82.帰宅と意外な来客
「メルフィーナ様、ラッドが戻ってきましたよー!」
階下から響いてくる元気のいいアンナの声に、団欒室にいたメンバーは顔を見合わせて、苦笑する。
体力があって性格が明るい働き者の娘というルッツからの推薦で雇ったアンナは、普段から非常に元気がいい。貴族家のメイドとして、とりわけ王太子が滞在中ということもあって静かに淑やかに振る舞うようたびたび注意しているけれど、中々その癖が直らなかった。
「ごめんなさいねセレーネ、騒がしくて」
「いえ、もう慣れましたし、最近は領主邸にいるのに静かだと、逆に寂しく感じるくらいになってきました」
「冬の間はどうしてもね」
寒いと外に出るのが億劫になるのは、貴族も農奴も変わらない。冬は外での仕事は極力減らし、仕事があってもその最中は無口になりがちなので、日中でもとても静かなのだ。
階下に降りると、ちょうど玄関の前にラッドたちの乗って出た箱馬車が到着したところだった。馬たちが真っ白な息を吐いていて、ラッドが降りてくる。
「メルフィーナ様、ただいま戻りました」
「おかえりなさい。外は寒かったでしょう。中で暖まってちょうだい。よければあなたたちも」
兵士に声を掛けると、彼らは宿舎に戻ってローランド達に任務終了の報告をしなければならないのだと、とても残念そうに告げる。
「残念だわ。また宿舎に振る舞いのエールを送るわね」
「それはとても楽しみです!」
まだ若い兵士はぱっと表情を華やがせる。そのまま戻るという彼らを見送り、馬を宿舎に戻すのはクリフに任せラッドに中に入るよう促すと、彼は困ったような、戸惑ったような表情を浮かべていた。
「あのう、メルフィーナ様、実はお客様が馬車に乗っていて」
「お客様?」
「公爵家のお客様だったのですが、ちょうどエンカー村に出立するところだったので、ついでに連れて行ってほしいと言われました。オーギュスト様にも頼まれたので同乗してもらったのですが、馬車の旅が退屈だと言って眠ってしまって」
「どなたかしら。名前と身分は分かる?」
オーギュストが仲介したなら、オルドランド家からの正式な来客という扱いになる。
流石にセレーネ以上の身分ということはないだろうけれど、どのようにもてなせばいいのか判断するためにも階級を尋ねると、ラッドはちらりと馬車に視線を向けた。
「名前はユリウス様で、職業は錬金術師とのことです。貴族であるとは思いますが、爵位についての説明は受けませんでした」
貴族と平民が言葉を交わすこと自体稀だけれど、その場合相手から自分はどこの家に所属する誰である、という名乗りがあるのが一般的だ。そうでなかった場合、平民が貴族にあなたの爵位は何ですか、と聞くわけにはいかない。
ラッドはメルフィーナやセレーネと日常的に関わっているのでそれほど貴族に対する恐れはなさそうだが、身分の知れない貴族とソアラソンヌからエンカー村まで同乗するのは、さぞかし気づまりだっただろう。
「待て、ユリウスだと?」
後ろに控えていたセドリックがやや荒れた声を上げる。彼にしては珍しい反応に振り返ろうとしたところで、馬車のドアが開き、長身の男性がのっそりと降りて来た。
「僕の名前が聞こえた気がしたけど、やっぱり君か、友よ!」
「ユリウス……お前、なぜここに」
「おお、わが友セドリック! 君が王都を離れてから君を想わない日はなかったよ!」
狼狽するようなセドリックの声にかぶせるように、彼――ユリウスは、声高に言い、両手を広げてこちらに向かってくる男に、セドリックはうんざりとした表情を浮かべ、頭を横に振る。
「お前は本当に相変わらずだな……」
「そしてこちらのレディが、オルドランド公爵夫人、メルフィーナ様ですね。初めまして、ユリウス・フォン・サヴィーニと申します。象牙の塔の住人であり、セドリックの幼馴染でもあります。こちらで錬金術師を探していると伺い、まかりこしました」
「………」
「メルフィーナ様、驚かれたと思いますが、研究一辺倒の変人というだけで、あまり害はありませんので」
