適合者 ─ Ⅲ
手のひらに砂利の当たる感覚がする。
ぱちぱちと目を瞬かせた先で見えたのは、星の輝く広い夜空だった。
身体を起こすと同時に、服から砂も落ちていく。
辺りを見回す永遠だったが、巡回機の光や、フィーニスの防護壁らしき影はない。
遠くには木々が茂っており、永遠の落ちた場所が、人間の住める土地ではないことが察せられた。
「私……生きてる?」
あれだけ高い場所から落ちてきたのだ。
五体満足でいることが、永遠は不思議でならなかった。
身体に触れて確かめてみるも、骨折や出血、小さな傷跡さえ見当たらない。
呆然と座り込む永遠の肌に、じわじわと紋様が浮かび上がってきた。
赤く光る紋様は、永遠の身体からしゅるりと抜け出すと、見覚えのある青年の姿に変わっていく。
「言ったでしょ。永遠は死なないって」
会った時と同じ姿で現れたシンは、永遠を見て悪戯っぽく声をかけている。
「うぇ……、じん〜!」
地面に座り込んだまま、涙を流し始めた永遠に、シンの動きが一瞬停止した。
永遠と目線を合わせるように屈んだシンは、永遠の乱れた髪を指で整えている。
「忘れてた。永遠がまだ幼いってこと」
「うぅ〜! しんだって……っ、同じくらいでしょ……!」
「うーん。まあ、見た目はそうなのかな」
涙が零れ落ちる頬に、服の袖がそっと当てられた。
「永遠が泣くと、まるで空が泣いているみたいだね」
どこかの詩人みたいな言葉に、永遠は思わずぽかんとした顔を浮かべている。
驚きで涙も引っ込んだ永遠を見て、シンは優しく微笑みながら立ち上がった。
「とりあえず、まずはここから離れようか。開けた場所は、色々と目に付きやすいからね」
シンの目が、何かを見据えるように細まる。
促されるまま立ち上がった永遠は、自分が今、服を服と呼べるのかさえ悩む格好をしていることに気がついた。
「ひょわっ」
「代わりが見つかるまで、これでも着てて」
恥ずかしさで言葉を失った永遠の肩に、ふわりと何かがかけられる。
ポンチョのような形のそれは、着ると膝下から上を全て隠してくれた。
「これ……シンの?」
「能力で作ってみたんだ。ただ、身体が安定するまで、もう少し時間がかかりそうだからね。今はなるべく、能力の使用を控えておいた方がいい。ここを離れたら、まずは着るものを探すのが優先かな」
永遠の頬に触れたシンは、“身体の不安定さ”とやらを心配しているようだ。
能力で作ったという言葉に、永遠は異形を切った際の刀を思い出していた。
「シン。今更だけど、助けてくれてありがとう」
真っ直ぐな感謝を伝える永遠に、シンはどこか驚いた雰囲気を漂わせている。
シンという存在や謎の紋様、永遠の身に起こっている変化──その全てが、永遠に猜疑心を抱かせるには十分なものばかりだ。
この状況で、こんなにも純粋な感謝を口にできる永遠に、シンは自然と口角を上げていた。
「永遠って、少し狂ってるよね」
「えっ!?」
予想外の返しに、永遠は唖然とした顔でシンを見つめている。
──親切にしてもらったら、きちんとお礼を言うこと。
永遠の母は、幾度もこの言葉を繰り返していた。
母の教え通りにした永遠だったが、何が間違っていたのか分からず混乱している。
「でも、僕は好きだよ。永遠のそういうところ」
そう言って微笑んだシンの表情は、今までで一番柔らかいものだった。
「行こうか、永遠」
「……うん」
淡く染まった頬で、永遠は差し出された手に、自らの手を重ねている。
──適合者。
永遠がその言葉の意味について知ったのは、そう遠くない未来でのことだった。
◆ ◆ ◇ ◇
「どういうことだ!」
男の怒声と、勢いよくテーブルを叩く音が響く。
怒りのあまり震える男の背後には、まだ幼い少女の姿が見えた。
「落ち着いてください。今回のことは残念でしたが、No.160はあくまで被検体の一つに過ぎません」
「そんな単純な話ではない! 適合率が40%を超えた検体だぞ!? 本部に運ぶ途中で墜落したどころか、検体が消失したとあっては……責任からは逃れられないだろう!」
頭を押さえて唸る男に、女は深くため息をついている。
「とにかく、今は原因の究明が先です。いくらNo.160が中途半端な存在と言えど、飛行機の墜落で消失するなど考えられないことですから」
「……そうだ。あれを人の手で消すことは出来ない。何かが関わっていることは確かだ」
女の発言に、男も違和感を覚えたらしい。
怒りを堪えるように拳を握ると、背後の少女に向かって鋭く声を上げた。
「80番! 理解したな? 墜落の原因を究明し、被検体を消した存在を探し出すのだ!」
「はい、施設長」
少女はロボットのように平坦な声で答えると、すぐさま室内から去っていった。
その姿を目で追った女も、同様に出口の方へと歩いていく。
「本部には、結果が分かるまで処罰を待っていただけるよう交渉しておきます」
「ああ……。頼んだぞ」
一人残された室内で、施設長と呼ばれた男はひたすら恨み言を吐き続けていた。