契約者 ─ Ⅰ
シンは永遠の手を引くと、扉の表面に触れさせている。
まるで血液が流れるように、無地だった扉に赤い線が走った。
扉がゆっくりと開かれ、謎の力によって永遠たちの身体が引き込まれていく。
通るというより、通り抜けたような感覚だ。
濡れていた身体は乾いており、空間の中にも水は入ってきていない。
高い天井と開けた室内を、永遠は不思議そうに見回している。
「よお、シン。久しぶりじゃねえか」
不意に、快活な声が響いた。
片手を上げながら近づいてきた男は、親しげな様子でシンに話しかけている。
「珍しいこともあったもんだな。お前が自分からここに来る、なん……て……」
永遠に気づいた男の目が、衝撃で見開かれていく。
「おい、マジかよ! その子まさか、適合者か!?」
「理解してるなら離れろ」
急接近した男に驚いた永遠は、思わずシンの後ろに身を隠している。
シンはそんな永遠を安心させるように微笑むと、男に向かって注告を発した。
「へーへー、分かりましたよっと。淡白だと思ってたが、意外と嫉妬深いんだな」
口元をにやつかせる男を冷めた目で見ていたシンは、「行こうか」と話しながら永遠の手を引いている。
「ちょ、待てって! せめて挨拶くらいはさせてくれよ」
慌てて呼び止めた男は、永遠と視線を合わせると、にかりと笑みを浮かべた。
「俺はギル。シンと同じ、向こう側の存在だ。これからよろしくな」
「永遠といいます。あの、向こう側って……?」
永遠の名前を耳にして、少し動揺した様子のギルだったが、すぐに元の雰囲気に戻っている。
「シンから聞いてねぇ? 遺跡の扉から現れた存在についてとかさ」
「あ……たしか、不老不死なんですよね」
「そーそー。それのこと」
機関が“永遠人”と呼ぶ存在。
ギルの話から推察するに、シンやギルもまた、その永遠人という存在に当たるのだろう。
「とは言っても、こっちじゃ色々と面倒な──」
「そろそろ行こうか永遠。その話はまた後でしてあげる」
シンから声をかけられ、永遠は素直に頷いた。
面白そうに永遠とシンを見比べたギルは、「またな」と手を振っている。
ギルに手を振り返し、永遠はシンと共に通路の奥へと進んでいった。
◆ ◆ ◇ ◇
海の底に、こんな場所があったなんて驚きだ。
空気は満ちているものの、地上で吸っていたものと微妙に異なっている。
理由を考えていた永遠の口から、自然と言葉が漏れていく。
「多分、成分的な……?」
「どうしたの?」
永遠の呟きが聞こえたらしい。
声をかけてきたシンを、永遠が見上げている。
「不思議な場所だなと思って」
「この拠点地は、次元の狭間にあるんだ。ゲートを深海に設置したのは、機関の目が鬱陶しかったから。ここまで来れる人間はいないし、僕たちにとっては最適な場所だからね」
深海の圧力に耐えられる人間も、息をせず生きていける人間もいない。
シンのような存在にとっては、これ以上なく便利な場所だろう。
広い通路を歩きながら、辺りをきょろきょろと見回す。
雰囲気が似ているからだろうか。
幼い頃、永遠が母に連れられて通った研究施設を思い出した。
飛行機が墜落してから、既に一夜が明けている。
母の中では、永遠は死んだものとして扱われているのかもしれない。
「あらあら、可愛いらしい子ですこと」
前方から聞こえてきた声に視線を上げる。
波打つ髪と、優しげに垂れた目。
穏やかに微笑む女性は、永遠やシンよりも年上に見えた。
「シンの適合者を、この目で見られる日がくるなんて。長生きしてみるものねぇ」
「よく言うよ。僕たちに寿命という概念はないのにさ」
背後で呆れたようにため息をつく少年は、まだ小学生ほどの見た目をしている。
「全員揃ったのか?」
「いいえ、ギルがまだ来てないわ」
「またあいつか……。シンがここに来た時点で、集まることは分かっていたはずだろう」
「契約者の調子が良くないのよ。少し様子を見にいくって言ってたわ」
「……そうか」
垂れ目の女性の言葉に、厳格そうな男性が口を噤む。
一番奥に立っていた少女が永遠の方を向いたため、ばっちりと視線が合った。
吊り目で気の強そうな見た目をしているが、少女は永遠と視線が合うなり、にこりと微笑んでくる。
「わりぃ、遅れた」
「ギルさん」
「よお永遠。さっきぶりだな」
口調は荒いが、優しい声をしている。
にかりと笑ったギルは、「俺のことも呼び捨てでいいぜー」と言いながら、永遠の頭をくしゃっと撫でてきた。
「ギル」
ぞわりとした空気に、一瞬で場が静まり返る。
凍りついた空気の中、シンはギルにぞっとするような目を向けていた。
ギル以外の者たちが、警戒した様子で距離を取っていく。
「シン?」
どうして怒っているのか分からないまま、永遠はシンの袖を摘むと、何度か手前に引いている。
周囲の圧が緩んだことで、肩の力を抜いたギルが、安堵の息をついた。
「悪かったよシン。ここまでとは思ってなかったんだ」
シンに謝罪したギルは、「とりあえず入ろうぜ」と言いながら中へと進んでいく。
「どうやら彼女、相当適合率が高いようね」
「適合者が見つかったというだけでも、充分驚くべきことだったが……」
小声で会話をしていた垂れ目の女性が、永遠に向けて手を招いている。
袖を摘んでいた永遠の手を、シンは先ほどとは真逆の表情で握った。




