剣豪、令和の世を渡る
彼の名は藤原玄信 (ふじわらのはるのぶ)。
世の人々には、宮本武蔵とて知られる剣客にして兵法の達人である。
晩年、武蔵は筆墨を友とし、書画に親しみ、風雅を解する者としても名を馳せておった。
されど今、武蔵はひとつの難題に頭を悩ませておる。
「……うむ、出てこんのう」
ため息まじりに洩らしたその言葉。
それは、書肆より請け負った物語の稿が、一向に筆の進まぬ苦しみを示すものであった。
時は江戸前期、世は泰平の兆しを見せ、歌舞伎なる新しき芸能が民の人気を博しはじめた折のこと。
武蔵は、勢いに任せて引き受けたものの――
「書肆殿は口煩いからのう。して、如何せん……」
屋敷の廊下を、ただひたすらにぐるぐると巡り歩く。
思案の末に、ふと立ち止まり、ひとりごちる。
「……よし、逃げようぞ」
そう言い捨てるや否や、慣れた様子で裏口より姿をくらました。
数刻、あてもなく歩いた先――
彼の前に、ひとりの若侍が立ちはだかる。
「やあやあ、そこの御方は、宮本武蔵殿にてあらせらるるか。
拙者、常陸国より諸国修行の折、御名を聞き及び候。
願わくば、手合わせを賜りたく!」
名は万次郎と名乗った。
久方ぶりの挑戦者。
武蔵の胸に、かすかな熱が甦る。
「おお、そちはなかなか肚の据わった若者と見ゆる。……よいぞ、参れ」
通りすがりの町人らが、「おお、武蔵殿じゃ!」とざわつき始める。
人垣ができ、やがて輪が広がる。
「いざ、尋常に――勝負ッ!」
だが、勝負は一瞬であった。
武蔵の一撃、手刀が風を裂き、万次郎の木刀を弾き飛ばす。
その衝撃に、万次郎は呆然と立ち尽くす。
「……ぬるいのう。まこと、ぬるい」
武蔵は木刀を見下ろしながら、ひとり呟いた。
「かつては、命を賭すほどの気骨ある者が、各地におったものじゃが……時代も変わったのう」
夕日が傾く街道を、再び筆もとらず、ただ歩を進める武蔵。
彼の心は、未だ剣の道を求めてさまよい続けていた。
その日――空より灼けつくがごとき陽が降りそそぎ、まことに堪えがたき暑さであった。
流石の剣豪・宮本武蔵とて、この炎天には辟易し、道端の木陰を探しては、足を運ぶ。
やがて、彼の視線がふと、道端の一隅に留まる。
「ほう……これは、見慣れぬ構えじゃのう」
そこには、土を穿ちて築かれた、見たこともない造りの隧道(現代で言うトンネル)がぽっかりと口を開けていた。
その口は闇に通じ、涼風が微かに吹き出している。
「こんなところに、このような道があったとはな……。しかも、こしらえが何やら不思議じゃ。見たところ、人の手によるものに相違なかろうが……」
目を細め、壁を指でなぞり、足元の土を確かめる。
「うむ……面妖な気配も、どこかしら漂う。されど、涼しげなことこの上なし……」
頬に流れる汗を拭い、口の端をわずかに上げる。
「よかろう。いざ、行ってみるとしようか」
武蔵は、用心深くも足取りは確かに、その隧道の闇の中へと歩を進めた。
隧道を抜けると――そこは、すっかり夜の帷が降りた闇の中であった。
「な、なにゆえ……? つい先刻まで、日は高く空を照らしておったはず……これはいかがなことか」
武蔵は、まるで狐にでも化かされたかのような心持ちで、あたりを見回した。
驚いたのは、辺りに立ち並ぶ建物の姿である。