「え、ええ。ごめんなさい、驚いてしまって。――メルフィーナ・フォン・オルドランドです。現在はこのエンカー地方の領主でもあります」
驚きのあまり声が出なかったけれど、辛うじて返礼する。
旅装に身を包み、腰に届くほど長く伸ばした光沢のある青い髪をゆるりと背の半ばほどで結んでいる長身の男性のやけに整った顔を見て、すぐに逸らす。
象牙の塔というのは、フランチェスカ王国屈指の魔法使いの所属する団体であり、王家直轄の魔法研究機関を指す。そこの住人と名乗ったということは、間違いないだろう。
――魔法使いのユリウス。
ハートの国のマリアに出てくる攻略対象の一人であり、作中屈指の快楽主義者である。
自分の興味の赴くままに研究に夢中になり、それ以外のことは礼儀作法も慣習も、全て些事という態度を貫き続ける変人として描かれていた。
マリアと出会ってからは、聖女という唯一無二の存在に興味を惹かれ、彼女に命を救われることによって好奇心と恋慕を織り交ぜマリアに夢中になるキャラクターだ。軽妙な態度と退廃的な色気のある言動で、ユーザーの人気も高かった。
何にも本気にならないキャラが狂おしいほどヒロインを求める様子が受けていたけれど、一方でゲームの中ではマリアに嫌がらせをするようになった婚約者のキャロラインの精神を壊し、婚約破棄に持ち込むという恐ろしい真似をしている。
セドリックは害がないと言ったけれど、それは彼の興味や敵意の外側にいる時だけだ。ゲームのプレイヤーとしては危険なお色気担当の攻略対象であり、実際にこの世界で生きる者としては、極力近づきたくない相手でもあった。
「その、ユリウス様。確かに当方では錬金術師の雇用を考えていましたが、なぜユリウス様がこちらに?」
「先日、わが友から錬金術師を斡旋して欲しいと連絡を貰いまして、彼は滅多に頼み事などしない男なので、私も責任を持って最も有能な錬金術師を派遣したというわけです」
「私が願ったのは錬金術師で、お前は魔法使いだろう。それに、春になったら誰か都合のいい者を派遣してほしいと書いたはずだ。冬の間に来いとは一言も言っていない」
ユリウスの軽薄にも響く言葉にすかさずセドリックが渋い声で訂正する。
そう、ユリウスは魔法使いのはずだ。全属性を操る魔法の天才であり、人間の身に余るほどの魔力を有していて、それゆえに短命が定められた運命だった。
聖女マリアが現れたことで魔力が蝕んでいた肉体を癒され、聖女の能力の不思議さに魅了されていく、そんなキャラクターだった。
――マリアが現れる前は、短命ゆえに享楽的で、奔放な性格だったという設定のはず。
貴族としては奇矯な振る舞いが目立つけれど、それも貴族社会の礼儀を守る価値があるほど未来がないと思っているがゆえのことであり、周囲もまた、彼の残り時間の短さと、圧倒的な才能ゆえにそれを許していた。
だが目の前のユリウスは、そんな事情など全く窺わせない明るい調子で笑う。
「僕はちゃんと錬金術師の資格も持っているよ。象牙の塔にはそれなりの数の錬金術師もいるし、僕も研究には関わっているから、君の求める条件に一致しているはずだろう」
「お前は王家直轄の機関に所属している身だろう。こんなところでフラフラしているのは許されていないはずだ」
「君は知らないだろうけどね、王家直轄の機関でも休暇くらいは貰えるんだよ。特に今は暇な時期でね、象牙の塔はほとんど活動が止まっているような状態だ。そこに君からの珍しい便りがきたのは、もう天啓のようなものだろう」
折角だからまとまった長い休みを貰って来たんだよ。ユリウスがそう続けると、セドリックは手のひらで額を押さえた。まさに「頭痛が痛い」というポーズだ。
セドリックの言葉を、ユリウスはのらりくらりと躱している。どうやら幼馴染というのは本当らしく、セドリックの言葉に遠慮はないし、ユリウスもそんなセドリックに慣れている様子だった。
――どうして、次から次に攻略対象が現れるの?
