契約者 ─ Ⅳ
中央には噴水があり、空には無数の綿毛が浮かんでいる。
たんぽぽのようにふわふわとした綿毛は、明るい日差しを浴びて優雅に漂っていた。
不意に、その内の一つが永遠の元に落ちてきた。
思わず受け止めた永遠の手のひらで、綿毛は小刻みに揺れ動いている。
「も、もしかしてこれ……生きてる?」
「ここの生き物には、どれも意思があるんだ。あたしたちの世界と近い環境にしてるから、当然と言えば当然なんだけどね」
誇らしげな顔で語るティラと綿毛を見比べる。
どうしたらいいか分からず戸惑う永遠の前で、突然──綿毛がぶわりと膨らんだ。
爆発したかのような勢いで、綿毛が四方に吹き飛んでいく。
ふわふわの部分は綺麗になくなり、永遠の手のひらには、茶色くてつるりとした物体だけが残っている。
「は……禿げちゃった……」
呆然と立ち尽くす永遠を見て、ティラが堪えきれずに笑い声を上げた。
「ちょっと、永遠ってば! はっ、はげたって……あはは!」
ひとしきり笑ったティラは、永遠の手で転がる物体を摘むと、適当に放り投げている。
「どうせまた生えるよ」
笑いが収まらないのか、ティラの口元は緩んだままだ。
庭園は入って正面が北になっているらしい。
南西の位置にある扉まで進むと、ティラは永遠の名前を呼んでいる。
入口よりも一回り小さい扉には、緑の宝石が埋め込まれていた。
壁は石造りになっており、円形状に辿っていくと、他にも扉が見えてくる。
「この扉の先は、あたしの居住スペースに繋がってるんだ。あたしたちは“色持ち”だから、宝石にもそれぞれの色が宿ってるんだよ」
「色持ち?」
「そ。詳しいことは、シンにでも聞いてみて」
そう話すと、ティラは次の扉に向けて壁沿いを歩いていく。
「円卓の順番なら、こっちはビルさんのになるのかな?」
「そうだよ。というか、なんでビルはさん付けなの?」
「目上の人にはさんを付けなさいって、お母さんに言われてて……」
歳上への礼儀は、特に気をつけなければならない。
永遠の母が、何度も言い聞かせてきたことだ。
ティラは気さくで、見た目の年齢も永遠とあまり変わらないため、自然に話すことができた。
しかし、ビルは明らかに歳上で、大人と同じ外見をしている。
「目上? それなら、シンの方が立場は上だよ。シンのこともさん付けで呼ぶわけ?」
「えっ!? いや、そうじゃないけど……」
「まあいいや。呼び捨ての方が、特別って感じもするし。あたしのことは、そのままティラって呼んでね」
素直に頷いた永遠に、ティラは機嫌が良さそうな笑みを浮かべている。
「じゃあ次ね。これはセイの扉で、こっちのはフェル。それでここが、ギルの扉だよ」
扉にはそれぞれ違った色の宝石が埋め込まれており、ビルが紫、セイは白、フェルが黒で、ギルは黄色のようだった。
ティラ曰く、扉は持ち主か契約者しか開くことが出来ないようになっているらしい。
ティラの案内で庭園を一周する永遠の肩を、蔦がつついている。
噴水から飛び出した水飛沫が、永遠の髪を濡らした。
ティラの言う通り、庭園の生物にはどれも意思があるようだ。
元の場所に戻ってきたことで一息つくも、ふと肝心の扉は案内されていないことに気がついた。
もしこの場所が円卓の席順になっているのなら、永遠が座っていた位置はちょうど入口の部分に当たるはずだ。
「ねえティラ。シンの扉はどこにあるの?」
「ああ、シンのは少し特殊な位置にあるんだ。あたしたちと違って──」
近づいてくる気配に、永遠が背後へ視線を向けた。
永遠の反応を見たティラが、瞬時に口を噤んでいる。
「シン! もう用事は終わったの?」
「大した話でもなかったからね」
入口の扉から現れたシンは、微笑みながら永遠の髪に触れている。
「濡れてるね。水でもかけられたの?」
直後、辺りが静寂に包まれた。
葉音一つしない空間に、ひりひりとした緊張感が増していく。
「んー、でも楽しかったよ」
「そう」
永遠の様子を確認したシンは、それ以上何も言わず、優しく髪を撫でている。
緩んだ空気に安心したのか、周囲の綿毛が一斉に落下した。
眉間に皺を寄せていたティラが、深くため息をついた音が聞こえた。
「そんな目で見なくても、もう行くわよ。またね、永遠」
シンが合流したことで、案内はここまでだと察したらしい。
