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カラノソラ  作者: たちばなやまと
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大人の友達

私は小学校6年間の内で、鮮明に覚えている事が余り無い。


そんな中で、心から恩師と呼べる人のお話を少しだけ書いてみました。


桜咲いたら一年生。


正直、小学校に行くという事がどういう事か理解していたかは定かではない。恐らく、新しいお友達と遊んだり、お勉強したりその程度の認識だったと思う。

低学年位の時は「出来の良い子」だった。お勉強も嫌いではなかったし、運動も好きだった。

授業中に手を挙げて発表したり、問題に答えたりすると、黒板の端にある名簿に小さなシールが貼って貰えるのだ。それが10枚貯まると大きなシールを貰える。それが嬉しくて、積極的に授業中手を挙げていた。

運動会ではリレー、クラスの演劇では主役なんかも務めた。

その頃の通知表を見ると、先生のコメントのところには「もう少し落ち着きが欲しい」と決まって書かれていた。余程ソワソワした生徒だったのかなんなのか。


そんな小学校生活も長くは続かなかった。2年生になった頃、熱を出して入院することになった。扁桃腺を切ることになり、2週間位入院しなければいけなくなった。学校にも慣れて、友達も増えて楽しい盛りに学校に行けないのは、かなりのストレスだった。

退院して学校に行くと、担任の先生から『あなたはお勉強が得意だから大丈夫よ』と。実際問題、一月程度の後れは大した事ではなかった。でもその時、なんとも言えない気分になったのを覚えている。今ならその気持ちが何かが分かる、それは期待に対する重圧だ。この時を境に私は期待される事を拒み、中の中、平々凡々、普通に留まる事を心理的に好むようになったと思う。


小学校時代は休みになれば父と釣りに出掛けていた。海、川、湖釣る場所には事欠かなかった。家の近くの川に一人で釣りに出掛けて、釣竿を折って帰り、父に叱られたりなんかもした。

春になれば山へ山菜を採りにもよく行った。夏には蛍を見に、秋には紅葉狩りに、冬にはスキーに。アウトドア派の父のお陰で、すっかり自然と触れ合うのが好きになっていた。


小学5年6年の時の担任の先生も釣りをする方だった。子供の目線で物事を考えてくれる良い先生だったと思う。休日に友達と港の方へ釣りに行くとよく同僚の先生と釣りをしていた。本来は学区外なので子供達だけでは行っては行けないのだが、自分が保護者代りだと言って見逃してくれる優しい先生だった。

理科の授業で解剖をすることになって、近くの川にフナを釣りに行くことになった時、『皆に釣り方教えてあげなさい』と仰せられた。フナ釣りは何度もしていたし、喜んで引き受けた。よく父と行っていた川に行くことになった。

いざ釣りに行って、釣り始めたが中々釣れなかった。結局一匹も釣れなかった。友達からは『全然釣れない』、『本当に釣ったことあるのか』と馬鹿にされて、泣いてしまったのを覚えている。 解剖の授業の日、憂鬱な気分で学校に行った私は教室の水槽を見て驚いた。そこには10匹程のフナが泳いでいた。聞けば先生が学校が終った後、一人で夜遅くまでかけて釣ってきたとのこと。先生は皆に『ほらあそこの川にフナいるだろ?〇〇は嘘ついてなかっただろ』と。それを聞いた皆は『悪かった』、『凄い釣れるんだね彼処』、『今度また行こう』等々と手のひらを返した様に誉めてくれた。

先生、貴方のそういうところに何度も救われた気がします。最期に裏切るような事をしたのを私は今でも後悔しています。


小学校も後は卒業式を待つだけ、そんなある日、その時仲良かった友達三人と遊んでいた時の話。

どういう話の経緯でそうなったのかは定かではないが、キャンプファイアみたいな事をやろうとなった。各自プリントやら、コピー用紙やら持ち寄って橋の下でそれを燃やして遊んでいた。小一時間が過ぎた辺りで向こうから走ってくる人影が見えた。先生だった。怒られると直感的に思うや否や、一人ずつ平手打ちをされた。その時の先生の顔は今でも忘れない、色々な感情が混ざり合った悲しい顔だった。『怪我でもしたらどうするんだ、火事になっていたらどうするんだ』と至極まっとうな事を言っていた。学校に連れられて反省文を書かされ、家に帰る時に優しく抱きしめて『怪我しなくて良かった』と小さな声で呟いた。

学校からの帰り道、家に帰り辛い私達は友達の家に集まった。その子は片親で遅くまで親が帰って来ない家だったので都合が良かった。6時を過ぎて、すっかり日も落ちた頃、一人が覚悟を決めて帰ると言って帰って行った。暫くして、集まっていた友達の家にもう一人の友達の親から電話があって、親が迎えにきた。そのうち友達の親が帰宅して、私の両親が心配しているから帰りなさいと促された。

渋々友達の家を後にして、でも家に帰る勇気がなくて、まだ雪の残る道をゆっくりと、ゆっくりと歩いていた。そんな時ふと見上げた空は満天の星空で、綺麗な三日月が浮かんでいた。

家に帰るなり、父に怒鳴られ、殴られた。


ねぇ先生、今先生みたいに熱い先生居るのかな?あの時はその有難みも、想いも理解出来てなかったけど、今は本当に先生が担任で良かったと思えるよ。

良い出逢いは人を成長させてくれる。そう信じたくなる方が私にも居たのだと、思い出す事ができたと思います。


先生が居たから、ひねくれず、腐らず、落ちこぼれず無事卒業出来たのだと多謝。


次回は時系列が難しくなりそうなので、一人の大切な友人にスポットをあてたお話にしようかと考えてます。

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