アレクシスはメルフィーナの夫であるし、セドリックは騎士団長になる前はオルドランドに仕えている騎士という前身だったらしいので、まだいい。
セレーネが北部に来たのは、メルフィーナが作ったトウモロコシにより、国の中で比較的飢饉がマシな土地という理由からなので、これもある程度は仕方がないなりゆきだったのだろう。
だがユリウスは、完全に予想外だった。
とにかく、落ち着かないと。メルフィーナは自分にそう言い聞かせる。
ユリウスが危険な人間だと知っているのは、今のところメルフィーナだけだ。幼馴染だというセドリックすらメルフィーナを彼から遠ざけようとしていないところを見ると、彼の潜在的な冷酷さを知らないはずだ。
出来る限り速やかに、そして角を立てずに帰ってもらいたいところである。
「とにかく、外で立ち話もなんだから、中に入りましょう。ラッド、どうなったか報告してもらえる?」
「は、はい」
「セドリックはユリウス様を応接室にお通しして、エドに言って温かいものを用意してもらってちょうだい」
「いえ、私はメルフィーナ様の傍に。これは放っておいても一人で好きなことをしているので」
「酷い言い草だなあ。君のためにこんな北の果てまで急いで来たのに。大変だったんだよ、どこも食糧不足だし、よそ者をギラギラした目で見るしさあ」
「この季節に移動を強行した、お前の自業自得だ」
ちぇっ、と子供のように言って、ユリウスの金の瞳がメルフィーナに向けられる。
その探るような目にぞわりと寒気が走り、すぐに視線を逸らした。
全てのキャラクターを攻略した前世では、当然ユリウスルートもプレイしたし、それなりに好きなキャラクターでもあった。
けれど、やはり目の前に本人がいると、肝が冷える。
ゲームの中では軽薄に振る舞いながら色気たっぷりで、それでいて短命という重い運命を抱えていて、魅力的なキャラクターではあった。マリアに対して、この世の真理よりも眩しいものを初めて見つけたと口説くスチルは非常に美麗なものでもあった。
でもそれは、あくまで画面の向こう側で起きていた物語だからこそ、無邪気に楽しむことが出来たものだ。自分の恋情のために、親が決めた相手とはいえ婚約者を壊すような真似をすると知っていて、とても気安く振る舞うことは出来ない。
――怖い。
自分の興味のあるものだけは大切にするということは、それ以外のものはどうでもいいということと同じだ。
道端を歩いている蟻と変わらず、邪魔ならば、いや、意識すらしないまま、踏み潰すことを彼は躊躇しないだろう。
ユリウスがそういう気質の人間であると知っているだけに、その視線が自分に向くことすら恐ろしく感じてしまう。
何故こうも、問題ばかりが起きるのだろうか。
田舎で領地を発展させ、それを元手に財産を築いてどこかしがらみのない場所で、のんびり気ままに暮らそうという元々の計画が多少変更になったとはいえ、基本的にメルフィーナの目的は最初から変わっていない。
誰に振り回されることなく無事に、平穏に暮らしたい。
どうやらその願いが叶うのは、まだ先のことのようだった。
錬金術師の登場です。
アンナのキャラクターについてはおそらく賛否の否の方が強いかなと思います。
エンカー地方はこの春まで過酷な開拓の村であり、その中で「元気で健康で明るい性格で、屈託なく働き者の少女」というのは、村で一番魅力的な存在でした。
彼らには貴族の存在は遠すぎて、どんな生活をしているかも想像は難しく、メルフィーナが領主邸でメイドを欲した時、アンナが最も素晴らしい少女であると推薦しました。
エンカー村で愛される存在かどうかは貴族家の使用人として相応しいかどうかとは全く違う問題ですが、セレーネが滞在していなければ、メルフィーナもアンナの態度についてまだ14歳なので、いずれ落ち着くだろうと静観するにとどめていました。
全く交わることのなかった環境で生きてきた人たちが、メルフィーナとの縁で集っているのが現在の領主邸なので、時々起きる習慣の違いやチグハグさも物語の味付けとして楽しんでいただけたら嬉しいです。




