30
硬い床の感触に目を覚ます。何か夢を見ていた気がした。
上体を起こし、辺りを見回す。早朝であることと、見慣れた二年A組の教室であることは分かったが、周りに誰の姿もなく、静まり返っている。
記憶が混濁している。そのせいなのか、体調も最悪に近い。
この夏の記憶が、僅かにずれたものから、大きくずれたものまでが重なって存在している。前後関係もはっきりしない。
夏音が居た、この夏の記憶は間違いなく持っている。だが、それはずっと昔のことだったようにも思える。
夏音が居なくなってから、何度、この夏を過ごしたのだろう。何度、過ごすことになるのだろう。
今日が、夏音と最後の会話を交わしたその日であることに、何故か確信が持てる。いつも通り、繰り返されてしまうのなら、今の俺に残された時間は少ないだろう。
重い体を無理やり起こし、教室を出る。廊下も教室と同じく、無人のまま、静まり返っていた。
夏音に再び会うために、出来ることがあるはずだ。少しでも、進まなくてはならない。少しでも、夏音に近付かなければならない。
壁に寄りかかりながら、限られた時間で何をすべきか考える。今となっては出来ることは多くない。
最も重要なことは、俺が、夏音の記憶を取り戻すことだ。今の俺の記憶がまた失われても、この次は少しでも早く、取り戻す必要がある。
そのためには、副部長の協力が不可欠だ。夏音の記憶を取り戻す切っ掛けは、常に副部長によって調査される、七不思議にある。どのような理由によってかは検討も付かないが、副部長もこの夏に、何かしらの違和感を覚えているように感じる。
恐らくは今回のこの夏に、副部長が人体模型を部室に運んでいたことを思い出した。意味深な言葉を投げかけてきた副部長を懐かしく思う。
視界が揺らぐ中、壁に手をつきながら部室に向かう。幸い、鍵は掛かっていなかった。あるいは副部長が何かを予感して鍵を開けておいたのかもしれないが。
無人の部室から台車を運び出し、それに寄りかかるように理科室に向かう。
理科室に着いたが、こちらは施錠されていた。迷うことなく蹴り破る。その音は無人の校舎に響いたが、気にしている余裕もない。人体模型を台車に乗せて再び部室に向かう。
人体模型を部室に置く。あとは、今回の副部長の予想が正しく、次の副部長の勘が正しく働いてくれることを祈るだけだ。
「天野か。お前が行方不明になったと聞いた時から、そうではないかと思ったが」
部室を出た所で、気だるげな志津田が現れた。今の俺にとっては、快活な志津田よりは違和感が少ない。
恐らく、屋上で意識を失ったときから、部長と同じように行方不明になっていたのだろう。そうとは、何を指しているのだろうか。
今日、志津田に会ったことは、これまでの記憶にない。
「体調が悪そうだが、時間がないんだろう?」
志津田は何かを知っているのだろうか。驚いたが、下手な返事は出来ない。
「志津田先生。何を言っているんですか?」
「警戒するな。恐らく俺とお前の目的は同じだ。夏音に会いたいんだろう?」
「夏音を知っているのか!」
志津田が頷く。
「夏音は、俺の姪だ」
志津田は「信じられんか?」と苦笑する。確かに、信じがたい話だし、時間も惜しい。だが、夏音の名前を出した以上、何かを知っているのは間違いない。
「まあいい。俺の知っていることを全て話そう」
志津田はそう言うと、俺を見て「座った方がよさそうだな」と部室に入っていった。俺もそれに続く。
椅子に座った志津田は、俺が座るのを待ち、口を開いた。
「お前はどこまで分かっているんだ?」
「この夏が繰り返されているのは分かる」
「そうか」と頷いた志津田が、やや考えるそぶりを見せた。
「それに夏音が関与しているのは分かっているか?」
頷く。夏音が居なくなる直前の会話や、居なくなってから現れた七不思議から、それは間違いないだろうと考えていた。
志津田は大きく頷くと、溜息を吐いた。鋭い眼差しを俺に向ける。
「この世界は、夏音の創ったものだ」