「……なんと……まるで墓標のごとく、背の高き奇怪なる建造物が、空へ空へと伸びておる。いったい、ここは……?」
見覚えのない光景。異国か、はたまた夢の中か。
「もしや、ここは出島か……? あの隧道、出島に通じておったのか……。しかもこの時の移ろい……これは妖かしの仕業か……?」
半信半疑のまま足を進めると、一軒の建物の前に出る。そこには赤提灯が灯り、なにやら賑わっている様子。
「お、なんだなんだ。侍じゃん、マジで!?」
「すごっ!時代劇の撮影か何か?」
「ちょっとちょっと、めっちゃリアルじゃん。お侍さん、一杯どう?」
不思議な衣をまとった若者たちが、陽気に声をかけてくる。
敵意はなさそうだ。顔つきも日本の者に見える。
「ふむ……最近は和蘭より珍妙なる装束が流行っておるとも聞いたが……これもその一つか」
なにより、喉が渇いていた。
目の前には氷のごとく冷えた盃が差し出され、中には金色の液体がなみなみと注がれている。
「では……お言葉に甘え、いただき申す」
杯を受け取った武蔵は、中を見つめる。
「……む。まるで……尿のような色をしておるが……皆、平然と呑んでおる……さては、妙薬か」
「お侍さん、それ“ビール”ってやつっすよ!南蛮の酒っす!グビっといきましょ!」
隣の若者が、音を立てて一気に飲み干す。
「……い、いざ!」
武蔵も覚悟を決めて、ぐいと杯を傾けた。
――苦い。しかし、その奥に涼やかなる風味。泡立つ液体が喉をくすぐり、熱った身体を芯から冷ましてゆく。
「こ、これは……ッ! これはまさしく、神妙なる酒でござる! 拙者、かかる飲み物を呑んだのは、これが初めてである!」
「わぁ、気に入ったみたいだ!」
「いいねぇ、侍と乾杯〜!」
若者たちが拍手をし、次々と見慣れぬ肴や飲み物を差し出してくる。
そのたびに、武蔵は恐る恐るながらも一口、また一口と口にした。
「これは……魚か? いや、されど、何ゆえ冷たきままにて……しかも味は甘酸っぱく、妙に癖になる……」
「それ、寿司っす!マグロっすよ! ヤバいでしょ?」
「やばい……とな? なるほど、若者言葉か……面白きかな」
こうして、宮本武蔵は、思いがけず現代の夜の酒席に招かれ、
妙なる食と人の賑わいの中、束の間の“異界”を愉しむこととなったのであった。
「うむ……これは……したたか酔うたかのう」
武蔵は、気のいい若者たちの奢りにすっかり気をよくし、見知らぬ街の片隅で、まるで極楽浄土にでもたどり着いたかのような気分でいた。
「街の様子はまるで地獄の楼閣のごとし……されど、この席は……天国の宴にも勝るやもしれん」
手にした甘味なる菓子の余韻を味わいながら、夜風に当たり、ふと目を細める――その時だった。
「やっ、やめてってば!離してよ!」
――甲高く、切羽詰まった女の声が響いた。
武蔵はすぐさま顔を上げる。
「む……! 何事じゃ」
声の方へと駆け出すと、暗がりの一角で、派手な装いの若き娘が、二人の男に無理やり腕を掴まれていた。
「これは……遊女か? いや、様子が違う……」
娘と目が合う。
「お願い、おじさん!助けて!」
その一声で、武蔵の身体が迷わず動いた。
「――承知!」
鋭い踏み込みで走り寄ると、ひとりの男が舌打ちしながら振り向いた。
「なんだよこのジジイ、関係ねーだろ、どっか行けや!」
男が拳を振り上げ、武蔵へ殴りかかろうとした、その刹那――
バシュッ!
