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カラノソラ  作者: たちばなやまと
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幼少期

はじめまして、たちばなやまとです。


この『カラノソラ』は私の半生を綴ったものです。小説と言うほど立派なものでは無く、個人的な日記の延長と考えていただければ幸いです。


何故この作品を書くに至ったかを少しだけ。私は自分の事が嫌いなのです。現在進行形でその気持ちは強くなっていると思います。ある時知人に、「自分を否定する事はそれまで関わってきた人や、してきた経験を否定すると同じ事だ」と。

その時は私は気にも留めなかったのですが、最近ふとその言葉を思い出して、過去を振り返って、どういう経緯で『今の自分』が作られたか向き合ってみようと。折角なので、それをつらつらと書き連ねてみようかと、そういった思いつきのようなものです。


語彙も乏しく、表現力や文章力も皆無。稚拙な文章でお見苦しい部分も多々あるかと思いますが、誰かが読んでくださり、何かを感じて頂けると幸いです。


雪の降る小さな港町、これといって何一つ特色のない田舎町。そんな町で私は生まれ育った。


サラリーマンの父と専業主婦の母の間に四人兄弟の末っ子として生まれた。

上の三人と少しばかり歳が離れていて、母のお腹に私がいるときに祖母は『歳が離れすぎている』、『育て上げられるのか』と産むことを反対していたそうだ。

結局、母は反対を押し切って実家へ戻り一人で育てる覚悟で産んだと、何時だったか笑って言っていた。

生まれてしまえば可愛い孫。私の幼少期の記憶はかなりの部分が祖母との思い出である、所謂ところの、「おばあちゃんっ子」だった。

私が生まれて母も働きに出るようになった。物心がつく前に祖父は他界した。こういった経緯、環境が私を「おばあちゃんっ子」にしたのだろう。


二歳か三歳の頃に私は喘息を患った。元々、体も弱くすぐに熱を出してしまっていた。何度か入退院をしたそうだ。ちょうど保育園に入る頃に肺炎で入院して保育園に行けなくなってしまったのを覚えている。

喘息の発作がおきると、昼夜問わず掛かり付けの先生のところに駆け込んだ。発作がおきると私は決まって父の膝の上で抱えられながら眠っていた。どういうわけかわからないのだが、その体勢が一番負担無く眠れたようだ。翌日仕事で朝早かろうが、晩酌のし過ぎて酔っていようが、黙って朝まで私を膝の上で寝かしてくれる父だった。


また春が来て、一年遅れて保育園に行く事が決まった。同年代の子供たちが沢山いる環境が、目新しくて楽しくて毎日が楽しい日々だった。友達も直ぐに出来て、お迎えに来てくれる祖母に鞄を渡してそのまま夕方まで遊んでいたものだ。

そんなある日、2つ年上のお兄さんと遊んでいた。広い草むらに小さな小屋があって、その中でお菓子を食べていた時、

『ここに居たらお母さんが迎えに来ても気付かないかな?』とお兄さんが言った。

『多分気付かない、そしたらずっと遊んでられる』

毎日遊ぶのが楽しくて、家に帰る時間が来なければ良いなんて思ってた私は隠れて遊び続ける提案をした。

時間は過ぎて、あっという間に辺りは夕闇に呑まれ街灯一つ無い草むらは辺り一面の闇。お腹も空いて楽しさよりも不安が大きくなってきた頃合いで、お兄さんが急に泣き始めた。つられて私も泣き暫く二人で泣きじゃくった。泣き止んだ後に家に帰ろうと話した。

家に帰って玄関を開けた瞬間に私の目に飛び込んで来たのは上の姉だった。次の瞬間には「パシッ」と言う乾いた音と、頬に残るひりつく痛みだった。その後のことは余り覚えていないが姉が泣きながら、何時だと思ってるか、どれだけ心配したのか、等々言っていたはずだ。

居間に上がると父母がいた。母は黙って抱きしめてくれた。父は『腹減ったか?ご飯食べるか?』と努めていつも通りの振る舞いだった。本当は誰よりも心配しただろうに。悪い事をしたのだという実感と、家に帰ったという安堵から自然と涙が溢れてきた。私は小さく一言だけ『ごめんなさい』と言った。時計は丁度9時を告げる鐘が鳴っていた。


年長組になる頃に私は度々母の職場に遊びに行くようになっていた。母は商店街にある洋菓子店で働いていた。今思えば、子供の足で3、4キロある距離を歩いて行っていたのだから寂しかったのだろう。

遊びに行くと決まって向かいの本屋で本を買ってもらって、ケーキを食べながら母の仕事が終わるのを待っていた。帰りにスーパーに寄って、夕飯の買い物をして帰る、そんな母との時間が楽しかった。

ある夏の日、まだ日の昇っている時間に母と帰宅した。ふと母が『海見に行こうか?』と聞いてきた。海辺の町なので海自体は珍しくも無いのだが、母と二人の時間が、楽しい一時が増えるのが嬉しくて、私は二つ返事をした。

浜辺に着いて生温い潮風を感じながら、母に手を引かれながら眺めた、水平線に消え行く夕日。真っ赤な空と、真っ青な海。赤と青の混ざり合う水平線を今でも鮮明に覚えている。


幼少期は思えば穏やかな日々だったかと。人より病弱だったかもしれませんが、末っ子として家族の愛情を受けて育てられた気がします。


幸せの定義は人それぞれだと思います。振り返って見ると私は沢山の愛情を受けて育てられた、幸せ者だったのですね。そんな事さえ忘れてた自分が恥ずかしいとさえ感じてしまいます。


次回は小学校~を予定しております。

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