夢の果て
…暖かい。
心地よいそよ風が吹き、花の香りを運んでいる。
意識がはっきりとしてたのか、ようやく優しく頭を撫でられていることに気づいた。
不思議に思い目を開けると、目の前には魔女が居た。
「おや、目が覚めましたか」
魔女は黒髪で色素の薄れた瞳で、その声はまるで小鳥が囀る様な美しい声だった。
「…あ、あなた…は、一体……あれ、私は…誰、だっけ…」
何も思い出せない。
言葉や常識は分かる…なのに、それを学んだ過程やどうやって生きてきたかなどが一切思い出せない。まるで記憶が空白になったかのような喪失感だけがあった。
一瞬不安が過ぎったが何故か、恐怖はなかった。
「…あなたは…少し、忘れてしまっただけですよ…ディアさん」
「…ディア……それが、私の名前……なんですか…?」
「はい、あなたのお名前です。…あ、お腹は空いていませんか?そろそろ昼食の準備が出来ているはずです、一緒に向かいましょう」
魔女は立ち上がると、私に手を差し伸べた。
何も覚えていないのに、何故か懐かしさが込み上げてきた。
「…あ……あの、私…あなたの傍に…いてもいいのでしょうか…。……あれ、?ご、ごめんなさい…私…何を言って……」
気付けば、口が勝手に動いていた。なんのことを言っているのかかも分からない…だが、何故か私にとってとても大切なことのように思えた。
「…大丈夫、ですよ。私はもう、置いて行ったりしませんから…これからは共に、未来を歩みましょう。」
「…ぁ、あれ……なんで…私、涙が…勝手に…」
魔女が軽く頭を撫でた。初めて感じる、まるで母親が子を包み込むような優しい手つきがとても心地よかった。
ーーー
イディアという名の少女は、ずっと過去に囚われていました。
本人は私への感情を恋と言っていましたが…本質は絶望と恐怖による依存でしょう。
生贄となる為だけに生まれた少女は、ずっと孤独だったでしょう。ですが…ずっとそのまま幸福や希望を知らなければ、それはそれで良かったのかもしれません。
少女を哀れんだ屋敷の使用人が、希望を見せようと一冊の本を渡しました。その本は、勇者がとあるお姫様を助けに行くお話でした。
その本を読んで、知りました。少女は自分自身が、檻に囚われたお姫様と同じように、可哀想で悲しい存在なのだと。
少女は、本を読んだその日から夢を見るようになりました。いつかあの本のように勇者が助けに来てくれると。そうすればきっと…幸福になれるのだと。希望を持った少女は毎日星に願いました。
数年経ち…少女は諦めました。現実は本のようにはならない…勇者など現れないと知ったからです。
そして、苦痛と孤独の毎日にも別れの時が来ました。床に磔になるようにして横になり、両親が儀式の準備を初め……ここで終わると悟りました。
その時、勇者が現れました。
勇者…それは、蛇の魔女でした。
魔女に助け出され初めて出た外は、想像よりも広く美しいものでした。
そして、後ろを振り向くと……
火の海に沈む屋敷と魔女の姿がありました。
本では、助けられた姫は勇者と永遠に添い遂げました。でも、現実は違います。
魔女は少女の傍から離れました。
本の通りじゃない…今まであの本の通りの様な人生を送ってきた少女にとって、それは未知でとても怖く感じました。
屋敷の檻から飛び出た少女は、知らない事ばかりの底知れぬ恐怖と限りない不安に襲われました。
きっと、魔女がいれば助けてくれる。
きっと、魔女がいれば守ってくれる。
きっと、魔女がいれば…共にこの不安と戦ってくれる。
あの本の姫になれないのなら、勇者になればいい。
魔女と永遠に、知らない事なんて何も無い世界で…
そんな依存に近い感情が少女を埋めつくしました。
イディア・ローズクライ……少女は魔女と心中し、永遠の眠りにつきました。正確に言えば、火に呑まれそうになり口付けをした時、イディアの人生の記憶を魔法を使って魔女の失われた記憶の空白に移しました。
記憶だけを抜き取ったので恐らく考え方や知識等はそのままでしょう。
イディアにとって、未来は未知であり恐怖の塊のようなもの…だからこそ、最愛の魔女と共に炎の中での心中という自分の知る最も幸福を感じた瞬間を再現し、最期の記憶に残そうとしたのでしょう。
イディアが叶えられなかった未来は、ディアとして生きる少女がきっと叶えてくれるでしょう。
ディアは、これから幸福で、優しい未来を過去へを刻みながら歩んで行くのですから。