風を切る音がしたと思えば、男の身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられていた。
「……ッが、あ……っ!」
男は呻きもせず、そのまま気を失った。
もう一人の男が、目の前で起きた一瞬の出来事に青ざめ、口をパクパクと動かすばかり。
武蔵は一歩、また一歩と近づく。
「その娘を――離しなされ」
低く、よく通る声で静かに言うと、男の膝が崩れ、地面に座り込んでしまった。
「ひ、ひぃ……なんなんだよこのジジイ……人間かよ……」
武蔵は娘の無事を確かめるように振り返り、そっと頷いた。
「ご安心召され。悪しき者らは退いた……もう、心配は無用であるぞ」
夜の街の片隅。
ひとりの古き時代の剣豪が、現代の夜を、静かに、しかし確かに、斬り裂いた瞬間であった。
気絶した男を抱え、もう一人の男は夜の闇へと逃げ去っていった。
「おじさん、ほんとありがとう。めっちゃ強いんだね……」
娘は息を整えながら、あらためて武蔵の姿をじっと見つめた。
「……お侍さん? なんか時代劇から出てきたみたいな……」
その目に宿るのは驚きと、どこか好奇心。
「む? ……ああ、服装のことか。これは年寄りの趣味にござる。気にするでない」
武蔵は自らの時代が既に過ぎ去ったことに気づかぬまま、娘の戸惑いをそう解釈した。
「拙者、藤原玄信と申す。さて、そなた――いかがなされたのかな?」
娘は一瞬躊躇したが、やがて真剣な面持ちで口を開いた。
「……実は、私の弟が“闇バイト”ってやつに引っかかっちゃって。抜けようとしたらしいんだけど、連れていかれちゃって……さっきの奴ら、あれたぶんその仲間」
「やみばいと……? ふむ、耳慣れぬ言の葉じゃな。……されど、悪しき者に違いはなさそうじゃ」
武蔵は眉をひそめた。
娘が語る言葉の半分も理解できなかったが、それでも困っている者を見過ごす道理は、武蔵にはなかった。
それに――
(……されど、これは物語の糧にもなり申すか。よい経験となろう)
そんな打算が脳裏をよぎったことも、否定はできぬ。
「よかろう。拙者に力となれることがあらば、いくらでも貸そうぞ。弟君は、いずこにおるかな?」
娘はホッとしたように微笑み、どこか頼もしさすら感じさせる武蔵の佇まいに、深く頷いた。
「ありがとう、藤原さん……ちょっと、一緒に来てほしい場所があるの」
そう言うと、娘は武蔵を連れ、夜の街の奥へと足を向けた――
町はずれの廃墟のような場所。
明かりがついたそこに、弟は転がっていた。
「ユウキ!」
娘は駆け寄る。
武蔵はすかさず息を確認する。
「む、大丈夫。怪我はしているが気を失っているだけじゃ」
「一体、どうして…」
「抜けたいとか言うからよ、わからせてやったのさ」
ギィ……と錆びた鉄扉の音。
倉庫の中から、ふてぶてしい様子の若者たちが三人、姿を現した。
「こいつがいきなり“抜けたい”なんて言い出すから、こうなったんだよ。全部アイツの責任だろ?」
先頭の男が、倒れ込んだ少年――ユウキを指さす。
「ふざけないでよ! ユウキを騙したのは、あんたたちでしょ! いい加減にして!」
娘――ユウキの姉が、怒りに震える声で叫んだ。
その声に、男の一人がじろりと目を向けた。
「……お前、ユウキの姉ちゃんか」
にやりと口の端を吊り上げる。
「ふぅん、姉ちゃんも……使えそうじゃん。二人とも連れてこーぜ」
「おう!」
背後の二人が動き、姉弟を取り囲む。
だが、その瞬間――
「待ちなされ。そうはさせぬよ」
静かなる一声。
次の瞬間、風を切る音と共に、二人の男が宙を舞い、地面に叩きつけられていた。
「なっ……!?」
男たちは目を疑った。
「な、なんだコイツ……ジジイ? サムライ……!?」
リーダー格の男が、武蔵の姿を改めて見やる。
