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89.密談と真夜中のプリン

 階下に降りると、すでに厨房には魔石ランプの灯りが灯っていた。

 中を覗けば待ちわびた様子のユリウスが、ぱっと表情を明るくする。


「レディ! こんばんは、喉が渇いたのでお茶を淹れに来たんですけど、偶然ですね!」

「ユリウス様もですか、私もです。はしたない格好で申し訳ないですわ」


 茶番を演じた後、コーン茶を淹れてカップに分け合い、厨房から続きの食堂のテーブルに着く。

 冬の間は住人も使用人も勢ぞろいで食事をする機会が多いけれど、エドとクリフとラッドは使用人用の宿舎に戻り、アンナは村からの通いなので、今はとても静かだった。


「そういえば、私が寝込んでいる間、ユリウス様はお食事はどうしていたんですか?」


 今ではセレーネやサイモンも食事を共にするようになったけれど、領主邸の主であるメルフィーナが寝込んでいたため、食堂に誘う者もいなかったはずだ。

 マリーかセドリックが気を回してくれていたのだろうとなんとなく思っていたけれど、ユリウスはあっけらかんと言った。


「僕は一日の大半を寝ているので、あまり他の人たちと食事の時間が合わないんです。時々小さな料理長が部屋に食事を持ってきてくれたので、それを頂いていました」

「? 旅の疲れが出たということでしょうか」


 王都からソアラソンヌまで馬車で二週間、そこからさらにエンカー地方まで夏でも三日の距離だ。冬ならばもっと悪路だっただろうし、時間もかかっただろう。体に相応の負担が掛かっていても仕方がない。


「いえ、僕の体質のようなものです。人よりかなり魔力の量が多いので、あまり長時間起きていると体がもたないのですよ。子供の頃はそれこそずっと眠りっぱなしだったので、体が大きくなった今は大分マシになりました。最近はまた睡眠の時間が長くなってきたので、いずれ目覚めなくなる日が来ると思います」


 あと一、二年というところかなとユリウスはいつものように明るく、自分の言いたいことを言いたいように言っている、そんな調子で告げた。


「いずれそうなることは分かっていましたし、強い魔法使いは基本的に短命なんですよ。魔力が多すぎて育たなかったり、そもそも生まれてこれない子供というのは珍しくありません。体が弱くて常に病魔に侵されているというような面倒は、ほとんどこの睡眠時間のおかげでなんとかなっているんです。魔力中毒で苦しむことも滅多にありませんので、僕はむしろ幸運な方ですけど、時間が足りないことだけは不満ですね。あ、本格的に目が覚めなくなってきたら、王都行きの馬車に乗ってレディには迷惑をかけないようにするので、心配しないでください」

「……そんな心配をしているのではありません」


 ユリウスの言葉がただの軽口ではなく、本当に彼は命の危機に瀕しているのが、嫌になるくらいはっきりと伝わってくる。

 再来年の夏、マリアと出会うことで彼が救われると知っているのは、今の時点でメルフィーナだけだ。

 自分の死をまるで他人事のように言うユリウスに、なんだか嫌な気持ちになった。


「だから僕は、したいことをしたいし、知りたいことを知りたいんです。どうして太陽の光は暖かいのか、なぜ冬は寒く夏は暑いのか、空に散らばった星はいくつあるのか、魔物とそれ以外の生き物はどう違うのか、世界の端は本当はどうなっているのか! 全部を知りたくてたまらないんです」

「だからって、人の寝室に忍び込んだりしてはいけませんよ」

「もうしません。レディに嫌われたらとても悲しいし、わが友には僕の宝物を形見に分けるって約束してるんです。その約束をした時、拳骨されたんですよ。その時が、今までで一番痛かったんです」


 痛かったと言いながら嬉しそうに笑うユリウスに、胸が痛む。


「それで、何をして倒れたのですか。教えてください、レディ!」


 それまでの口調も、身を乗り出してそう聞いてくるときも、ユリウスはずっと同じ調子だ。彼が自分の境遇を憐れんでいないことが強く伝わって来るし、なぜそうも短命であることに無頓着でいられるのか、メルフィーナには分からない。


