プロローグ・地獄道の決裂
――今から500年前、天はどす黒い赤に染まり、大地は絶え間ない地鳴りに震えている。大気を満たすのは、焦熱の臭いと、遥か地平線を埋め尽くす悪魔の軍勢が上げる咆哮。世界はまさしく、滅亡の淵に立たされていた。後に『始まりの地』と呼ばれることになる、その野営地。
「どけ、天弓。俺は俺の好きにさせてもらう。史上最強はこの俺だ。サタンだろうと敵ではない」
身の丈ほどもある、血塗られた漆黒の大太刀を肩に担ぎ、不敵に唇を歪める男。その眼光は、悪魔の軍勢を前にしてもなお、飢えた獣のようにギラギラと輝いていた。
「何を言っているのか理解しているのか、琥王」
そう言って、行く手を阻んでいる天弓の手には、白銀に輝く大弓。張り詰められた弦は、今にも天の光を放ちそうなほどに静まり返っている。
「サタンに勝つには神の力が必要だ。今、行っても勝ち目はない!」
天弓は琥王の前に毅然と立ちはだかり、声を荒らげて説得を続けている。
だが、琥王は冷たく嗤った。
「神の力か...目を覚ませ天弓。世界中を探し回って、手がかり一つ見つからなかったんだぞ?」
「それは...だが、予言は当たっている。悪魔が現れサタンは蘇る。なら、神の力も――」
「よく考えろ。天弓。所詮は予言だ。予言は時を経て少しずつ変わる。神の力もその一つだとは思わないのか?」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
「星座の加護の力だ。予言には出てこない。だが人知を超えた力だ。これが神の力の正体だ。予言など言葉通りに受け取るな」
「それは...だからと言って、それが神の力だと言い切れないだろう」
「天弓、存在しない力を当てにしてどうする。最強であるこの俺が、直接戦えば済む話だ」
「気持ちは理解できるだが、予言は何も解明されていない。今行っても無駄死にだ」
「このまま待ち続けて何になる?」
「分かっている、分かっているが...」
「天弓、いい加減、覚悟を決めろ。俺は俺の力を信じる」
「覚悟はできている。そして俺は、俺と仲間を信じている。だが、闇雲に戦場に赴くことはできない」
「必ず、この俺がサタンを倒す」
俯く天弓とすれ違う僅かな瞬間に琥王が呟いた。
誇りに囚われた男は、己が進む道の先をまっすぐ見据え、決戦の地へ歩みを進める。
「琥王...貴様の強さは理解している。だが...、このままでは、我らは負ける...どうすればいいんだ」
後方で天弓が発した言葉を静かに受け流した。
――決戦の時が来た。後に『終焉の地』と呼ばれることになる、荒涼たる荒野。
突然、周囲に轟音が鳴り響き、下級悪魔の死骸が周囲に飛び散った。
「貴様が魔王サタンか?久しぶりに楽しめそうだ」
琥王は身の丈ほどもある大太刀を振り下ろし、山をも両断するような、強烈な一撃を魔王に叩き込む。
だが、予想に反し渾身の一撃が直撃した瞬間、地響きや爆煙すらも静止し、音が消えた。
「...どうした?今のが全力か?」
土埃が晴れた中心、魔王は、衣服の塵ひとつ払うことなく、退屈そうにそこに佇んでいる。
「ふん。本番はこれからだ!」
琥王は笑い飛ばした。
戦いが激しくなるにつれ、金属がぶつかり合うような甲高い音が何度も周囲に響き渡る。
「やはり、ほかの悪魔とは違うのか。楽しませろよ!サタン」
琥王は全力が出せる相手との戦いに気持ちが高ぶっていた...だが、対峙すればする程、その気持ちが消えていく。体を切った手ごたえや音はする。だが傷がついていない。
「どうした。この程度か?」
――俺の攻撃が通じていない?
「こんな事があってたまるか!」
縦横無尽に大太刀を振り抜き、音よりも早く斬撃を繰り出すが、かすりもしない。逆に渾身の一撃を叩き込んでも、傷一つ付かない。ただ、サタンは気にする素振りも見せず不敵に笑うだけだ。
――効いていない。
己の拳と刀が弾かれるたび、胸の奥から冷たい戦慄がせり上がってくる。今まで味わったことのない、圧倒的な敗北の予感に変わる。
「奴から見て、俺は存在していないのか...」
恐らくサタンがその気になれば、一瞬で片が付くことを悟った。
絶え間なく続くサタンの攻撃を必死にかわすたびに、小さく切り裂かれた傷が体中に出来上がる。反撃の糸口を見つけようとするが付け入るスキは全くなかった。
一瞬、力が抜ける感覚が走った。その直後、凄まじい一撃が琥王を襲った。
「がはっ!」
「ふん。星座の加護の力はこの程度か。拍子抜けだな。そろそろ終わりにするか」
魔王は左腕を前に突き出し、手のひらを琥王に向けた。
琥王もそれに相対するかのように最後の一撃を放つため身構えた。
「これが最後の一撃か...ここまで何もできないとは...」
己のすべての力を大太刀に注ぎ込み、歴史上最高にして生涯最後の絶技を放つ。
「全身全霊の一撃をくれてやる!『獅子・神威一閃』!!」
――理を置き去りにした一閃。
世界が、斜めにズレた。
鋭い金属音とともに、暗黒の血飛沫が宙を舞う。神をも恐れぬ琥王の執念が、魔王が突き出した「左腕」を、その根元から両断していた。
魔王が初めて目を見開き、信じられないものを見るような表情をした。
「...ほう。見事だ、人間。まさか我が身に傷をつけることができるとはな。加護の力とやらも侮れんな」
魔王の顔に、初めて驚愕と歪んだ歓喜の笑みが浮かぶ。
「ちっ。俺の全てが、この程度...腕一本を切り飛ばす程度だと...」
全てを打ち砕いてきた無敵の一撃が通用しない現実に絶望したとき、サタンの足元に封印陣が現れた。
「封印の陣?そうか天弓、俺たちの命で、サタンを封じるつもりか...」
「ちっ、星導の封印陣か?あんなところに潜んでいたとはな。遊び過ぎたようだな」
光り輝く封印陣が大地に刻まれた。空から白く光る球体が大地に刻まれた『射手座』の封印の刻に取り込まれた。
それを合図に他の球体も各星座の封印の刻に取り込まれていった。
「ふっ...まぁ、いい。人間どもよ。覚えておくがいい。我は必ず復活し、全てを手に入れてやる」
サタンはそう言い残し不敵な笑みを浮かべながら光の中に包まれるように封印された。
琥王を残し、他の守護者は命が尽きていた。
遠くの仲間たちの骸を見ながら、琥王は血を吐き漆黒の大太刀を荒野に突き立てた。
脳裏に浮かぶのは、消えていった仲間たちの悲しげな表情だった。
「最悪の結果だな...奴に手も足も出なかった...本当に...神の力が必要だったのか......」
――魂にまで刻まれた絶望の記憶が、遥かなる血脈の底へと刻み込まれていく。琥王の左胸の「痣」が激しく発光し、光の粒子となり天へと消えていった。
琥王の絶望とともに、『第一の時代』は終わりを迎えた。




