第三話 正言と大群 Ⅱ
「そもそも、魔物を殲滅して何になる。
いくら此方側が圧倒的に勝てるだけの戦力を揃えたとしても、多数の犠牲が出るのは必至だ。
殲滅戦ともなれば追い詰められた向こうも死に物狂いだ、一般人にも被害が及ぶかもしれん。
お前は……お前たちは、それに見合うだけの何かを、魔物を殲滅することで得られると思っているのかっ!」
凄い迫力だった。
師匠の怒りが、空気を通して伝わってくるようだ。
だが、それを真正面から受けた九条は涼しい顔――見下すような、冷たい目をしていた。
「政治から離れているお前は知らないかもしれないが……今の政府の奴らは――いや、研究者達は魔がなんたるかを理解しようとしている。
既に、魔力に干渉するようにまで至ったとまで聞く。その内、退魔師達の優位性も失われるだろう。
だから、今の内に支配力を強めておこうと言っているんだよ。
魔物と全面戦争……もしそれが大戦にまで発展すれば、見ることすら出来ない一般人にも、魔物のその存在を示し、信じさせる事が出来る。
そうすれば、私達退魔師はこそこそ影でなくとも、大手を振って魔物を殺せるようになる。
富や名声だって、MASDなんて回りくどい事をしなくても手に入る用になる。
今までのように裏からではなく、表から政治運営にも口を出せるようになるだろう。
それの何がいけないというのだ、御剣。
お前だって、現状を不満に思ってる筈だ。違うか?」
「私は……私は、今が最善のやり方だと思っている」
「この街のように、生贄を捧げ続けるようなやり方だとしてもか? 偽善的だな、小を切り捨てて得た偽りの平和で満足か。あるいは、ただ過去のやり方を踏襲し続けることしか出来ない臆病者か」
「偽善……そうかも知れないな。だがお前は、自分達の事しか考えていない。何が富と名声だ――何度も言うが、そんな物が何になる。徒に人々を不安にさせるだけで、何の益も無い」
「根本的な仕組みから改革しようと言ってるんだ。今まで私達の尽力で平和を享受してきた人間たち――彼らにも多少の痛みは覚悟して頂かなければ、割に合わないってもんだ」
「千年の努力を否定すると言うのか……」
「これが、今のMASDの総意だ」
睨み合う二人。
私は、師匠側に立って、九条と相対している。
しかし、私の心は驚いて、揺れていた。
魔物の殲滅。
一般人への情報開示。
生贄になっている街を無くす。
根本の仕組みの改革。
どれも、私が望むものだ。
富や名声は必要ないが、それでも、九条の言うことには共感が持てたのだ。
世界は、変わろうとしているのだろうか。
あの、理不尽で暴力的な魔物を残らず殲滅して……
いけない方向に思考が進んでいるのが、自分で分かった。
師匠がこちら側に居てくれているというのに、私が裏切る訳にはいかない。
慌てて、一段落した話に割り込むことにした。
そもそも私が今回こいつに喧嘩を売ったのは、聞きたいことがあったからだ。
「ちょっといい?」
「なんですか、貴方も借りを返しに?」
殴るのか?
と、両手を広げる九条だが、騙されてはいけない。
そこからカウンター魔法が来るに違いない。
「違う。あの後里奈を……飛鳥をどうした」
「さぁてねぇ。今頃はベットの上で動けなくなってるんじゃねぇか?」
これが、本性だとでも言うのか。
厭らしく嗤う九条に、一瞬、本気で剣を付き入れそうになった。
「っ……そう」
首筋にピッタリと剣を合わせても、九条はチラリともそれを見ず、真っ直ぐに私を見て言った。
「煽ったのは悪かったが……勘違いするな。彼女が自身で望んだことだ」
「し、信じられるわけがない、お前みたいな男にっ」
「……ふん、俺には理解できないが、後悔と云うのは実に厄介なものらしい。
あいつが何をそんなに拘って……。あぁ、確かによく見れば、お前も相当美人な面して――ぐっ……」
結界の上から、足で壁へと押し付ける。
こう壁に密着していれば、後ろに結界を張る空間的余裕はない。
「殺してやる……」
「やめておけ」
師匠の手が優しく……いや、一見優しく、私の足をどかした。
うん、何故あんなふんわり押してるのに、まるで重機で押されてるかのような感覚になるんだろう……
「だいぶ変わったと思っていたが……買いかぶりだったようだな。
ここでこいつを殺して何になる、余計MASDと対立を深めるだけだぞ。
こういう時はだな、脅して人質の居場所を聞き出した後、逆にスパイにして送り込むんだよ」
「あの、師匠、何というか……まあいいですけど」
色々ツッコミたいところはあるが……師匠なりのジョークなのだろう。
なんとなく、気が抜けた。確かにここで殺したってしょうが無い。
せめて、里奈が何処に居るか、聞き出さなければいけない。
その間に、九条は立ち上がっていた。
流石に砂まみれは嫌だったのか、何度か服を払った後、結局諦めて魔法で綺麗にしたようだ。
「お前も、随分と下衆に成り下がったようだな」
師匠の言葉に、九条は嫌そうに眉を寄せる。
「お前に誤解されたままと言うのも癪だから言っておくが。別に俺が何かしたわけじゃなくて、ただ魔力切れで動けないで居るだろうと思っただけだ。
何を想像したのかしらんが、お前らの脳が下衆なんじゃねぇか」
「ふん……そうやっておちょくって楽しもうと言うのが下衆だと言ってるんだ」
なんだ、そうだったのか……と、ちょうど安堵しかけた時だった。
『(バカがぞろぞろ引き連れて戻って来たぞ)』
「えっ……」
悪魔がバカがどうのと何かを言ったのと被って、誰も存在しない筈のこの空間で足音がした。
驚いて振り向いた先、確かにバカが居た。
ちょっと固い、怒られるのを怖がっている犬……いや、子供のような、微妙な面持ちだ。
「えっと、終わったのかな?」
「あんた……。戻ってくる、普通?」
おもいっきり顔が引きつるのが分かる。
安全になっていたからまだ良かったものの、わざわざ逃してあげたというのにそれを無駄にするような――
「まぁ、そう思ったんだけど……」
蓮が、チラリと後ろを見る。
私がそれに気づくよりも早く、まずは結界を貼っていた九条がそれに気づいた。
「まぁ、こいつは仕方ないとしても……まさか、結界内に入られてるとは。いやはや、どうしたものか」
師匠は何も言わない。
だが、少し険しい表情をしている。
私も、ようやく遅れてそれに気づき、体をゾクッと悪寒のようなものが走り抜けた。
「な、んたい居るの……」
十は超える、狼男と同じくらい強い力を持った魔物と、それにつき従う小型の魔物達。
合わせれば百にもなるであろう、魔物の――大群であった。