 この危なっかしい魔法使いを、怖いと思うし、出来れば遠ざけた方がいいということも分かっている。


 ――でも、どうしてか、嫌いにはなれない。


 きっとユリウスが、自分のしたいことだけをして生きている人だからだろう。

 それはこの世界で前世を思い出してから、メルフィーナ自身が焦がれた生き方でもある。


 この世界は強固な身分制を基に成り立っていて、女性は父親に、結婚したら夫に従って生きるのが当たり前だ。

 領主は領主の義務を果たし、騎士は騎士の誇りのために戦う。農民は畑を耕し、農奴は土地に付属する道具のように扱われながら、それでもみんな、必死で生きている。


 愛や義務といった自分を縛るものから、自由になりたい。自分の選んだ場所で、自分の選んだ生き方をしたい。

 そんな生き方が出来るのは、この世界ではほんの限られた者だけだ。ユリウスにとってそれが可能なのは、貴族として生まれた身分と魔法使いとしての高い能力ゆえである。


 メルフィーナにはとても難しいことも分かっている。


「じゃあ、あまり時間はありませんね。お話ししましょうか、ユリウス様」

「! はい、レディ!」


 それでも、目の前にそうやって生きている人がいるのは、なんとなく、希望が持てた。


 ――やりすぎには注意という戒めにもなるしね。


 こっそりそんなことを思いながら、メルフィーナは細く息を吐くのだった。




      * * *


「「合成」ですか」

「ええ、目の前にあるものからそれを構成するものを「分離」することが出来るなら、その逆もまた出来ると思ったのです。それを試そうとした直後から記憶がないので、おそらくその時に倒れたのだと思います」

「なるほど、なるほど……レディは面白いことを思いつきますね」

「そうでしょうか? 何かを混ぜ合わせて反応させるというのは、錬金術でもよくある手法ではありませんか?」


 ユリウスは珍しく考え込むように黙り込み、ややして、重たそうに口を開いた。


「レディの言うように、あらゆるものをひとまず混ぜてみるというのは錬金術の始まりでもあり、原始的な錬金術はそこから始まったと言っても過言ではないでしょう。――レディは、錬金術の目的を「神の解析」だと言いましたね。しかし多くの卑俗な錬金術師にとって、その最大の目的は「世界を小さく再構築」することなのです」


 その後、怒涛の如くユリウスが語ったのは、大宇宙マクロコスモス小宇宙ミクロコスモスは完全に対比関係にあるとされているという話と、大宇宙マクロコスモスは世界そのものであり、小宇宙ミクロコスモスは錬金術においては人間を指すという内容だった。


 世界が神の創った完璧な存在であるならば、人間もまた、本来完璧な存在であり、不完全な状態から完全な状態へと再構築させることが、すなわち錬金術の目的であるということを長々と語ってくれた。

 完璧な状態になれば、人は老いることも病むことも、ひいては死ぬことすらなくなる。その目的のために賢者の石やエリクサーを求めるのが錬金術師の本懐である。


 とはいえ、その口調にあまり熱がこもっていないところをみると、ユリウス自体その考え方に懐疑的なのも伝わってくる。


「つまり、この世界のあらゆる不完全なものは、不純物を取り除くことで完全な形にすることが出来ると錬金術師は考えるのです。勿論何かを混ぜ合わせることも多いですが、その場合、反応させることによって純度を上げるということが前提になるわけで」

「ああ、つまり錬金術という分野においては、水と塩を混ぜ合わせた塩水は、「水」と「塩」の不完全な状態であり、「分離」することでそれぞれの完成度を上げる、という考え方ということですね?」

「そう、そうです! ですから、錬金術師は「分離」が使えることが一人前の条件ですし、何でもかんでも「分離」してみようとするものです。レディの求める蒸留だって分離の一形態ですし、その他にも溶解、腐敗、抽出、煆焼かしょう、還元といったあらゆる方法で、錬金術師はその物体を濃縮し、純度を上げようとします。ですので……そう、物と物をあえて合成というのは、僕自身、ほとんど考えたことが……」


 わーっと喋った後、ユリウスはまた黙り込んでしまった。彼の中で目まぐるしく色々な仮説や思考実験が行われているのを感じるので、メルフィーナは構いつけることはせず、ユリウスが戻ってくるのをのんびり待つことにする。


 ――おなかすいたわ。


 思えば目を覚ましてから温かいミルクとお茶、夕飯に薄いポリッジを食べただけで、おなかがぺたんこになっているのを感じる。

 ユリウスはしばらく考え込んでいるだろうし、何か夜食でも作ろうかと思い立つ。


 パンはおそらくエドが明日の朝食用にとっておいたものだろうし、こんな時間に肉を食べるのもなんとなく、気が乗らない。少し考えて卵とミルク、棚の奥から砂糖の入った壺を取り出して、魔石コンロにフライパンを載せる。


 砂糖を入れ、少し水を足して熱を入れ、焦げてきたところに水を足せばカラメルの出来上がりである。ミルクをやや温めて砂糖を入れ溶かし、溶いた卵と混ぜる。出来た卵液を粗い布で濾し、カラメルを入れた陶器のカップにゆっくりと注いでいく。


 あとは大鍋に水を入れてカップを置き、蒸していくだけだ。強火であたためるとすが入ってぼそぼそとした口当たりになるので、中火でお湯を沸かしたら、後は弱火にしてゆっくりと蒸していく。