一切の無駄がない構え。
ただそこに立つだけで、空気が変わる。
「ふむ、近頃の悪党は口ばかりで刀も持たぬか……まこと、時代が変わったのう」
武蔵は涼しげに呟いた。
「チッ、こんなジジイ相手に……! 誠十郎呼べ! あいつならやれるだろ!」
そう叫ぶと、一人の男が倉庫の奥へと駆け出していった。
「せ、誠十郎……?」
ユウキの姉がその名を聞き、顔を強張らせる。
「……元プロのキックボクサー……こんなところに、なんで…」
その名を聞いた瞬間――
「ほう……清十郎とはな」
武蔵の口元に、ふっと笑みが浮かんだ。
「まさかこんな所で、あの吉岡の名を思い出すことになろうとは。面白き因果よのう」
その声音に、覚悟と愉悦が混じる。
そして、倉庫の奥――闇の中から、重々しい足音が響いてきた。
倉庫の奥――闇の中より、ゆっくりと一人の男が現れた。
肩幅の広い精悍な肉体。
鋭く獣じみた眼差しに、無駄のない足運び。
武蔵は微笑み、腰に手を添えたまま、構えずに立つ。
誠十郎は腕を軽く回し、足をしならせる。
その仕草の一つひとつに、技の研鑽が滲んでいた。
「……ほう、面白き気を放っておるな」
「手加減はしねぇぞ。老人だろうが――一撃で黙らせる」
「ふふ、では遠慮なく参られよ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、誠十郎の身体が閃いた。
鋭く繰り出されたハイキック――
だが、それを武蔵は、まるで一陣の風でも避けるかのように、体を半歩ずらして空を切らせた。
「見事な足技……武の理に適う」
続けて繰り出されるストレート、ローキック、膝蹴り。
いずれも殺気を帯び、無駄のない動きだった。
「ほう、ほう……これもまた“武術”よのう」
そう言いつつ、武蔵は滑るような足捌きで攻撃をいなし、時に手首、肘を取って受け流しながら、間合いを測っていた。
誠十郎は焦り始めた。
攻撃が――当たらない。
逆に、たまに入る武蔵の掌底や指打ちが、まるで“点”を突くように急所をかすめ、身体の芯を揺らす。
「な、なんなんだこのジジイ……!」
「力ある者よ。ゆえに言う。おぬしの技、素晴らしきものじゃ」
その言葉とともに、武蔵の体が一歩踏み込んだ。
誠十郎が警戒するも、一瞬、視界から消えた武蔵の掌が――
ズドンッ!
みぞおちに、深く――まっすぐ打ち込まれた。
「が、はっ……!」
膝から崩れ落ちる誠十郎。
その場にうずくまり、呼吸ができない。
だが、目は――涙で潤んでいた。
「す、すげぇ……あんた……なんなんだよ……」
「良き技であったぞ。磨きなされ。おぬしの武は、まだまだ育つ」
微笑み、ふっと袖を払うようにして背を向ける武蔵。
その姿を、誠十郎は見つめた。
――トゥンク。
心の奥が、不思議な音を立てた。
己を圧倒した“本物”への、畏れと、憧れと――
少しだけ、ときめきの混じった感情が、静かに芽生えたのだった。
誠十郎が崩れ落ちたその場に、重苦しい沈黙が流れた。
だが次の瞬間――
「おいッ! やっちまえェェ!!」
焦ったリーダー格の男が、無線かスマホか、何かで指示を飛ばした。
倉庫の奥や、路地の影から、続々と現れる黒服の若者たち――
十人、いや、十五人はいるか。
「くっ…!」姉は思わずユウキの背を庇うように手を当てた。
だが武蔵は、悠然とその光景を見やり、にやりと笑った。
「おお……これはまるで、かの吉岡一門との戦、再びか」
そして傍らに転がっていた建築用の角材――
二本を、音もなく手に取った。
ぐい、と片肩に一つ、もう一つを逆手に構える。
木材の二刀。
質素なるそれは、もはや彼の手の中で武具と化していた。
「な、なんだよあの構え……!?」
「まさか、木の棒で……!?」
恐怖と焦燥の中、武蔵はふっと風のように前に出た。