ティラは永遠に手を振ると、その場から颯爽と去っていった。
あっという間に消えた背中を見送り、目を瞬く。
そんな永遠の手を引くと、シンは中央の噴水に向かって足を進めた。
「この噴水、宝石が埋め込まれてるんだね」
精巧な造りの中で輝く宝石は、永遠もよく知る赤色だ。
もしかしてと顔を上げた永遠に、シンは小さく笑みを浮かべた。
「何処でもいいから、触れてみて」
促されるままに腕を伸ばした永遠は、噴水の淵にそっと手を当てている。
──例えるなら、地球が裏返ったかのような感覚だった。
「さっきまでの庭園と違う……?」
太陽が照らしていた庭園は、今や夜の闇に包まれている。
造りは変わらないのに、雰囲気は正反対だ。
賑やかさは鳴りを潜め、辺りには静寂が満ちていた。
「物事には必ず裏表がある。光を差せば影が落ちるように、陰があるから陽もまた輝くことができる」
きょとりとした顔の永遠を見つめ、シンは続きを語っていく。
「最古の神話に出てくる、始まりの神の言葉だよ。向こうの世界には、こうした神話が多く残されているんだ。星には属さず、宇宙を支配する偉大な神々ってね」
一つ、また一つと光が灯り出す。
宙を漂う綿毛は、赤や青、紫に発光しながら、イルミネーションのように庭園を照らしている。
降ってきた綿毛を手のひらで受け止めた永遠は、微動だにしない綿毛を軽く指でつついた。
「爆発しない……」
「しないよ。ここにある存在は全て、永遠の意思に従うからね」
永遠の手から摘み上げた綿毛を、シンは適当に放っている。
一方で、永遠を導く動作はとても丁寧なものだ。
周りを見回していた永遠の目に、ふとなだらかな壁が映った。
庭園で見た扉が無くなっている。
どうやら、ティラの扉だけでなく──全員の扉が消えてしまったようだ。
庭園の奥に、一つだけ扉が見えた。
重厚感のある扉には、噴水に埋め込まれていた物よりも大きな宝石が飾られている。
シンに促されるまま、永遠は扉の表面に手を当てた。
赤く広がる紋様が、血流のように走っていく。
「わあ……!」
宝石の城。
それ以外に、永遠は何と言えばいいのか分からなかった。
至る所に宝石があしらわれた室内は、大理石のようにつるりとした壁で覆われている。
思わず壁に触れた永遠は、宝石が熱を持っていることに気がついた。
「その鉱石なら、向こうに戻ればいくらでも採れるよ」
「これが、いくらでも……?」
「鉱石自体に大した価値はないんだ。重要なのは、誰が所有するか。この鉱石は持ち主の力に反応して、変化していく性質を持ってる。場合によってはただの屑にも、極上の宝石にも変わる代物だ」
まじまじと宝石を見つめる永遠に、シンが鉱石の一部を手渡してくる。
「持っていて。永遠なら、これ以上なく美しい宝石ができるはずだから」
無色透明な鉱石は、永遠の手の中でじんわりと温度を上げていく。
壁や床で輝く宝石と見比べ、永遠はぽつりと呟いていた。
「シンって、やっぱり凄いね」
誰よりも近い距離に立っていながら、何処よりも遠い存在に感じる。
それでも、永遠にとってシンの傍は居心地が良かった。
「永遠の方が凄いよ」
──そんな訳ないのに。
なんて心の内を、永遠は胸にしまい込んだ。
けれど、シンは永遠の考えを見透かしているかのように、柔らかい笑みを浮かべている。
この数日で、何もかもが変わった。
少し前までの永遠は、ただの学生だった。
授業を受けながら、毎日同じようなことを繰り返す。
そして、大人たちに言われるがまま、科学の恩恵を享受し続けるのだ。
科学の進歩により、人類の寿命は飛躍的に伸びた。
しかし、貧富の差が埋まることはなく、実際のところ──人間は衰退の一途を辿っている。
不自由のない生活も、華々しく見える文明も、フィーニスの中にだけ存在する光景だ。
自国さえ──否、自分さえ良ければいい。
そんな考えの人間が不老を求めた結果、百を優に超えていた国々は消え去り、いまや数十程度のフィーニスが人類の存続を支えている。
人工の木々で彩られた楽園。
かつての永遠も、箱庭で暮らす内の一人に過ぎなかった。
豊かな自然。
青く透き通った海。
皮肉なことに、フィーニスには存在しないそれらは、人の手が及ばない地域にのみ残っていたのだ。
シンと出会ったことで、永遠は星本来の煌めきを目にした。
人間では到底叶わない、雄大な生命の息吹を──。