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83.顛末と値踏み

性的な話題に触れています。苦手な方はご注意ください。

 団欒室に集い、温かいお茶を飲むと、ラッドはようやく緊張が解けたようで、ほっとしたように息を吐いた。


「コーン茶を飲むと、領主邸に戻って来たという感じがします」

「雪道の中を、お疲れ様。それで、公爵家の答えはどうだったのかしら」


「公爵様はお忙しかったので直接お会いすることは出来ませんでしたが、オーギュスト様と執事のルーファス様が調査してくれました。公爵領では初夜権という権利自体は存在していましたが、随分前に形骸化していて、今は実質結婚の時に支払う税として機能しているそうです」


 聞けば、結婚する男女は領主や代官に定められた金額を支払うことで初夜権の免除を受けることが出来、その金額も麦や布といったもので代替出来、身分によって多少の変動はあれど、それが農奴の夫婦だとしても決して重すぎるものではないらしい。


 結婚そのものに税を掛けるのは、領主にとって定期的な収入源になる。


 教会法により、結婚している男女の間に生まれた子のみが親の財産の相続権を持ち、また親が子を管理する権利も結婚した二人から生まれた子のみに存在する。

 そして相続者のいない土地や財産は、領主にその権利が戻ることになる。


 基本的に領地における土地は、所有権は領主が保持しており、地主や生産者は領主からその土地を借りているという前提があるからだ。土地の売買や賃借、相続も税がかかるのは、領主の持ち物を扱う権利を税で買っているという認識である。


 この世界は前世のように医療や衛生が高い水準にないので、平均寿命は比べるべくもなく短い。いつ何があるか分からない以上、財産を守るためには常に相続者を決めておく必要があり、平民でも成人したらすぐに結婚し、子供を作るのが当たり前だった。


「結婚税の負担はそう大きなものではなく、領主に納める程度の金額を用意できない家や男性が、その対価として領主に新妻を差し出そうとするなら、結婚は考え直した方がいいと諭す一面もあったようです」

「なるほど……思っていたより、よく出来たシステムなのね」


 そうであるにも拘らず、ラッドたちの村では金銭での免除は許されていなかったという。というより、ラッド達は他の土地では免除されているとすら知らなかったらしい。

 交通の便が悪く、情報の伝達が滞りがちなこの世界では、地方によっては他所の話がほとんど入って来ないというのは、ごく普通のことだ。


「それで、結局ラッドたちの村の今後の対応はどうなったの?」

 ラッドは気まずげな表情になり、ぽつぽつと、絞り出すように言った。

「本来結婚税という形で納付され、公爵家に上納しなければならなかったものを、代官が私欲で初夜権として消費していたことで、税の横領という形になるそうです。春が来る前に対処してくれると、オーギュスト様が言っていました」


 もしかしたら、彼の身内や友人に、すでにその私欲の被害者が出てしまっていたのかもしれない。暗い表情だが、ラッドは深々と頭を下げた。

「おかげでこの先、俺達が生まれた村の連中も安心して結婚出来るようになると思います。メルフィーナ様に質問状をしたためてもらえなかったら、公爵家に話を聞いてもらうことも難しかった、というより、俺では思いつかなかったはずです。ありがとうございます、メルフィーナ様」


「いいえ、私も知れてよかったわ。不幸な結婚の抑止として、初夜権はエンカー地方でも取り入れましょう。まあ、名前はちょっと変えたほうがいいと思うけれど」

 いい印象の名称とはいえないし、メルフィーナの後にこの地方の統治を引き継ぐ者が現れた場合、その名前でトラブルが起きないようにしておきたい。


 ――私の後、か。


 領主は領地全ての所有者であり、それらは領主の私財となるので平民の相続とは条件が変わって来るけれど、基本的には正式な夫婦の間に生まれた子供が後を継ぐものだ。

 オルドランド公爵家は直系の男子、アレクシスの甥がいるらしいが、エンカー地方は正式に割譲されたメルフィーナ個人の資産なので、メルフィーナの死後は、再び婚家であるオルドランド公爵家に属することになるだろう。