「参る――」
叫びもせず、音もなく。
一閃――角材の一撃が、男の腹に吸い込まれ、彼が二メートル吹き飛ぶ。
「ぐはっ!」
次の瞬間には回転し、後ろから来た二人に逆手の角材を払うように叩きつけ――
「うっ……ぎゃああああ!」
「ば、化け物か……!?」
その場の十数人に囲まれてもなお、武蔵の動きは淀みない。
一太刀ごとに、呻き声が上がり、うずくまる者が増えていく。
まるで流水のような、躍るような二刀の動き。
決して命は取らず、だが一撃で、どの者も再起不能に。
それを見つめる誠十郎の目が、再びときめいた。
「す、すげえ……」
姉も呆然と、隣で同じ言葉をもらした。
やがて、残る一人――リーダー格の男だけが、腰を抜かしたまま座り込んでいた。
「お、お前……いったい何なんだよ……人間じゃねえ……」
武蔵は歩み寄り、そっと二刀を地に置いた。
そして言う。
「拙者の名は、藤原玄信――
さりながら世の人々は、こうも呼ぶ。
宮本武蔵――と、な」
「む……武蔵……? は……はあ……?」
リーダー格の顔が青ざめ、次の瞬間、頭をガクリと垂れて気を失った。
あたりに、角材が転がる。
誰も動けず、ただ風が吹き抜けていった。
「……あれ? 藤原さん? どこに?」
戦の後の静けさに包まれながら、姉がきょろきょろと辺りを見渡す。
「えっ? あれ……師匠!? 師匠ォ!!」
誠十郎も慌てて倉庫の奥や陰を覗き込むが、あの堂々たる侍の姿はどこにも見えない。
ついさっきまで、角材二刀で十数人を薙ぎ倒していたその男が――まるで幻だったかのように、跡形もなく消えていた。
ただ一陣の風が、ふっと二人の間を抜けていく。
――その時、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響く。
ピーポー、ピーポー……。
「やば……通報されたか。そりゃそうだよな、あんな騒ぎ……」
誠十郎が苦笑混じりに呟く。
「でも……助かった。藤原さんがいなかったら、ユウキも私も……」
姉はそっと手を胸に当てた。
パトカーの音が近づく中、十数人の倒れた男たちと、ひとつの奇跡のような夜を前にして――
二人はただ、呆然とその場に立ち尽くしていた。
そこに、もう武蔵の姿はない。
――まさしく、風のように現れ、風のように去ったのだった。
時は再び、江戸の世。
蝉の声けたたましく鳴く夏の昼下がり、書肆「白鷺堂」の一角にて、ひときわ人だかりができていた。
名も高き兵法家・藤原玄信――その新たなる筆により生まれた読み物『異界出島合戦物語』が、ついに世に出されたのだ。
斬新なる構え、奇なる描写、まるで夢とも現ともつかぬ物語は、たちまち江戸の町人たちを魅了し、噂は歌舞伎小屋にまで届いた。
芝居の頭取より演目に加えたいとの話も舞い込み、書肆の主人などは小躍りして喜ぶ始末であった。
そんな騒ぎをよそに――
「……ふむ、気づけば、いつの間にやら元の道に戻っておったのよ」
武蔵は縁側にて、うだるような暑さをうちわであしらいながら、遠い夢のようなあの一夜を思い出していた。
かの異界にて出会った若者たち、奇妙なる衣服、不思議なる酒、そして――己の心を燃やした闘い。
「これが、ヤバい、というものかもな」
不意に耳にした言葉を、今もふと思い出す。
意味はようわからぬが、何やら心に残っておるのだ。
「……ヤバい、とな。なるほど、案外よい言の葉かもしれぬのう」
武蔵は一人、うっすらと笑みを浮かべた。
筆を執ったことで、得たものがあった。見ぬ世界、知らぬ価値、それもまた、兵法のうち――。
こうして、兵法者・藤原玄信が記した、世にも奇なる『異界出島合戦物語』は、国中に語り継がれることとなるのであった。
――まこと、これは「ヤバい」物語である。