「……美味しそうな匂いがしますね」


 蒸しあがり、蓋を取ると厨房に甘い匂いが立ち込めた。さすがに無視していられなくなったらしく、ユリウスがぼそりと呟く。


「冷やした方が美味しいですけど、このままでも甘くて美味しいですよ。試してみますか?」


 北部の冬はとても寒いので、盆に載せて外に五分も置いておけば冷たくなるだろうけれど、冬の夜に温かいプリンというのも良いものである。

 カップとスプーンを渡すと、ユリウスはいつもの陽気な様子は鳴りを潜めて、迷うようにスプーンでプリンの表面をつついていた。


「お行儀悪いですよ、ユリウス様」

「どうも、食べたことのないものなので」


 好奇心はあるけれど、偏食が顔を出している状態らしい。自分の分を掬って口に入れると、ミルクと卵の優しい匂いに砂糖の甘さが加わったものが、温かさに乗ってふわりと鼻に抜けた。


 ――深夜の甘い物って、どうしてこんなに美味しいのかしら。


 まだ温度が高いのでつるつるとのど越しよく滑っていくというわけにはいかないけれど、舌にのせた時のトロリととろける口当たりや、口の中いっぱいに広がるカラメルの香ばしさ、ごくんと飲み込んだときの、なんとも言えない幸福感はたまらない。


 ユリウスも最初は懐疑的な表情を浮かべていたけれど、ほんの少しすくって口に入れると、ぱっ、と目を見開いた。


「砂糖が入っているんですね」

「ええ、それと、ミルクと卵。材料はこの三つだけですわ」

「とても滋養がつきそうですね。僕は砂糖が好きなんですけど、大抵粉末になったものを舐めるばっかりで、こんな食べ方は初めてです」

「お茶に入れたりはしないんですか?」

「そのまま舐めたほうが甘いので。セドリックには行儀が悪いと怒られました」


 無意識なのだろう、ユリウスはスプーンを握っているのとは反対の手で自分の頭を撫でている。

 おそらく説教と共に拳骨をされたのだろう。


「子供の頃からセドリックはセドリックなんですね」

「実家でも用意してくれましたけど、彼が薬としてもらったものを時々僕に持ってきてくれていたんです。自分は好きじゃないからなんて言っていましたけど」


 メルフィーナの知る限り、セドリックは甘いものが好きだ。砂糖を何度か口にしたことがあると以前言っていたけれど、きっと子供の頃から好きだっただろう。


「砂糖は滋養強壮の薬ですものね。ユリウス様に少しでも元気になって欲しかったんでしょう」


 ユリウスはちびちびとプリンを食べて、すっかり空っぽになった器の中を寂しそうに見ていた。それからちらり、とまだ残っているカップに視線を向ける。


「子供の頃、セドリックに砂糖を持ってこられたとき、どう思いました?」

「嬉しかったですよ! 僕は甘いものが好きですし、友達が僕のことを考えてくれたことも」

「私もセドリックとはまだ一年も付き合っていませんが、子供の頃からあんな感じなら、自分のために用意してもらった高価な砂糖をこっそり友達にあげるのは、勇気が必要だったと思います。そういう人だと思いませんか?」


 ユリウスはこくこくと頷く。その子供のようなしぐさに、つい、笑ってしまった。


「じゃあ、私達が夜中に食べた美味しいものを、明日、みんなに食べてもらいたいって気持ちも、わかりますよね?」

「はい……僕、別にもっと欲しいなんて言っていませんよ、レディ」


 目は口ほどに物を言うという慣用句は、この世界には無いけれど、見れば分かることはあるものだ。

 子供のセドリックがユリウスに砂糖を渡し、それを舐めているユリウスに行儀が悪いと言っている様子が思い浮ぶ。

 人の心に無頓着でやりたいことをやりたいようにしているユリウスが、セドリックにだけは懐いている理由も、なんとなく理解できた。


 ――つまり、餌付けしたってことなのかしら。


「また作りますよ。それに、美味しいものは皆で食べるともっと美味しくなるんです。今度は、皆で一緒に食べましょう」


セドリックは普通に甘いものが好きですが、ユリウスは脳が糖分を欲しているというのもあると思います。現代だったら角砂糖をたくさん入れたコーヒーを一日に何杯も飲んでそうです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短命だろうがなんだろうが、人は旨いものが好きなのだ 餌付けへの第一歩である
[一言] 砂糖がそれなりの量ここに有ることを公開して良かったのだろうか?
[良い点] 短命であるとわりきってやりたいことに集中するユリウス 常識知らずと見捨てず拳骨でたしなめるセドリック 貴重な砂糖を滋養としてあたえるやさしさ 子供の頃からの親友とはいいものだ、と感じた…
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