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結局は竜宮か、と苦笑する。
「俺が行方不明になったのは、屋上から竜宮に行ったからだと思っていたんだが、記憶を取り戻した以外にも何かがあると?」
安綱が「恐らくな」と頷く。
だとしても、竜宮は単なる場所でなく、何らかの条件で発生する現象のようなものに思える。探すのは至難ではないだろうか。
ふと、竜宮が現象のようなものだと、誰かが以前言っていたことを思い出した。
「由人」と誰の言葉かを思い出すと同時に、思わず呟く。
「鳳か? あの転校生がどうかしたのか?」
混濁する記憶に、由人の姿だけが、今の世界のものしかない。
「今のこの世界で、初めて現れたんだ」
「まさか。あの日は夏音がこの世界と創ったのと同じ日だぞ? 人が現れる程の差異は生まれないはずだ」
「いや、間違いないんだ。それに、由人には、夏音を連想させるものがある」
「鳳が何かを知っていると?」
俺が頷くと、安綱が考え込むような仕草を見せる。
「だが、今から探すような時間もないんだろう? 居場所は分かるのか?」
「ああ。確証はないが、今日、いるとしたら、あの森しかない」
「森? 夏休みにお前らが調査していたあの森か?」
頷く俺に、安綱が「分かった。俺も付き合おう」と立ち上がる。
安綱を伴い、学校を後にした。何度通ったのか、何度通うことになるのかも分からない森に急ぐ。
夏音の倒れた場所に向かう。近くの木にはビニール紐が巻き付けられていた。
思った通り、由人の姿があった。こちらに背を向けている。
俺たちに気付いたのか、由人がゆっくりと振り返る。
由人の泣き出しそうな顔に、容姿こそまるで似ていないものの、夏音を思い出した。
「由人。お前は、何を知っているんだ?」
俺の言葉に、由人が俯く。
「目的を、思い出してしまったのです」
「目的だと? 夏音に関係があることか?」
声を上げた安綱を由人が一瞥すると、安綱はその場に崩れ落ちた。慌てて起こそうとするも、意識を失っているようだ。
「安綱さんには、出て行ってもらいました。この世界に残っていたら、どうなるか分からないのです」
「安綱さんを知っているのか?」
「きっと、貴水さん以上に」
由人が頷く。
「お前は、夏音、なのか?」
由人は首を振ると、困ったような微笑を浮かべた。
「夏音さんではありませんが、夏音さんに近い存在だということも、分かります」
「お前は、何者なんだ?」
困惑しながら発した言葉に、由人が頷く。
「この世界を、消すために生まれた存在です」
「どういうことだ?」
「夏音さんは、この世界が精巧過ぎたことに気付いたのです。このままにしておいては、現実世界の未来を知ることもできると」
確かに、由人の言葉の通りなのだろう。安綱が言っていた通りであれば、この世界はほぼ現実通りに動いているように思える。
「繰り返されているのも、現実世界の時間を追い越さないようにしている、ということか?」
由人が頷く。
「当初はそれだけで、現実世界の時間を追い越すことはないはずでした」
由人が「ですが」と首を振った。
「この世界での、夏音さんの意図しない挙動が、それを破る可能性に気付いてしまったのです」
「竜宮のことか?」と尋ねる俺に由人が頷く。
「夏音さんは、そのための対応として、この世界そのものを消す存在を用意しました」
「それが、お前なのか」
由人が頷く。
「夏音さんはそれを作るのに、時間的にも精神的にも、余裕がなかったのかも知れません」
由人が、また、泣き出しそうな笑顔を作る。
「夏音さんの記憶の一部のようなものまで、紛れ込んでしまったのです」
由人に夏音の影を感じるのは、そのためか。溜息を吐く。
「そうか。所詮、この世界は作り物だからな。夏音が消すことを望むのなら、仕方ない」
混濁する記憶のせいか、心からそう思える。
由人は激しく首を振った。
「夏音さんも、鳳由人としての僕も、本当はそんなことは望んでいません!」
感情を露わにした由人の姿に驚きを覚える。
「夏音さんの記憶が、心が、教えてくれます! 貴水さんも、この世界に暮らす人たちも、心を持って生きているんです!」
目的に矛盾した心を持った由人に、いつかの今日に見た、夏音の泣き顔を思い出す。
「だが、どうすればいい? この世界を消さずに、続けさせることなど出来るのか?」
「貴水さんは、夏音さんに、会いたいと思いますか?」
頷く。それだけは間違いのないことだ。
「現実世界でも、同じことが言えると思いますか?」
頷く。現実の記憶だけを持たない今の俺にも、夏音ほど失い難い存在がいつか現れることなど、ない。そう強く思った。
由人は、微笑した。
「夏音さんは、現実にこの世界での記憶を持ち帰りました。夏音さんの想定外なのかもしれませんが、この世界全てで、同じことが起これば」
「現実と、この世界を統合するということか? そんなことが、本当にできるのか?」
由人は「分かりません」と首を振った。
「ですが、他に方法はありません」
「俺は何をすればいいんだ? 竜宮探しか?」
苦笑する俺に、由人が微笑んで頷く。
「竜宮が、現実とこの世界の接点になっていることは間違いありません」
「分かった。次に記憶を取り戻したら、探してみよう」
由人は微笑みを浮かべたまま再び頷く。
「由人。次に会った時は、今の記憶も持っているのか?」
由人は首を振った。
「この世界と同時に創られるだけの存在です。夏音さんの記憶を持っているのも、今回限りかもしれません」
「また、会えるんじゃないのか?」
由人は再び首を振った。
「この次は、目的を果たすためだけの存在になっているかもしれません」
「この世界を消させないためには、どうすればいい?」
「それが世界を消すためにも、竜宮にたどり着く必要があります」
「そいつには竜宮に着かせないようにすればいいんだな」
「そうです。ですが、それの行動も、最適化されていくかもしれません」
「この世界に残された猶予も、多くはないということか?」
由人が頷く。
「分かった。気を付ける。気を付けようがないかもしれないがな」
苦笑する俺に、由人が微笑む。
「夏音さんを思い出すことができるのは、貴水さんだからです」
「由人、ありがとう」
由人が微笑したまま頭を下げる。
頭を上げた由人は、「きっと」と言いかけて首を振り、また、泣き出しそうな笑顔を作った。




