適合者 ─ Ⅱ
「シン、これ……刀だよね?」
『そうだね』
「どうして刀が……ううん。今はそんなことどうだっていい」
雑念を払うため、潤んだ目を強く閉じる。
刀を持つ手に力を込めた永遠は、覚悟を決めた表情で異形に歩み寄った。
今の永遠にとって最も重要なのは、生きて帰ることだ。
そのために必要なことであれば、四の五の言わずにやるしかない。
異形は静止したまま、何かを待つようにじっと永遠を見つめている。
『大丈夫。軽く振るだけで終わるよ』
シンの声に背中を押され、永遠は異形に向けて刀を振りかぶった。
目にも止まらぬ速さで振り下ろされた一閃は、銀の光と共に異形の体を真っ二つに裂いていく。
鈍い音を立てながら、異形の体が少しずつズレ始めた。
断面は驚くほど滑らかで、刀を持ったのが初めてとは思えないほどだ。
斬られた後も、異形はずっと永遠を見ているようだった。
溶解していく体は、斬られた部分から広がり、全体を液体へと変えていく。
抵抗する様子もなく消えていった異形の目には、永遠を心配するような色が宿っていた。
まるでヘドロが水へと変わるように、後に残ったのは透明な液体だけだった。
◆ ◇ ◇ ◇
刀が紋様の形に戻り、手からしゅるしゅると抜けていく。
宙に浮かんだままの紋様は、今度は矢印のような形に変化した。
『機体の位置的に、ここら辺から出るのはどうかな』
「ちょっと待ってシン。何の話をしてるの……?」
分厚い壁を指す矢印に、永遠の脳裏を嫌な予感がよぎっていく。
『ここに穴を空けて、飛び降りようって話だよ』
「……むり。むりむりむり!」
思わず真顔になった永遠は、上空から落下する自分を想像して、何度も首を横に振っている。
絶対に無理だと話す永遠に、シンが『それなら──』と呟いた。
『このまま墜落して、爆発にでも巻き込まれておく? そっちの方がいいなら、それでも構わないけど』
「飛び降りましょう」
一瞬で裏返った手のひらに、シンは『決まりだね』と言いながら頷いている。
正確には、矢印が頷くように動いているのだが。
「でも、穴なんてどうやって空けるの?」
『殴ったら一発だよ』
「なぐ……?」
とんでもない提案に、永遠の意識が遠のきそうになった。
機体の壁は、頑丈な素材でできている。
壁を殴ったところで、永遠の手が血まみれになるだけではないだろうか。
せめて先ほどのように、刀でも出してくれたらと思う永遠だったが、シンにその気はないようだ。
ゆっくりと息を吐く。
どのみち、頼れるのはシンしかいない。
どんなに訳の分からない方法でも、まずは試してみる他ないだろう。
不安定な機内で、何故か姿勢を保てている身体。
不自然なほど冴えた感覚に、深く息を吸い込んだ。
手をしっかりと握り締め、矢印の示す場所に向けて思い切り拳を叩きつける。
機内にとてつもない轟音が鳴り響いた。
硬いものがひしゃげ、耐えきれず折れていくような音だ。
ぽっかりと空いた穴から凄まじい風が吹き出し、大きく傾いた飛行機はわずかなバランスさえも失っていく。
あまりのことに呆然と立ち尽くす永遠の口からは、意味のない言語が漏れているだけだ。
「あわわわわ」
『ほら永遠、行くよ』
宙に浮いていた紋様が、永遠の身体を引っ張る。
何がなんだか分からないまま、気づけば外に放り出されていた。
目の前に広がる空と、視界の端に見える飛行機。
制御を失った機体は、永遠たちとは反対の方向に落ちていく。
唯一の例外を除き、全てを乗せたその翼は──夜の闇へと消え去っていった。
◆ ◆ ◆ ◇
落ち続ける身体と、急速に近づいてくる地面に、永遠はふと浮かんだ疑問を口にしている。
「ねえシン。そういえば、着地ってどうするの?」
無事に出られたはいいが、その後のことは聞いていなかった。
このままでは、永遠の身体は地面と衝突し、ミンチに早替わりしてしまうだろう。
『どうするも何も、このまま降りるつもりだよ』
「このまま……? 今、このままって言った!?」
永遠の口から、悲鳴じみた声が発せられる。
「わーん、やだやだ! このままじゃミンチになっちゃうよー!」
泣き叫ぶ永遠に対し、シンは『よしよし』とあやすように声をかけている。
『大丈夫だよ。永遠は死なないから』
「へ……?」
意味深な言葉に、気の抜けた声が漏れていく。
口を開きかけた永遠だったが、無情にもタイムリミットの方が先に来てしまったらしい。
水の中でも、木の上でもない。
空高くから降ってきた永遠の身体は、そのまま地面の上へと叩きつけられていた。