 マリアがアレクシスと結ばれ離婚が成立すれば、クロフォード家の親族から養子を貰うあてもないので、やはり北部の支配者であるオルドランド家に吸収される形になるはずだ。

 地方自治という言葉が生まれるのは、おそらくまだまだ先のことになる。


 打てる手は、ないことはない。

 現実的にはそう難しくないことも予想できる。けれど、メルフィーナとしては決して選びたくない方法だ。


 ――長く安定した統治を領民に提供するのも、領主としての役割のひとつなのは分かってる。でも、そこまで歯車になる覚悟は、今はまだ出来ない。


「全く、初夜権などナンセンスですよ。そんなにたくさんの女性の相手なんて、したいものですかね? 僕には全く想像もつきません」

 ユリウスの弾んだ声が響いたことで、はっと物思いから覚める。


「そもそも、北部で貴族が不特定多数の女性に手を付けるなんて習慣がまかり通るわけがないですしね。最も初夜権が盛んなのはロマーナ共和国との境辺りですし」


「それは、地政学的な意味で、ということですか?」


「そう難しい話ではありません。南に行くほど人の保持する魔力量が減る傾向があるのはご存じですか? 北部の貴族は魔力が強すぎて、手を付けた女性を妊娠させようものなら相手の女性の心と体を損ねてしまう可能性が高いんですよ。南に行くほど貴族でも魔力量は下がるので、もし初夜権の行使で相手を妊娠させてしまったとしても、領民が増えるだけで済みますが、都度心身を壊していては税収や民心の離反を招きかねません。逆に北部の貴族の女性は魔力が強い者同士では子供ができにくいので、他の地方に嫁ぐのが一般的ですね」


 立て板に水を流すようにとうとうと喋るユリウスの言葉に返事を出来ずにいると、彼はずい、と腰を下ろしたソファから身を乗り出す。


「一般的に北部の男性が一途だと言われるのは、この特性によるものが大きいです。貴族相手との政略結婚では相手に早々に産褥死されると困ることが非常に多い。かといって正式な夫婦の間の子でないと相続に問題が出てしまう。僕にはよくわかりませんが、正統な血筋の後継でないと仕えるのが嫌だって臣下は結構いるらしいじゃないですか? なので魔力の少ない家臣や平民から妻を娶り、愛人は囲わないのが一般的になっているのです。貴族が血をばらまくのは神殿もいい顔をしませんしね! 一人か多くても二人産めば奥方は壊れてしまいますが、再婚すればいいわけですし。何人も愛人や高級娼婦を抱えている他の地方の貴族から正妻にしか子供を産ませないことで相手に一途であると映るようです。しかしまあ何ごとにも例外というものもありまして」


「ユリウス様」

 はっきりと名前を呼ぶと、ユリウスは怒涛のように喋っていた口をぴたりと閉じる。不思議そうな表情には悪意も悪気も滲んでいないので、本当にタチが悪い。


「貴重なお話をありがとうございます。ラッドは仕事があるので退席させていただきますね。新しくお茶を用意しますので、よろしければ王都のお話など聞かせていただけませんか? 私は王都育ちなので、久しぶりに華やいだ都会の話を聞きたいですわ」


「いやあ、僕は普段塔にこもりきりなので、そんな話が出来ますかねえ」

「でしたら、塔での暮らしなど教えてくださいませ。残念ながら王都にいる間は王宮に上がる機会があまり持てなかったので。ラッド、ここはもう下がっていいわ。マリー、新しくお茶を淹れてくれる?」

「は、はい!」

「かしこまりました、メルフィーナ様」


 立ち上がる二人を見送ろうとして、メルフィーナも一拍置いて席を立ち、マリーの後ろでまとめた淡い金髪に触れる。

「マリー。少し髪が乱れているわ。先にそちらを直してきてちょうだい」

「……お気遣い、ありがとうございます」

「ゆっくりでいいわよ。ここでお喋りして待っているから」


 はい、と応えたマリーは心なしか安堵したような様子だった。二人が出て、ドアが閉じた途端、セドリックが唸るような声を上げる。


「ユリウス、貴様、何のつもりだ」

「何を怒っているんだい我が友よ。実際南の貴族はすごいものだよ。象牙の塔に人体の魔力量の研究をしている魔法使いがいてね、南部は夏の魔物討伐に魔法使いを派遣するから象牙の塔とも縁が深いんだが、統計によると初夜権の実質的行使は一割ほどにも及ぶそうだ。いやあすごいよね、僕なんか一人と結婚するのも嫌々だっていうのに」

