはずです。
何故、人はこうも簡単に「忘れて」しまうのか、一時の感情に流されてしまうのか、後悔してしまうのか。
私のこれから進むべき道は、後悔の無い道を進み続けたい、そんな願いがこもったお話。
次回は中学生~を予定しております。