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夏音の家を離れると、舞耶は不安げな表情を俺に向ける。
「夏音先輩、大丈夫でしょうか? あのお母さん、夏音先輩のこと全然気にしてなかったみたいでしたけど」
舞耶の言葉通り、夏音の母親は、娘が倒れたと聞いた時にも一切の動揺がなかったように見えたし、その後も夏音を気遣う様子はなかったように思う。
「大丈夫だろう」と気休めにしかならない言葉を返しても、舞耶は表情を変えることなく頷くだけだった。
「他人の親のことは言いたくないが」と部長が前置きし、「確かに、不安を感じる対応だったな」と頷いた。
「夏音君のことは、君らも気にかけてやってくれ。気心の知れた君らの方が良いだろう」
「言うまでもないだろうがな」と微笑する部長にそれぞれが頷く。
「ま、あの母ちゃんはどうかと思うけどよ、二、三日もすりゃ、夏音も元気になるだろ」
亨は笑いながら「きつねうどんしか食べてないからこんなことになるんだよ」と続けた。
「舞耶ちゃんも、夏音が戻ったら注意してやれよ?」と笑う亨に俺は苦笑し、舞耶も「そうします」と僅かに微笑んだ。どんな時でも明るく振舞う亨の存在がありがたく思える。
「竜宮に行く機会を失うかもしれない夏音君には悪いが、明日以降も調査は継続するからな! 君らも体調には気を付けるんだぞ!」
どこまでが本気か分かりかねる部長と挨拶を交わし、帰路に就いた。
亨の予想に反し、数日が過ぎても夏音が戻ることはなかった。
こちらから連絡しても、体調が戻らなくて、と返ってくるだけで、舞耶や亨に聞いてみても、同様の対応らしい。
そのまま、更に数日が経った。夏休みも終盤に差し掛かろうとしている。
進展のない森での調査中、舞耶は、以前の快活な表情からは想像もつかないそれを俺に向けた。
「明日は活動もないので、夏音先輩の家に行ってみませんか?」
「けど、夏音からは断られてるだろ?」
亨の言葉通り、これまでも何度となく見舞いに行くと連絡はしているが、夏音からは全て断られている。
「それがおかしいと思うんです。お母さんが、何かしてるんじゃないですか?」
何の確証もなく、印象だけの言葉だろうが、悲壮とも言える舞耶の様子に気圧されていると、亨が苦笑した。
「行ったとして、居留守でも使われたらどうするんだよ?」
「出るまで呼び続けましょう」
「あの母ちゃんが出てきたら?」
「私と亨先輩で、家から引き離しましょう。貴水先輩は夏音先輩の部屋、分かりますよね?」
「昔と変わっていなければ」と頷く。
「じゃあ、決まりですね。明日の朝、夏音先輩の家の前で会いましょう」
亨と顔を見合わせると、亨は肩を竦めた。俺に任せるということらしい。
「分かった」と頷く俺に、亨は苦笑しながら、舞耶は真剣な表情で頷いた。
前を歩く部長が振り返った。
「夏音君も我がオカ研の大事な部員だからな。戻って欲しいが、無茶はするなよ」
翌朝、夏音の家の前に集まる。
舞耶が考えた案としては、まずは舞耶が一人で行き、母親が出た場合は病人役の亨のもとに連れて行って時間を稼ぎ、その隙に俺が侵入する、というものだった。
ほとんど空き巣だが、他に妙案もない。
「それじゃ、行ってきます。お二人も、準備してください」
緊張のためか、震える体を抑えるように舞耶が玄関に向かう。亨はその場を去り、俺は屋内からは死角となる家の陰に回り込んだ。
舞耶が深呼吸をし、ベルを鳴らす。
すぐに、夏音の母親が現れたらしい。
「亨先輩が倒れちゃったんです! 来てもらえませんか!?」
返事も聴こえないうちに、母親の腕を掴み、引きずるように家を離れる舞耶を見送り、家の中に、脱いだ靴を手にして侵入する。
夏音の部屋の前に立ち、ドアをノックする。
「夏音、居るのか?」
驚いたのか、慌ただしい音を立てる室内を、何故か微笑ましく思ってしまう。
「大丈夫か?」
「どうして来たの?」
久しぶりに聞く夏音の澄んだ声にいつもの活発さはなかったが、体調が悪いとも思えなかった。
「夏音がいないと、可哀そうなくらい寂しがる奴がいてな」
「私も、みんなに会いたいよ」
「なら、会えばいい。体調が悪いわけじゃないんだろ?」
しばらく沈黙が続いた。
「でも、ダメなの」
「何故だ? あの母親に何かあるのか?」
「違う。悪いのは私」
「どういうことだ?」
沈黙が続いた。その時、スマホに舞耶からのメッセージが送られてきた。どうやら夏音の母親が戻ってくるらしい。
「夏音、母親が戻ってくるらしい。部屋に入れてくれないか?」
僅かの間をおいて、ドアがゆっくりと開かれた。
部屋に入ると、見た目には以前と変わらない夏音が、泣きそうな表情で俺を一瞥して、顔を伏せた。
「全部、私のせいなの。私のわがままのせいで、みんなが」
夏音は泣き出しそうな声でそこまで言うと、再び黙り込んだ。
近付こうとすると、夏音は顔を上げずに首を強く振る。
玄関のドアが開く音に続いて、こちらに近付く足音が聞こえた。
夏音は窓を指差す。出ていけ、ということだろう。
これ以上ここにいても、聞けることはないのかもしれない。
仕方なく、窓に向かう。振り返ると、夏音はこちらを見てもいなかった。
窓を乗り越えた瞬間、微かに「ごめんなさい」と夏音の泣く声が聞こえた。




