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永遠が人間を捨てた日  作者: 十三番目
第一章 人間をやめた日
2/9

適合者 ─ Ⅰ


 目の前で起こっている惨状は、本当に現実のものだろうか。

 もしかすると、永遠はまだ飛行機の中で寝ていて、ここは夢の中なのかもしれない。


 そんな淡い期待を嘲笑うかのように、呆然と座り込む永遠の頬に赤い液体が飛んできた。

 鉄の臭いがするその液体は、次々と引きちぎられていく乗客たちから飛び散った血液だ。


 生き残っている者たちは皆、少しでも後ろに逃げようと走っている。

 しかし、異形(いぎょう)の口元が大きく裂けると、そこから飛び出した舌が、まるで爪楊枝でも刺すかのように乗客を易々と貫いていった。


 絶望と苦痛の入り混じった断末魔に、永遠の指先が冷えていく。

 震える身体を押さえつけ、永遠は段々と縮まる異形との距離に怯えていた。


「よく聞いて、永遠。僕なら永遠を助けてあげられる。永遠が僕を、中に入れてさえくれればね」


 逃げることはおろか、立つこともできない永遠の耳に、シンの声が聞こえてくる。


「……そもそも、シンは外にいるじゃないですか。中に入れるなんて、いったいどうすれば……!」


「大丈夫。永遠の了承があれば、入ること自体は難しくないんだ」


「それは、どういう──」


 全身に鳥肌が立った。

 異形の目が、永遠の方へと向けられている。


 言葉はない。

 確証もない。

 けれど今、異形は確かに永遠を次の獲物として認識した。


「選んで、永遠。このまま死ぬか、僕を受け入れて──人間を捨てる(やめる)か」


 シンの言葉が、脳内で渦巻いている。

 永遠に残されていたのは、救いを求める選択肢だけだった。


「中に入れる! だからシン……っ、私を助けて!」


「契約成立だね」


 異形が血の海を渡って進んでくる。

 何とか立ち上がった永遠だが、足元がふらつき、バランスを崩してしまう。


 通路側へと倒れ込んでいく永遠の手を、誰かの手がしっかりと握った。


「……シン?」


 いつの間にか、シンが機内に立っている。

 身体を引き上げられたことで、永遠はシンと向かい合う形になった。


 すぐ近くまで迫っていた異形は、シンの姿を見るなり何故か動きを止めている。


「あ、ありがとう……。でも、どうやって中に?」


「どういたしまして。契約者の元へなら、どこにでも行くことができるからね」


「契約者……?」


 最初に言葉を交わした時、シンは永遠のことを“適合者”と呼んでいた。


 契約者と適合者。

 それが何を意味するのか問いかけるよりも早く、静止していた異形が再び動き出した。


 異形は永遠の横を通り過ぎ、さらに後部の乗客に向かって進んでいく。

 先ほどとは明らかに違う反応に、永遠が驚きの声をこぼした。


「どうして……」


「優先順位が変わったんだ。ちょうどいいから、今のうちに済ませておこうか」


 そう言って微笑んだシンが、永遠へと手を伸ばしてくる。

 突然、喉から何かが迫り上がってきた。


「ごほっ……!」


 永遠の口から赤い液体がぼたぼたと垂れ、機内の床を染めていく。


「なに……が……」


 視線を下げた永遠は、胸元にあるシンの腕を目にした。

 腕の先は身体の中に埋まっており、まるで心臓を握られているかのような、妙な感覚が広がっている。


「ど、して……? シン……」


 困惑する永遠の視界が、徐々に暗くなっていく。


「言ったでしょ? 中に入れてって」


 シンの赤い目が鮮やかな光を放ち、絶世の美貌を妖しく彩っている。

 もう片方の手で永遠の口元を拭うシンが見えたのを最後に、永遠の意識は暗闇へと落ちていった。




 ◆ ◆ ◆ ◆




「わー! まだ死にたくない、シンの馬鹿ーーー!」


 叫び声と共に開いた瞼。

 座席に横たわっていた永遠は、見覚えのある光景に、ぽかんと口を開いている。


「あれ? 私、どうなって……」


 身体に痛みはない。

 それどころか、ものすごく軽いように感じる。

 不思議な気持ちのまま、永遠はひとまず辺りを確認しようと、身体に力を込めた。


 ポタポタと降ってくる生温かい液体と、そこから漂う鉄の臭い。

 座席の背もたれよりもさらに上から、永遠を覗き込んでくるその姿は──先ほどまで機内の人々を(ほふ)っていた異形のものだった。


 咄嗟(とっさ)に体勢を立て直し、異形の下から抜け出す。

 険しい表情で視線を向けた永遠だが、ふと違和感に気づいたらしい。


「どうして襲ってこないの……?」


 異形は永遠を獲物として狙っていた。

 しかし、今は不自然なほど大人しく、静かに永遠を見つめてくるだけなのだ。


『とりあえず、そいつは始末しておこうか』


 突然聞こえた声に、永遠の思考が停止する。


「へ?」


 周りを見渡すも、辺りは一面血の海で、生存者らしき人は見当たらない。

 聞き覚えのある声は、耳元で(ささや)くようにも、頭の中で響くようにも感じられた。


「もしかして、シン……?」


『そうだよ』


 恐る恐る問いかけた永遠に、声の主は肯定を返している。


「えっ、どういうこと? というか、シンは今どこにいるの!?」


 声は聞こえるのに、シンの姿がどこにもないのだ。

 慌てふためく永遠の身体に、何かがじわじわと浮かび上がってきた。


 身体の至る所に現れたそれは、紋様のような形をしている。

 鮮やかな赤は発光しており、紋様は血流のように動きながら形を変えていた。


『僕はここだよ、永遠』


 シンの声が聞こえたと同時に、左腕の紋様が手首の方へと伸びていく。

 手の甲にまで広がった紋様の一部は、しゅるりと皮膚から剥がれ、宙に浮かび上がっている。


「これ……どうなってるの?」


『それについては、あとで説明するよ。まずはそいつの始末を優先しようか』


 紋様が示した先には、静止した異形の姿がある。

 シンの意図を問うよりも早く、突然──機内が大きく揺れ動いた。


 床を浸す血液が片側へと流れ、水平だった飛行機が傾いていく。


「えっ、なに!?」


『墜落まで、あまり時間がないのかもね』


「つ、つつ墜落!?」


『うん。墜落』


 平然とした声で話すシンに、永遠は思わず泣きたくなった。


『早いところやってしまおう。脱出するなら、急いだ方が良さそうだしね』


 半泣きで立ち尽くす永遠の手から、紋様の一部がするすると抜け出ていく。

 紋様は刀の形に変わると、そのまま吸い付くように永遠の手に収まった。


 

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