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森の中での昼食をはさんで、かなりの時間を代わり映えのない景色の中で彷徨ったが、特に面白いものもない。
ただ歩くだけに退屈したらしい舞耶が口を開いた。
「浦島太郎って、なんであんな終わり方なんですかね? 亀を助けてあげたのに」
「終わり方と言えば、鶴になるのもなかったか?」
「ありますね」と舞耶が頷き、前を歩く部長が振り向かずに答える。
「老人になって終わるのが、最近では一般的だな。 亨君の言うのは御伽草紙での終わり方だが、最近の浦島太郎でも、ものによって設定や展開の違いがあるのだよ」
亨は「へえ」と頷いた。部長はそのまま続ける。
「御伽草紙では、浦島太郎が鶴になって飛び立った後、浦島に助けられた亀でもあった乙姫と夫婦の明神となる、とされているので、めでたしめでたしと言っても良いだろう」
「浦島からしたら、今日から鶴として生きろってのは、バッドエンドだと思うけどな」と亨が肩を竦めた。
「カメが乙姫でもあるんだったら、余計にひどい気がしますけどね。だって、何も知らない浦島太郎を竜宮城に連れて行って、帰る場所を奪っておいて、夫婦になるんですから」
舞耶の言葉に部長は笑って言う。
「現代の感覚とは差があるのかも知れんな。そもそもが、竜宮や神仙の神秘を主眼において、その辺りは念頭にないということもあるだろうが」
「開けないように言いながら、玉手箱を渡すのもいやらしいですよね。自分の手を汚さないみたいな」
何故か妙に憤然とする舞耶を見ながら亨が笑うが、舞耶は急にこちらを向いた。
「先輩はそんなのに引っかからないでくださいね!」
何に注意すればよいのかも分からないが、気迫に圧されてとりあえず頷く。「それでいいんです」と舞耶が頷きを返す。
「乙姫はともかく、竜宮ってどんな場所なんすか? タイやヒラメの舞い踊る場所ってことくらいしか記憶に残ってないんすけど」
亨の言葉に、部長は立ち止まって振り返る。
「休憩ついでに話してやろう」
部長はバックパックから飲み物を取り出しつつ、その場に腰を下ろした。俺たちもそれに倣う。
「最近の浦島太郎でも、扉を開くたびに四季が移る、あるいは四季を同時に見ることができると描写されたものがあるだろう?」
部長の問いに、舞耶が頷き、由人が「御伽草紙での描写ですね」と答える。部長は頷いて続けた。
「浦島太郎のような話が成立したのは、御伽草紙より更に遡る。唐から入ってきた説話や神仙思想、日本の伝承が習合して出来たとされている」
そこまで言うと、部長は飲み物を口にした。
「その時から共通するのは、竜宮での時間経過は、こちらでのそれに比べると非常に遅いということだな」
部長の話に頷いた由人が口を開く。
「成立から今に至るまで、竜宮とこちらでは、時間の推移や在り方が異なっていると強調されているということでしょうか」
部長は「その通り」と大きく頷く。
「だから、俺は小学生のあの一瞬、竜宮に居たのではないかと思うのだ」
また遠い目をする部長に舞耶が「当時の通学路は調べたんですか?」と尋ね、部長が「ああ」と頷く。
「勿論調べたさ。だが、何も発見することはなかった」
「その時からずっと探してるんですねえ」と舞耶が感心したように呟き、部長は「そうだ」と答えると、自嘲するような笑みを漏らした。
「確かに、これまでは何の成果もなかったといって良いだろう。しかし! 今年は違う! 確固たる事実がある!」
例の記事のことだろうが、こうまで妄信できるのも、一種の才能だろう。去年も似たような言葉を聞いた覚えはあるが。
「事実はともかくとして、このまま森を歩き続けるのも厳しくはないですか?」
俺の質問に、部長は「うむ」と答え、皆に地図を見せる。航空写真を基にしているため、殆ど緑一色の状態だが、赤いマーカーで今日歩いた部分が塗り潰されているらしい。全体と比較してほんの僅かでしかない。
「これじゃ、夏休み全部使っても、終わりそうにないっすね」
「その通りだ。来てみれば、竜宮がやってきてくれると思ったが」と部長は肩を落とした。楽観的に過ぎる部長の言葉に、皆が苦笑する。
「でも、あの記事からだと、これ以上絞り込めそうにもないんですよね」
舞耶の言葉に部長は頷き、いかにも気が重そうに大きな溜息を吐くと、口を開いた。
「仕方ない。できれば頼りたくはなかったが、光紗君の力を借りるしかないようだ」
舞耶が、どういうことですか、というように俺を見たが、俺にも分からず、首を傾げた。
「では一旦戻ろう」と腰を上げた部長に続き、『拠点』を経由して森を出る。
森を出た瞬間、夕方も近いというのに、刺すような日差しを受ける。
「俺はこれから部室に行こうと思うが、君らはどうする?」
部長の言葉に皆が頷く。副部長に何を頼むのか気になっているのは俺だけではないのだろう。
「それでは行こうか」と歩き出した部長に続いて、学校へと向かった。