「いい加減にしないと、その口を縫い合わせるぞ」


 団欒室ではよく縫い物もしているので、針と糸には困らない。セドリックがちらりと視線をやった先には、縫いかけの冬物の服を入れたバスケットが置かれていた。


 セドリックが本気であると伝わったのだろう、ユリウスは困ったように微笑む。


「全く、君は昔から怒り出す理由が分からないな。もしかして結婚を考えている北部の女性でもいるのかい? 幸い夫になる男性の魔力量さえ低ければ、女性に関しては妊娠能力には問題ないよ。ただ生まれてくる子供は魔力を継いでる可能性もあるから、多めに作ることをお勧めするけど」

「黙れ」


 威圧を込めてセドリックが言うと、仕方ないなというようにユリウスもようやく口を閉じた。


「ユリウス様。ここは北部ですし、色々な事情を抱えた者も多いのです。私もまた、北部の貴族に嫁いでいる身ですわ。お話は興味深く聞きましたが、どうかこの先、その話題は控えていただけるようお願いします」


「うーん、僕が黙っていたからって事実が消えるわけではありませんが、分かりました。あれですね、気持ちの問題、というやつだ。昔よくセドリックに拳交じりに教えてもらいました」


「行く先々で恨みを買っていては、お前でもいずれ刺されるぞ。少しは慎めと何度言ったら理解できるんだ」

「僕を刺すなんて真似が出来るのは、「剣聖」の「才能」を持つ君くらいのものだよ」

「直接刃を突き刺すことだけが問題ではないだろう」


「そうかなあ……君の言うことは、相変わらず難しいよ。それにしても、メルフィーナ様はとても冷静な方だね。すごく好感が持てる」


 金色の瞳を向けられると、何だかぞわぞわする。まるで蛇が目の前にいる獲物は丸のみに出来るかどうか、そのサイズを見極めようとしているようだ。


 あまり気持ちのいい視線とは言えないけれど、思えば、王都にいた頃はよくこんな目で見られていたのを思い出す。


 南部大領主、クロフォード家の長女だが、ほとんど領地に戻ることは無く奔放と噂される母親とともに王都のタウンハウスで暮らしている娘。成人間近になっても婚約者が定まっていないということは、何か問題があるのかもしれないと噂されていたことも知っている。


「ユリウス、控えろ」

「短い間とはいえ僕が仕える方がどんな方か、確かめさせてもらいたいと思うのは、これは君の言う「一般的」の範疇じゃあないかな?」

「ユリウス……」


「いいわ、セドリック。とはいえ、私は世間知らずの貴族の娘で、今は婚家からも出て好き勝手しているような人間だから、あなたのお眼鏡に適うのは難しいと思うけれど」


「いいえ、メルフィーナ様はきっと、僕をとても楽しませてくれる主になると、そう確信していますよ。それに」


 ユリウスは口角を上げて、にっこりと笑う。


「僕は好き勝手をしている人間が、とても好きなんです」


相続について

・領主 土地やその他の利権については領主の独占的な権利であり、王権からも独立しています。

後を継ぐのは直系男子が基本ですが、血縁から養子を貰ってくることもあります。女性も当主に生ることは出来ますが、多くの家では中継ぎが多いと思います。

マリーに遺すのは贈与で、メルフィーナに割譲したエンカー地方は取引による移譲になります。


・平民 土地は「領主の持ち物を一時的に借りている」状態です。

土台はイギリスのleasehold(借地権)を参考にしていますが、期間内であっても正当な相続人(財産の直系相続人)がいないまま権利者が死去した場合は領主に返還されます。

子供も働き手なので土地を持たない土地や財産を持たない小作人・農奴・都市部の労働者も基本的には早く結婚して子供を生みます。衛生面と医療技術の未熟さ、栄養状態の低さにより幼児死亡率が非常に高い時代なので、たくさん産んで数人生き残るシステムなので早いうちに結婚して産む、という価値観があります。


お話の中ではユリウスが興奮してわーっと喋っているのにメルフィーナが補足している形で分かりにくかったかと思います。

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― 新着の感想 ―
主人公が親に死んでほしいと願われてたと発覚してショック。うん、家名から名を消すためだけに莫大な資産をついやしただけある。
追い返せばいいじゃん
初夜権 この辺りの村々は初夜権分の税金払ってなかったことになりますが、人口は増える(代替わりする)のを代官はどう誤魔化していたのか まさか辻褄合わせの為に自腹切ってた? 正式な結婚が野合扱いでは教会も…
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