第四話 私の過去の話 Ⅰ
「な、何……なんなの、あれ?」
堪らずにトイレへと逃げだした私は、グリグリと自分の影を踏んでいた。
『ふははっ、傑作だったな、あれは』
「普通そんな簡単に決める? 死ぬかもしれないのよ」
『反応するのはそっちなのか? と言うか、男の子の気持ちは分かるとか言ってた気がするんだが……』
「流石にわけわかんないわ」
理解不能だ。
いくら非日常に興味があったとしても、いざこういう事態になった時に一体誰がああも簡単にそれを受け入れて、そこへ飛び込むような真似が出来るというのか。
家族のため、惚れた相手のため、どうしようもない程巻き込まれて仕方なく……
そういう、何か理由が一つは無いと不自然だ。
『なら、そういう事なんじゃないか』
「……そういう事って?」
『つまり、なにか理由が有るんじゃないかって事だ』
「理由って言っても――」
家族のためと言うのはおかしい。
現時点で何も関係ないし、ついでに言うと逃げられない程この件に巻き込まれたって訳でもない。
惚れた相手というのも……
――うん。でも僕は、君の助けになりたいだけだから。
いやいや、何を思い出してるんだ私。
『お前のことを好きだとかな』
「出会って2日よ? 流石にそれはないと思うけど」
確かに私は見た目は美少女だが、結構彼には状況が状況だったから素だった筈だ。
素の私だったのだから、男が惚れるような所……つまり、可愛らしさなんて何処にも無かっただろう。
つまり、彼が惚れる理由がない。
『まぁ、何にせよラッキーだと思えばいいだろう。何を苛つくことが有る』
「別に苛ついてなんて居ないけど……。彼が簡単にこの幸せな環境を捨てることに納得が行かないだけよ」
私がどれだけ望んでも、決して手に入れることのできない幸せ。
彼は、その大切さをちゃんと理解しているのだろうか。
『まあお前らしいと言えばらしいが、ここは情を抜きにするべきじゃないのか?』
こんな良い条件無いぞ、と悪魔が言う。
確かに、探知系の特殊能力持ちで、MASDに目を付けられていない、しかもやる気が有るなんて優良物件は、一生に一度だって会えるかどうか……。
能力の強さはまだわからないけど、運命と言ってもいいレベルかもしれない。
でも……――
『ふむ……この先もこういう事は有るだろうし、いい機会だから言っておくが。
――復讐の道には、時に犠牲も必要となるぞ』
「うん、わかってる。わかってるけど……」
復習する対象はあの魔物達であって――決して、私を見捨てた、助けてくれなかった人間達では無い。
心ない言葉も、ゴミを見るような視線も、一部の人間がした事だ。
だから私は、あの人間達のように、私の目的のためだけに誰かを傷つけるような真似だけは……したくないんだ。
それだけは……復讐をする相手だけは、間違えたくない。
だって、救われないのは、私だけで十分じゃないか。
『分からんな。そもそも犠牲を出さない選択を選ぶ事が出来るほど、お前は強いのか? あまり時間もないと言うのに』
「そ、れは……」
『それに、彼に手伝ってもらい、お前が多くの魔物を殺せば……その分不幸になる人間も減る。彼一人の犠牲で、多くの人が助かるのだ、何を躊躇う事がある』
「それでもっ……」
『お前がここで彼を優先した決断をすれば、それが――この先何万人単位で殺すことになる』
「この……悪、魔……」
『そうだが?』
「っ……分かった、貴方に従うわ。でも、絶対に……彼を犠牲にしたりはしない。守り切ってみせるから」
『フッ――俺に従う、か。守りきれるか見ものだな』
あぁ……先ずは彼にこの世界の裏の事を教えなければ――
階段を登って、彼の部屋へと向かう。
本当にこの選択で良いのだろうか。
ゆっくりとした足取りは、意図せずとも足音を静かなものとした。
「ど、どうしたのよ急に? 何か喧嘩とか……そういう話ならお父さんに言えば、警察を……」
ちょうどドアの前まで辿り着いた時、その震えた声は聞こえた。
ドアノブへと伸ばしかけた手が止まる。
「別に今すぐ絶対死ぬって言ってるわけじゃないし、僕はそこまでするつもりないよ。でも……話せないことは沢山あるけど、ずるいかもしれないけど、何も制限されてない今のうちに話せるだけ話しておこうと思って」
「さっきの子と、関係あるの……?」
その声に、ビクリと伸ばした手が震えた。
良くないと思いながらも、ドアの前から離れられない。
何の話だ、なぜ話す、どうして……。
「うん、彼女は一人なんだ。母さんなら、わかってくれると思うけど……」
「…………わかりたくなんて、ないわ」
「ま、待って!」
目の前でガチャリと扉が開く。
私は咄嗟に手を引っ込め、一歩下がったが、当然隠れる場所もその時間も無い。
少しだけ驚いて目を見開いた彼女――東城君の母親は、すぐに赤い目で私をキッと睨むと、そのまま下へと降りていく。
玄関の方向からバタンと音がして、彼女が外へと出て行ったことが分かった。
開け放たれたドアから、机の上にあるお菓子や飲み物が見える。
それらを持ってきた所で、東城君が何か話したのだろう。
少し腰を浮かせた状態で、東城君は固まっていた。
数秒の沈黙が流れた後、彼は疲れきって力が抜けた様に腰を下ろす。
「ごめん……」
「何が?」
何となく、何を話したのかは分かる。
決心した心が、揺れ動いていた。
あの、優しそうな東城君の親を泣かせてまで、することなのだろうか。
「大したことじゃないよ」
東城君が目をそらす。
「何を話したの」
「……ごめん。で、でも大丈夫だから。魔物とか、君がどうとか、そういう話はしてないから。ただちょっと、死ぬかもしれない危険なことに首を突っ込むかもって、そういう話をしただけで……」
私に謝らられても困る。
そもそも、何を話されても別に私が怒る所は何一つ無い。
MASDの奴らになら「一家皆殺しだ」と言いそうな人達が何人も居るが、私はどうでもいい。
「別に、私は怒っていないわ。それに、家族のことだから、何を話してもそこに口は出さないけど……親を悲しませる事は、しないで」
「でも……」
「私には、もう親が居ないから……。貴方に後悔して欲しくないの」
「…………うん」
頷く彼。
でも、あんまり納得はしていない顔だ。
「私は……本当は、こんな事に関係ない東城君を巻き込みたくはないんだけど……」
「それは――」
「うん、それでも。それでも私の目的のために、魔物を滅ぼす為に力を貸して欲しい」
言ってしまった……。
これでもう、後戻りは出来ない。
「――そっか……嬉しいよ」
にっこり笑う彼に、急に頬が熱くなるのを感じた。
なぜ彼は、こんな事に巻き込まれても笑顔を見せられるのだろう。
こんな簡単に……。
「僕に何が出来るかな?」
「うん……その辺を話すためにも、先ずは色々話しておかないとね――」
自分が彼だったら……多分、話せない




