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早朝だというのに、あまりの暑さに目を覚ました。スマホで時間を確認すると、アラームが鳴るよりも早いが、この暑さの中で寝られるとも思えない。仕方なく、疲れの抜けきらない体を起こし、ベッドを出て階下に向かう。
1階の廊下では、母さんが仕事に向かう準備をしていた。俺に気付くとやや驚きながらも微笑んだ。
「おはよう。早いのね」
「暑すぎて寝てられなかった。もう出るのか?」
「そう。戸締りはよろしく。お弁当は冷蔵庫に入っているもの自分で詰めてね」
手早く髪をまとめながら言う母さんに頷く。母さんは「二度寝して遅刻なんかしないでね」と笑顔で手を振り家を出て行った。
洗面所で顔を洗い、リビングに向かう。登校するまでは、まだかなり時間に余裕がある。ソファに腰を下ろし、スマホを確認する。所属するオカ研のメッセージが幾つか溜まっていた。未読の全てが部長によるもので、最新のメッセージは午前三時とある。毎度のことながら、ほとんど寝ていないのではないだろうか。
曰く「例の件について新たな事実を発見した」「明日は必ず出席のこと」「期待していろ」「驚く準備をしておけ」等、最初のメッセージ以外は無意味なものだった。下手に返信すると煩いので、放置することにした。
その時、オカ研の後輩個人とのやりとりでのメッセージが送られてきた。
「新事実って何だと思います?」
同じく部長に見られると煩いと思ったのだろう。「どうせいつもの早とちりか勘違いだろう」と送っておく。すぐに、吹き出しに「デスよね」とあるデフォルメされた死神らしきスタンプが送られてきた。
朝食を摂ったり、支度を済ませたりするうちに、登校する時間となってしまった。この上なく億劫だが、行かなくては。荷物を持ち、玄関に向かう。ここ最近、何か忘れ物をしたような感覚が抜けず、今日も何度も確認するが、間違いなく忘れ物はない。
外に出た瞬間、刺すような強烈な日差しが当たる。引き返したい気持ちを押し殺し、学校に向かって歩き出す。途中で、前を歩いていた等々力亨と合流する。
亨とは生まれた時からの付き合いといってよい。別段待ち合わせているわけでもないが、大抵は一緒になる。横に並んだ俺に亨が手を挙げた。
「おはよーさん!」
いつも通り快活である。既に軽く疲弊している俺は軽く手を挙げて答えるに留まった。
「いつも通りテンション低いな」
「この暑い中、元気でいられる方が異常なんだ」
「もう少しすれば夏休みなんだから、それを楽しみに頑張ろうぜ」
無駄に爽やかな笑顔を向ける亨に、頷きを返す。
「今年の夏休みもオカ研は何かするのか?」
亨の言葉に、去年の夏休みを思い出す。高校入学直後、当時の部長と現部長に、半ば騙されるように入部した俺は、高校一年の夏休みの多くを、フィールドワークという名の炎天下の散歩に費やしたのだった。
部員でもなく、普段はオカ研には顔を見せない亨であるが、何が楽しいのか、屋外での活動には参加することが多く、去年の夏休みも俺と同じくらい参加していた覚えがある。
今年は去年のようなことはご免蒙りたいものだ、と思いつつ「さあ?」と首を傾げる。
「なんかするんだったら連絡くれよ」
変わらぬ笑顔の亨に頷きを返す。
ようやく学校に辿り着く。昇降口に着いた頃、「先輩!」と声を掛けられた。見ると、朝もやり取りしたオカルト研の後輩、星野舞耶だった。
「おはようございます!」
「おはよう、舞耶ちゃん。今日もこいつのストーカーしてるね!」
言いながら笑う亨に、微笑を浮かべた舞耶が答える。
「等々力先輩も、相変わらず腰巾着してますね」
笑顔で睨み合う二人である。よくも朝から元気なものだ。教室に向かう俺を挟むように、亨と舞耶も歩き出す。学年の違う舞耶は結構な遠回りになるのだが。
「私、お昼は食堂に行く予定なんですけど、先輩も食堂に来ますか?」
俺の顔を覗き込むように尋ねる舞耶に「今日は教室で食べるつもりだ」と首を振る。この暑い中、わざわざ移動したくはない。
「俺も教室かな」と答える亨に、「亨先輩には聞いてません」と舞耶が微笑んだまま冷たく返事する。
「残念です。部活には出るんですよね?」
出ないと出ないで煩い部長のことを考えつつ、「ああ」と頷きを返す。新事実とやらも聞いておきたい。「俺はやめておこうかな」と亨が返したが、舞耶は黙殺した。
教室の前まで来ると、「それじゃ、放課後、部活で会いましょう」と舞耶は笑顔で離れていった。
亨とともに、冷房の効いた教室に入る。暑さから逃れられたことで、ようやく人心地ついた。亨に軽く手を挙げ、それぞれ自席に向かう。
廊下から最も離れた、最後列にある自席の更に窓側に、昨日まではなかった席が設けられていた。こんな時期に転校生でも来るのだろうか。
それから程なくして、2年A組担任であり、オカ研顧問でもある志津田治守がいかにも気怠い様子で入ってきた。後ろには見慣れぬ生徒が続く。この学校の物ではない制服を着ているが、何よりも目を引くのは、整いすぎていると言ってよい程の容姿だった。作り物めいたものすら感じさせる。
にわかに騒々しくなった教室を、教壇に立った志津田が見回す。常にやる気を感じさせない教師ではあるが、妙な威圧感があるため、すぐに教室は静まった。
「おはようございます」
ただ言葉を発しただけといった志津田の挨拶に皆が返した。志津田は軽く頷き「彼は転校生です」とだけ言うと、隣に立つ生徒を促すように一瞥してから一歩下がった。やる気がないにも程がある。転校生は動揺した様子も見せず、教壇に立つと、ゆっくりと口を開いた。
「本日からこちらの学校に通うこととなりました。鳳由人です。よろしくお願いします」
転校生の挨拶が終わるか終わらないかのうちに、何人かの生徒が挙手したが、志津田は見えていないかのように転校生に向かい「はいよろしく。君の席はあそこね」と俺の隣を指差す。
転校生はやや困惑したような表情を浮かべたが、志津田がさっさと行け、とでも言うように手で払うと、教壇を離れた。挙手していた生徒も諦めたように次々と手を下げ、席に向かう転校生を目で追っている。志津田教諭の去就について心配していると、席に着いた転校生がこちらに声を掛けてきた。近くで見ても、性別すら超越したかのような美形である。
「よろしくお願いします」
「天野貴水だ。よろしく。」
微笑む転校生に、名前を告げた。